第5話 最初の事件


 防衛省捜査局とA4用紙に油性ペンで書いたであろうものがセロハンテープでドアに貼られた一室。俺はその部屋の中央で初めて扱う巨大テーブル型パネルに資料をなんとか表示させて自衛官3人にプレゼンを行なっていた。


「まあ要するに、今回我々に課されたミッションを簡潔に言うと、“交通事故で死亡した幹部自衛官の死に事件性が有るか無いか確認する“というものです」


 俺はファイルに書かれてある情報をざっと読んだ上で捜査に不慣れであろう3人に今回のテーマとなるものを伝えた。


 俺が資料を表示してあれこれ話しているときは黙って聞いていた3人だが、俺が話し終わったと同時に3人が挙手をした。

──誰の意見から聞くべきなのか……。

 ここは年功序列でおそらく一番年上だろう宮田さんに発言権を与えようと宮田さんを指名しようとした瞬間だった。宮田さんと五十嵐さんはすぐに手を下げて藤原さんに発言権を譲ったのだ。俺は何が起こっているのかわからなかったが、彼女が話し始めたので耳を傾けた。


「何故、湊谷みなとや一佐の交通事故だけ調べるのですか?今年に入って交通事故で亡くなっている自衛官は他にも数人いますよね?よくあることではありませんが、特段珍しいことでもありません」


──それは俺が知りたい。

 防衛軍から見た事故や自衛官の死というのがどういう位置付けになっているのか、所詮地方公務員の警視庁刑事の俺からしてみればよくわからない。だが、資料を見た感じ、なんとなく引っかかったものがある。根拠はない。なんとなくきな臭い感じがした。


「一介の刑事にはわかりません。何故、防衛省がこの交通事故に着目したのか──ですが、まあ、これは私の勘ですけどね。この仏さん、イージス艦の艦長でしたよね?」


 俺はファイルにある湊谷洋平みなとやようへい一等海佐のプロフィールを広げて3人に見せる。五十嵐さんと藤原さんはピンと来ていない様子だ。だが宮田さんはハッとした表情をしていた。


 俺はこの勘だけで事件性を嗅ぎつけた根拠を、宮田さんなら言語化して2人に伝えられるだろうとこの時に思った。いや、言語化してもらわなければ困る。俺が説明するのは何というか、軍の事情を知らない人間が軍人に軍のことを説明するようで、釈迦に説法なのだ。宮田さんは俺の意図を汲んでか知らずか、俺が思っていたことを説明してくれた。


「イージス艦には機密情報がたくさんあります。そしてその艦長だった。その人が交通事故に合う前に自宅に泥棒に入られた。そして通常の自衛官ならば自衛のためにつけてあっただろうドライブレコーダーが車に搭載されていなかった。一佐ともあろう人が、そんな危機感のないことはしないはずです。昔ならばともかく、今の時代では考えられません。そしてこの見通しが良い道路。事故を起こす方が難しいのではないですか?」


 100点満点の説明をする宮田さんに拍手を送りたいところだったが、俺はそれよりも気になることがあった。発音だ。俺とイントネーションが違うのだ。“艦長”という言葉。後ろにアクセントがくるのか。

──なんでだろ…まあいい、事件には関係ないから後でこっそり聞いてみよ。


 俺は気を取り直して宮田さんの説明に追加する。


「皆さんもご存知かと思いますが、2000年に海上自衛隊の三等海佐が情報漏洩で逮捕された事件がありましたよね」


 宮田さんの顔が渋くなる。他二人は、ああ──という顔をしている。宮田さんはともかく、その事件以降に生まれたであろう二人も事件のことは知っていた。あの事件は自衛隊にとってはあってはらない汚点として後世に伝えられているのだろう。


「そのおかげと言ってはなんですが、2003年には自衛隊情報保全隊が再編されています。それを知らない自衛官はいないでしょう」


 宮田さんがそう言い切る。それほど自衛隊にとって影響が大きかった事件なのだろう。

 

──もし今回、湊谷一佐が何らかの情報漏洩に関わっていた場合どうなるんだろうな……俺らで言ったら、イージス艦の艦長は警視庁の部長クラスか?

 そんな人間が警察内部の機密情報を外部に持ち出したとなると、部署が存続するかどうかの危機である。部下は全くの白だったとしても、刑事部全体が一度解体され、適格性を再度判定して再編しなければならない可能性だってある。かなり厄介だ。


 一挙手一投足が組織全体を巻き込む階級の人間が何かをやらしたかもしれない──という疑念がある以上、その疑惑は白黒つけなければならない。以前にそういう事件が起きているならば尚更。防衛省上層部が警戒して当たり前なのだ。


 あの事件解決に一役買ったのも警視庁の公安部だった。俺は弟──雅輝と義務教育時代に何度あの記事を読んだことか。公安の尾行と地道な捜査によって発覚したスパイが絡む情報漏洩事件だ。海上自衛隊、機密情報を扱う幹部、機密情報そのもののようなイージス艦──。

──そりゃ海自もあの前例を思い出さずにはいられないよな。


 俺は気を取り直して捜査ファイルの情報を眺めて3人に質問する。


「で、この、あたご?っていうイージス艦。舞鶴にある船なんですか?」

「そうです」


 宮田さんが即答する。


「現役の艦長が亡くなったため、艦長不在で現在舞鶴港に停泊しています。上はあたご再編のため、毎日夜遅くまで残っているようです」


──だから昨日、総監部にあれだけ人がいたのか。

 俺が帰る時もまだみんな帰る気配がなかった。自衛隊にも夜勤や当番があるとはいえ、あんな人数があの時間帯に残っているはずないだろう。どれが階級章なのかわからないが、みんな袖が金色で派手だった。


 俺が昨日の須貝海将の制服を思い出していると、五十嵐さんが宮田さんに尋ねる。


「あたごの乗組員が今、地上にいるってことですよね?」

「おそらく。艦長がいないと出航できないので。他の任務を割り当てられているとは思いますが、地上にはいると思います」

「じゃあ、とりあえず副艦長や幹部に話を聞いてみませんか?」


 五十嵐さんにそう言われた宮田さんは俺の方を向いた。

 

──なんだ?俺が何をすればいいんだ?

 宮田さんの視線の意味がわからず困惑していると、藤原さんが口を開いた。


「誰かが許可を取らないと、話を聞くにもまず港に入れないですよね?」

「誰かって──?」

「この場合は鷹匠さんかと」


──俺???誰に許可を取ればいいんだ???ていうか、情報保全隊がその辺すでに調査しているのでは?

 捜査に必要だからあたご乗組員聴取の参考書を見せてください──とでも言えばいいのだろうか。

 

──情報保全隊ってどうやって連絡取るの?ていうか、いくら防衛省の新設部隊とは言え、俺らが情報くれって言って、すぐくれるようなものなの?


 俺の頭の中は混乱していた。あらゆる捜査案が出てくるが、どれもどこに許可を取って捜査したらいいのかわからない。俺は自衛隊の各部隊の関係性や連絡の取り方など何一つ知らないのだ。俺は初歩的なことを3人に尋ねる。


「あのー……何かを調べるときは、誰にお伺いを立てればいのでしょうか?勝手に乗り込んで調べるわけにもいいかないわけでしょう──?特に今回は、自衛官が亡くなってるとはいえ、その身内を疑うってことですから……」


 3人は黙った。というより、めんどくせえ──という顔をした。1人を除いて。その1人は宮田さんだった。上官を殺された悔しさだろうか。それとも何か被害者に思い入れがあるのだろうか。はたまた、宮田さんのリアクションが正常で、他2人の反応が異常なのだろうか。


 2人が異常と言えば異常だろう。いくら陸と空とは違う隊の人間が亡くなり情報漏洩容疑が掛けられているとはいえ、自衛隊であることには変わりがないのだから。俺は自衛官たちの反応が気になったが、そんなことに構っている余裕はない。


 俺は少しでも早くこの捜査チームを機能させて警視庁に帰らねばならない。


 ただでさえ公安から声がかかっていないと言うのに。舞鶴に来て、しかも防衛省に出向して警察から離れてしまっている以上、俺が現在進行形で公安刑事への道から遠のいているのは確実だ。弟はとっくの昔に公安刑事になったであろうに。


 


 弟からの連絡は突然だった。俺が警察4年目で警視庁の刑事部に移動して初めての春を迎えた頃だった。刑事になったよ──と雅輝から突然メールが来たのだ。そしてそれキリ、ほとんど雅輝とは連絡は取ってない。たまに連絡が来るが、どれもくだらないものばかりだ。仕事の話は一切ない。俺はなんとなく察した。弟は公安刑事になったのだと。警視庁の刑事部にいるのであれば、俺が職場で目にしないはずがない。俺がそこにいたのだから。


 俺は出遅れたのだ。キャリア組で入ったところまでは一緒だ。だが、弟から連絡が来たタイミング的に、アイツは警察学校を卒業し交番勤務が終わった後すぐに公安刑事に採用されたことになる。

──ちくしょう。

 それに気づいた時の俺は涙でベッドを濡らした。兄という者は常に弟の先を行っていなければならないというのに。それからも諦めることなく地道に実績を積んだ。係長不在のチームを率いて。いまだに公安部から声がかかる気配はない。


 


 こんなところで立ち止まっている場合ではないのだ、俺は。さっさとこの軍捜査局とやらを立ち上げて、この自衛官3人に捜査官としての仕事を覚えさせるしかないのだ。


 俺は提案をする。


「4人で一緒に同じ情報を集めてもしょうがないので、手分けをしましょう。とは言っても、他殺の可能性があるのであれば単独行動は危険です。2人1組でチームを組みましょう」


 俺は宮田さんと組む気でいた。何故ならこの中で一番やる気がありそうに見えるからだ。だが、藤原さんが俺の想定とは違う采配をした。


「では、私が鷹匠さんと。五十嵐二尉は宮田一曹と」


──なんでそうなった?若者とおっさんを分けた感じ?

 

 だがどうやら違うようだ。


「そうですね、幹部が居た方が何かと上に掛け合うにはスムーズでしょう」


 宮田さんはそう言った。だが俺は誰が幹部なのかわからない。彼らの階級順もわからない。俺は恥を忍んで尋ねた。


「あの、自衛隊における幹部って、どの階級を指すんです?」


 俺の問いに宮田さんは淡々と答えてくれる。

 

「自衛隊における幹部は三尉からです。私は下から入ったので、どんなに頑張っても名誉職の準海尉止まりです。ですが、藤原一尉と五十嵐二尉は初めから幹部として採用されています。そして今のところ、藤原一尉がこの中で最も階級の高い自衛官となります」


 幹部──俺らで言うとキャリア組みたいなものだろうか。そして今この捜査局の中で最も階級が高いのが女性自衛官。女性だから、と言うわけではないが、まだ20代だろうにトップになるとは。かなり優秀な存在なのだろう。俺は宮田さんの説明を聞いて若者2人を見る目が変わった。


 先ほどまで舐めていたと言うわけではない。先ほどまでやたらと藤原さんが仕切ろうとしていた理由がやっとわかった。この中ではとりあえず藤原さんに従うしかないのだ。俺も彼女に従った方がいいのだろうか?ふと彼女の方を見ると、藤原さんは早速どこかへと電話をかけていた。

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