第2話


 長い紺の髪を纏めて、シルバーの髪飾りを付ける。ドレスはフレディに贈られたエメラルドグリーンに、金糸で刺繍の入っているデザインだ。


 長らく参加していない夜会に出たのは、父からの命令。本当に婚約したなら、お披露目してこい、などと言われたから。


 普通はそんな慣習はない。だが父は疑っているのだろう。釣書を用意した途端、婚約だなんて。さすがにおかしいと思ってるらしい。信じてもらうためにも、渋々訪れた。


「終わりましたよ」


 夜会で付けられた侍女の声に目を開ける。普段より華やかな顔色になっている。ふと鏡の端に、ちょうど迎えに来ていたフレディが見えた。


 彼が傍に来るタイミングで声をかける。


「準備が早いのね」

「たいしてやることもないからね。それよりセラ、すごく綺麗だ」


 立ち上がるのに、出されたフレディの手を掴む。彼のそんな言葉を茶化した。


「あら、普段は綺麗じゃないって言いたいの?」

「え? ああ、そっか。そうだね。言葉にしたことはなかったかな。セラス、君は普段から綺麗だよ。昼間から邸にこもって、真っ暗い部屋で蝋燭に照らされる横顔も、夜遅くまで怪しげな薬を作りながら、月明かりに輝くその水色の瞳も……」

「ちょ、ちょっと! 褒めてるのか貶してるのかわからないけど言い過ぎよ」


 とんでもない返しに慌てて止める。恥ずかしげもなく人の私生活をスラスラ言うフレディを軽く睨み付けた。傍にいた侍女がクスクス笑う。「仲がよろしいですね」と残して部屋を出ていった。


 残されたところでやることは一つしかないから、改めて会場に行くことを提案する。


「とにかく、そろそろ行かないと。遅れて入場して目立つのは避けたいわ」

「僕は構わないけどね」

「じゃあ、あなただけでどうぞ」


 ククッと笑ったフレディを置いて先に行く。だけど、足の長さが違うからすぐに追い付かれて、扉を開けられた。


「ご一緒させていただいても?」

「……」


 どこか気取った言い方にムッとしつつ、差し出された手を掴む。フレディは、ニコニコしたまま私の手を腕に添えて歩き始めた。


 廊下の先を進み、会場である中央ホールに近づく。中の騒がしさが外まで響いていた。入り口の使用人が私たちに気づくと、訪れを知らせた。


 賑やかさの中では私たちの名などかき消される。注目を浴びるかも、なんて杞憂だった。


 フレディが進みながら言う。


「主催のジークレスト卿に挨拶に行こうか」

「ええ」


 ジークレスト卿は父と同じ伯爵家の友人。だから今回、行ってこいと背を押されたというのもある。ここでしっかりフレディとの仲の良さを見せれば父も信用するだろう。


 ……娘の言葉より他所からの報告を信頼するのも、どうかと思うけどね。


 しばらくして、フレディが人に囲まれているジークレスト卿を見つける。そのまま彼のエスコートで、私たちはジークレスト卿へと挨拶した。フレディが先に声をかける。


「この度は突然のことにかかわらず、招待いただきありがとうございました」

「父の我が儘を聞き入れていただき、心より感謝致します」

「ああ、そこまで堅くならなくていい」


 そう前置きして続ける。


「こちらこそ、来てくれて嬉しいんだ。もちろん父君には二人のことは心配しなくていいと言ったんだがね。だがせっかくだ。フレディ、セラス、今夜は楽しんでいってくれ」


 その言葉に改めて謝意を伝え、隣にいた夫人とも二、三、言葉を交わしてその場を後にする。離れてからホッと息を吐いた。


「慣れないことをすると疲れるわね」

「君は久しぶりだからね。今飲み物を持ってくるよ。ここで待ってて」


 フレディがドリンクのあるテーブルに向かう。私は一人残って、壁に寄りかかった。


 ホールの中心では煌びやかな男女が、舞うようにダンスしている。眺めていると、ふと人の気配がした。反射的に目を向ける。するとそこには、知らない男性が立っていた。茶髪の明るい雰囲気の男性。


 彼は私を見るなり、パッと表情を明るくさせる。


「ああ! セラス嬢! ここでお会いできるなんて!」

「え」


 そう言いながら私の手を取ると、彼は口づけを落とす。突然のことに驚いていたら、その男性はどんどんと話を進めた。


「あなたの家に求婚状を送ってから毎夜、返事を待ちわびていたのです。幼いときに見たセラス嬢と、今も変わらず美しいっ! どうか善き返事を」


 戸惑いつつも恐らく釣書を受け取った相手だな、と当たりをつける。


「あ……はは……」


 全く無視するわけにもいかず、愛想笑いで返す。その間にも相手は私の手を離さず、グイグイ来ていた。


「ですが、今すぐにとは言いません。出来ることならすぐに欲しいものですが、お会いできただけでも胸がいっぱいで……とりあえず一曲お相手いただけないでしょうか」


 強引ながらも清楚な身なりで、人の好さそうな柔和な笑み。夜会自体が久しぶりだったから断っていいものかと悩む。答えようと口を開きかけると、いつの間にか戻ってきたフレディが間に入った。


「悪いが彼女は僕のパートナーだ。離れてくれるかな」


 いつもより低い声。見上げた先の横顔も、どこか険しく見える。その雰囲気に気圧されたのか、相手がたじろぎながら一歩下がった。


「あ、あなたはローベル卿……噂には聞いていたが、だがそこに立つ資格はまだないだろう?」

「おや、まだ知らなかったのか。なら、このまま帰ることをお勧めするよ」


 唐突にフレディが私の腰を抱き寄せる。バランスを崩して、彼に抱きつくような形になってしまった。


 相手の男性は大きく目を見開いて、フレディがハッキリと告げる。


「セラの相手は──この私に決まったからね」


 腰に回された手に力がこもる。男性は眉根にシワを寄せて、口を真一文字に結ぶ。一拍置いて、抑えた声で応えた。


「そうか……知らずに失礼した」


 そう言って、相手は身を翻し去っていく。その後ろ姿が完全に見えなくなってから、フレディが「こっちに行こう」とバルコニーの方に目を向ける。頷くと、グラスを器用に2個持つ手と反対側で私の手を引いた。


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