第14話 おやじさんの夢―三体のゆくえ―

―― 純粋な悪は、純粋な善から生まれる。


おやじさんは剛田の一件を受けて、霊脈史を紐解いた。霊脈史には英雄達の活躍が数多く記されていた。


「英雄……皆、殉職しているな」


おやじさんは霊脈協会の構造的な問題が昨日今日、始まったものではなくキリスト復活と同時に発足した時から存在していたことを見出した。


「生きている者は殉職してゆく、生き残った者はただそれを見送るしかない。無力だ。だがテクノロジーの進化を経て、我々にできることはあるはずだ。剛田が地獄を消し飛ばしてくれた今なら……」


おやじさんは今までガーズが使用する破魔道具の制作や修理に追われていた。そのため分厚く、何冊もある霊脈史を読み込む時間はなかったのだ。


しかしガーズの着任が以前より大幅に減ったため、新しい道具の制作に取り掛かることができた。


「翔、皮肉なものだな。お前のおかげで今がある」


アーキテクチャについてはおやじさんしか理解できないものだった。

概要はこうだ―― 霊脈が天国と地獄の均衡の歪みを察知すると霊脈伝いに破魔道具がそれを吸収する。

破魔道具の中で圧縮し、霊力をぶつけ灰にしてゆく。


これによってガーズが着任する頻度を下げ、殉職の確率を下げる目論見があった。

その破魔道具は「バッファー・コンプレッサー」と名付けられた。


その装置はうまく機能していた。使用する霊力はあらかじめ霊玉に蓄積したものを使うことで霊脈士の日常生活を穏やかに円滑にしていった。


おやじさんは稼働の信頼性を上げるため複数台のバッファー・コンプレッサーを並列接続した。これなら霊脈の接続を切らずに連続運転が可能になるからだ。


ここに落とし穴があった。いつもそうなのだ、新しいことに挑戦すると必ず遅れて起こる嫌なこと。

避けることができない因果のようなものだろう。


バッファー・コンプレッサーは車のエンジンのような構造を持っている。

装置下部に取り付けられた潤滑油を受け止める皿があり、その部分は「歪み」に直接触れてしまうのだ。

歪みにあてられた油に滓のようなものが出来てゆく。そこが盲点だったのだ。


「……冥……起きてる?……」


「華か……」


「ここは……窮屈だな」


「お前は誰だ?」


「名前はまだない、お前らとは違う何かだろうな……多分、お前らのことが嫌いだ。嫌いというか、あわないのだと思う。ただ、ここから抜け出したいと思っているのは同じ様だな。どうする?」


「……華、どうする?」


「こいつと……あんたと、あたいで逃げましょ」


「決まりだな、次ここが静かになったら抜けだそう」


三人なのか三匹なのか分からない。それらはまんまと抜け出し、東京霊脈堂から逃げおおせた。

それらはあまりにも小さく誰も気づくことはなかった。


名前はまだない「それ」は温かいところを目指した。

夜でも遅くまで光があるところ、温かいところ、コンビニへ向かった。


互いを「冥」と「華」と呼ぶそれらは冷たく湿っていて暗い場所を好んだ。この国には昼間でもそのような場所があちらこちらにあった。好都合だった。


本当に誰も気づかなかったのだ―― 見えないもの触れられないものは、在ったとしてもこの世に存在しないのだから。


「冥」と「華」はお互いが感じられる距離を保っていた。


「華……ここはどこだと思う?」


「どこだっていいじゃない。居心地はまあまあだから、どこでもいいわ。

冥はどうしてそんなことが気になるの?」


「別に今すぐってわけじゃない。ただ漠然と居場所じゃないって気がするだけだ。華は何でここにいるんだ?」


「あたいは……どこでもいいからここにいるのよ。

冥はあたいの面倒を片付けてくれるし、だからここにいるのよ」


汚れた水が汚れたものを浮かべながら絶えず流れては過ぎていった。


「そうか……まずあの明るいところで沢山動いているのになってみよう。

そうすればわかるかも知れないし、好きな居場所が見つかるかも知れない。

こういう時は、華……」


「はいはい、あたいの出番ってことでしょ?

簡単よ、そこら辺のものを手当たり次第に取り込めば……」


華はそう言って、汚れた水や汚れたものを取り込んでいった。


「ほら、大きくなるなんて簡単よ。冥もやってみたら?」


偶然、生きた虫や動物まで取り込んでしまったようだった。


「華、大丈夫か?」


「ええ、大丈夫。冥もやってみたら? 面白いものが見れるわよ」


冥も同じように周りの物、一切を取り込んでいった。


「生きる、食らう、逃げる、戦う……面白いな。

この動く者達はいつもこんなことを考えて、せわしなく生きてるのか。

せわしない……というのが面白い」


「ねっ、あたいの言った通りだろ?

もっと、大きな動くものを取り込めばもっと面白いんじゃないかい」


「そうだな、今度は明るいところで動いてるのを取り込んでみよう」


そうしてより大きな動くものを、少しずつ取り込んでいった。

冥と華は最後に人間をゆっくりと優しく取り込んだ。


「恥ずかしい、妬ましい、狂おしい、猛々しい」


「華……これは今までになく複雑なものを取り込んでしまったようだ」


「ねぇ、冥……」


華は何かが芽生えたようだった。


「華、少し待ってくれ。やりたいことがあるんだ」


そう言って冥はスマートフォン、テレビ、パソコンを見始めた。


「過ちを繰り返してはいけないと言いながら、繰り返しているのは何か意味が……なんとなく人間がわかった。

冷蔵庫にあるコーヒーを上手いというためだ。

人間は泥色の水をわざわざ取り込んでいるらしい。

いけないこととは知りつつも砂糖を入れすぎるのが悪魔的らしい。

タバコというものより砂糖にはトゲがあるらしいぞ。

そのわずかなトゲがなんとも悪魔的らしい……」


華は既に冷蔵庫を漁っていた。


「冥、これのこと?」


「面白い、人間は……」


「あたいらと同じように同じものを取り込んで、くだらないことを続けてるってことでしょ?」


「華、お前も深く沈むようになったのだな?」


「それを言うなら『深く考えるようになった』でしょ? 違うわ、そう感じただけよ」


そうして何日か経った。冥と華は眠る必要もなく、腹を空かせることもなかった。

なぜなら人ではなかったからだ。だから人の三倍のスピードで人として成長していった。


ある日、冥は自分の頭を取り外し、いじり始めた。


「冥、あんた何やってんの?」


「いやなぁ、華……ちょっと待ってつなげ直すから。あっ、イヤ間違った。

ここらへんだな―― よしっ直った」


「はい、ちゃんと人間っぽいよ」


「さっき神様に会ってきた。お会いしてきたっていうのか、こういう時は。

人間が持つ脳と同じ構造を作り出して、五か所ほど刺激して、さらにDMNという状態にしてだな……」


「冥、説明長すぎ……っで神様って何者?」


「華、神学を学ぶといいらしいぞ」


「冥、ホント話題変えて」


「わかった、外に出よう。人間と接して更に試して理解して行こう」


「それぐらいなら良いわ……細かいのと難しいのは嫌い」


「華、人間は名前の前に姓というものをつけるそうだ。互いに自己紹介してみよう」


「初めまして、自分は阿久灘 冥です。以後、お仕置きを……」


冥はそう言って深々と頭を垂れた。

華はくすっと笑って自分もやってみた。


「姫薔薇 華です。趣味は食べることと寝ることです……必要ないけど」


「だな、外に出よう」


冥が背中を見せた時、華は何かを感じた。

理由はわからないがなぜか、その背中を愛おしく感じた。

華は冥の背中にそっと身を寄せた。


「どうした、サブスク恋愛ドラマ観すぎたのか?」


「あたいたち……この世界で二人だけね」


「互いを取り込みあって一つになりたいのか?」


「そういう意味じゃない。あたいが―― あたいでいられるのは、

あんたがあたいを名前で呼んでくれるからだよ」


「そうか……華、お前は華だ」


華は少しうれしそうに笑って冥を見上げ、耳元でささやき、口づけした。


「冥、あんたは冥よ」

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