最終話 剛田と朝霧―辺獄でのこと―
「青野さんがヤバい!」
朝霧は音に敏感だ。青野の叫びはどこにいても感じてしまう。剛田の時のように。
―― 青野に送り出された朝霧は辺獄をただ彷徨っていた。
「剛田さーん、スネてないで出てきてくださーい。
もう無理でしょ、広すぎんもんこれ……だめだこりゃ」
朝霧は辺獄で大の字になって寝そべった。
防護服の効果も弱まり始め、自身の存在が消えてしまう事態に陥るのも時間の問題だった。
(ちがう、お前は純粋な悪だ!)
そんな時に青野の声を聞いたように感じた。
「青野さんがヤバい!」
朝霧は焦った。
もう時間がない。早く剛田さんを連れ帰らないといけないのに。
それにしても不思議だ。遠くにいるはずの青野さんの声は聞こえても、
剛田さんの存在は遠くて感じられない。近いのに遠い、遠いのに近いってどうしてだろう。
焦燥が胸を焼く一方で、朝霧は考えることをやめなかった。朝霧は直感した。
「ここは常世に近い、限りなく広がっているように見えても境は薄絹のように曖昧で、人の気配ひとつで形を変える世界。辺獄は、広大に見えて狭い。
そして、自身の心の揺れや祈りのあり方によって、いかようにも姿を変える場所なんだ」
朝霧は手をあわせ、目をつむり、繰り返し祈った。
「この場にましますことを願い奉る」
何度目になったろうか、閉じた目を恐る恐る開けてみた。
「やっぱり無理だ、自分にこんな役目は無理だったんだよ。
防護服ももうダメだ……ハズレですね、今回も」
朝霧は自分をこんな状況にした青野を責めた。
「よくよく考えたらさぁ、だいたい青野さんが悪いんだよ。
いつもやることがざっくり雑で、気を遣ってるようで人格破綻してて、迷惑なんだよね期待されると諦められなくなっちゃうじゃん。
もう端っからこんな計画ダメに決まってんっじゃん」
朝霧はうつむいた、なぜか涙が溢れ出して辺獄の地を濡らした。
「青野さん…… どうしよう…… あんなに一生懸命頑張ってる人に、
ただの一度も報いることができてないなんて…… どうしよう」
朝霧の心の声がこだまし、なおのこと朝霧自身を苦しめた。
あきらめるって素晴らしい。
だって次の日から気を遣うことも努力もしなくていいし、
責任負う必要もなくなるからね。
「青野さんが殉職するなんて、いいことなんてない。
いいことなんてないはずなのに。私はなんて無力なんだ」
ひとしきり泣いて少し落ち着いたのか、
朝霧はさっきまではなかったはずの目の前に花が咲いてることに気がついた。
「辺獄の花?」
「やっと見つけたぜ、兄さんがここにだけ咲く花があるって言ってた」
「剛田さん?」
「なんだ朝霧、お前もバツつけられたのか?」
「剛田さん」
「なんだ?」
「二つ、言いたいことがあります」
「どした」
「青野さんが大変なことになってます」
「あの人はいつも大変なことになってる、変わりなさそうでよかった」
「二つめは」
「タメはいらない」
「命がけでここまで来とったんやろが、どこほっつき歩いとったんじゃい!」
「すまん。というかお前、花咲か少年だったんだな」
「帰りましょう、剛田さん」
「……」
「青野さんが殉職するといってもダメですか?」
「一度は決めたこと、決まったことはひっくり反さない。
お前に言わせるところの『メタルの誓い』だな。
それにどうして自分の力で何とかしようとしないんだ?」
「そういうことですね。ではこの勝手扉で……」
そう言って朝霧は破魔道具、勝手扉を取り出したが剛田によって辺獄の彼方に投げ捨てられてしまった。
「剛田さん、なんてことするんですか?」
「往来用の勝手扉だろ、知ってるよ。これはどうせ、お前の実家か東京霊脈堂で開いたんだろ?
ここは辺獄で時間が経ってるようで経ってない。だから腹も空かないし、眠くもならない。
ということは仮にお前の実家から青野さんのとこに行った場合、それはもうダメだってことだ――ってことは直で青野さんの所まで行くってのがマストだってことだろ、違うか?
お前がそいつをここに連れてくるんなら、俺が相手してやるよ」
朝霧は成す術がないといった様子でこたえた。
「剛田さん、防護服もそろそろ終わりでして」
「一ついいか? お前なんで青野さんがヤバいって知ってんの、勝手扉くれたの青野さんだろ?その時はまだ青野さんは無事だったんじゃねーの?」
「青野さんの声が聞こえたんです。辺獄って常世みたいなもんだから……痛い!」
朝霧は突然、強い耳鳴りに襲われた。同時に父の言葉が心底からあふれだした。
澄、そこに立つんじゃない。
そっちにいってはだめだ澄、戻りなさい。
澄、今日は外に出るんじゃないよ。
そんなに大きな声を出しちゃだめだ、澄。
朝霧は考えだすと止まらなくなる子だった。
なぜ今そんなこと思い出すのか、銅鏡を使う時はどうしていつも神楽殿なのか。
辺獄の花はなぜ目の前に咲くのだろうか、どうして剛田さんはこんなに冷たいんだろうか。
その答えは朝霧にしか出せないものだった。
朝霧は逃げてはいなかった。迷ってもいなかった。
決して目を逸らすことなくその時が来るまで、ひたすらじっと待っていただけだったのだ。
朝霧が再び剛田を見た、その目には確たるものがあった。
「剛田さん、相手してやってください」
「おうよ、さっきからそう言ってんじゃん」
そう言って朝霧は、父と共に意味も分からず何度も唱えた祝詞を、
今度は心を込めて魂から絞り出すように、あげ始めた。
天の神、地の神よ、我が願ひ受け給へ。
常世の境を越え、彼の元へ導き給へ。
我が意志、力となり、道を開かん。
すると次第に青野が映し出された。
境は薄絹のように曖昧でのれんのようだ、押せばそちら側に行けそうだった。
「おー、すげーな。朝霧、歴代最弱なくせにホント器用だな」
「剛田さん、奴を連れてきます」
―― ちがう、お前は純粋な悪だ。
時間は朝霧を待っていてくれた。
「そうだ、お前が好きな居場所はここではない」
「J・I・T、澄っち!」
一つになったそれは不機嫌だった。
「お前ともあわない。だからお前のことが嫌いだ。去ね。」
一つになったそれはゆっくりと青野と朝霧によってきた。
青野は思った。
失敗か? 剛田君は来てくれなかった。
二人でどう切り抜ける?
いや、切り抜けるじゃない。
どう戦う、どうやって勝つ?
互いの間合いになるまで一つになったそれは近寄ってきた。
朝霧はもしかしたら「それ」の心の振動を聞いたのかもしれない。
頭に浮かんだのは辺獄に咲いた花だった。とっさに口をついて出た言葉だった。
「お前は、辺獄の花だ!」
それは立ち止まった。
「華と言ったか? とても懐かしい響きだ。いつもそばにいて支えてくれた。
今はいるようでいないようだ。お前は華を知っているのか?」
「ああ、知ってる。私の後ろに在る。
ここを通り抜ければ見ることができる」
それはゆっくりと慎重に進んでいった。
朝霧はそれを見計らって薄絹を巻き取るように境を閉じた。
「終わり……でいいんですよね?」
「ああ、こちら側はね」
剛田は辺獄の花をじっと見ていた。じっと見ながら話しかけた。
「よお、お前もバツつけられたのか?」
「なんだバツというのは、ここはなんだか懐かしいところだ」
「どうしたい?」
「自らを変え、ここまで来た」
「自分探しの旅って言う奴ほど何も見つけられずに戻ってくるんだよね。
お前もそういう類なんだろ?」
「お前が言ってることは理解できるが言いたいことは理解できん」
剛田は立ち上がって言った。その手の甲はいつもより十字に光っていた。
「辺獄の花も見つけたし、弔いもそろそろかなって思ってたんだ。
朝霧たちに感謝しねーとだぜ。何か言いたいことはあるか?」
「お前の言ってることもお前が言いたいことも理解できん」
「そうか、まだおつむのオムツがとれてねーってことで良いんだな?
ってことはよ、先に来た俺に頭下げんのが筋ってもんだろが!
おめーが誰か知りたくもねぇ、腹筋固めな!」
ニュートン・リング 天解 靖(あまかい やす) @AmakaiYasu
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