第3話 京都へ
部下二人に見送られた後、俺は官舎を引き上げるために最低限必要な物をボストンバッグに詰め込んだ。それ以外の物は実家へと送る手配をした。1ルームの官舎に住んでいたため、言うほど荷物はなかった。毎日働き詰めでプライベートがなく、物が増えるタイミングがなかったことが幸いしたのは、これまでもこれからも今日が最初で最後だろう。そうそう移動があってたまるか。
旅立ちの日にはちょうど良いように、千鳥ヶ淵の緑道の桜は見頃を迎えていた。入庁して以来、毎年行こうと思っては行けなかった花見。今年こそは花見で一杯やろうとしていたのにも関わらず、まさか今年も願い叶わず急遽京都へ行くことになるとは思わなかった。
──もういい。
この際、昔都があった土地の趣ある綺麗な桜でも見て想いを巡らせるとしよう。
──うん、きっとその方が風情ある。
なんとなく漠然とした不安を掻き消すように、京都市内の桜の名所を調べながら俺は新幹線の2時間12分を過ごした。
京都駅に着いて俺はすぐに京都府警本部に向かった。観光客に紛れながら都市バスに揺られ、文化庁前・府庁前で降りた。そこから7分ほど歩いて府警本部の受付で名前と異動してきた旨を伝えると、エントランスのソファで待たされることに。思ったよりも時間がかかることに違和感を覚えた。
俺はアポなしで来ているわけではない。辞令に基づいて動いている。部長直々に渡してきた新幹線チケットでその日のうちに来たのだ。間違っているはずなどない。考えられるのは、日付の伝達ミスによる手違い。
──まさか、君の居場所などありません──とか言われないよな?
俺は嫌な想像が湧いてくるのを必死に拭い払って呼ばれるのを待った。
ようやく通されたのは1階の小さい会議室だった。
──いや、これちょっと広いだけの取調室じゃね?
なんて思ったのはさておき、俺の目の前に現れたのは気まずそうな顔をした京都府警の刑事部長だった。思ったよりも大層上の階級の人間が出てきたことに、俺は慌てて起立して敬礼した。
「いや、待たせてしもてごめんなぁ。刑事部長の
「お疲れ様です!私、警視庁刑事部から出向して参りました、
「そんなに堅くならんでもええからな。まあ、座り」
四方警視長がそうなのか、京都の言葉がそうなのかはわからないが、俺は目の前にいるはるか雲の上の人間とそれほど緊張をせずに話していた。警視庁の刑事部長も同じ階級だ。うちの部長は部長で優しいが、見た目が怖い。だが四方部長は見た目も穏やかで品があるような気がした。
──京都の人だからか?
俺は勝手に偏見を抱いていた。慣れない京言葉を聞き取ろうと、京都府警の刑事部長の言葉に耳を傾ける。
「はるばる東京から来てくれはったんは悪いけど、君はここに配属されたわけやないからなぁ」
「それは──どういう意味でしょうか?」
「もともとうちに来る話やったけど、人手が足りんもんでね。警視庁に人を貸してもろたんや」
「はぁ──」
──つまり何が言いたいんだ?この人は。
俺は四方部長が言いたいことがわからない。だがこれだけは分かる。今から言いづらいことを言おうとしている──ということは。四方部長は困ったように笑った。
「あんたの出向先は防衛省やで」
「は……え???」
──今から市ヶ谷に戻れと言うのか?
遥々東京から京都に来て防衛省に出向することを告げられた。さっきの2時間12分は何だったのだろうか。あれだけ桜の名所を調べたと言うのに。結局京都の桜を見ることができずに東京に戻るのだろううか。まだ終電には間に合う。これからまた新幹線に乗るのかと思うとうんざりしてしまう。日にそう何度も乗りたいものではない。きっと最終の新幹線になるだろう。
──帰りに千鳥ヶ淵の緑道寄って帰ろう。ライトアップして綺麗だろうし。
俺はもう目の前にいる遥か上の階級の人間の話をほとんど聞いていなかった。突然言葉が入ってくる。
「これから舞鶴に行ってもらいます」
突然出てきた地名に混乱する。舞鶴という地名は東京にはない。どういうことだろうか。
「あのー……私は今から市ヶ谷に行くのではないのですか?」
四方部長は、何やこいつ?──という顔をして笑う。
「長旅で疲れてるんかいな?あんたはこれから防衛省の舞鶴地方総監部に行くんやで?」
何故俺が防衛省に出向しなければならないのか。全くもって意味不明だ。俺は四方部長の顔を見ながら思わず首を傾げてしまった。そんな俺を見て四方部長は呆れたようにため息をついた。
「あんたは自分のとこの部長からなんも聞いてへんのか?聞いてへんってことやんな、その反応は」
四方部長は俺に説明してくれるが、どれも初耳だった。俺は思い出していた。部長に呼び出された後に警務部から送られてきたメールを。
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鷹匠深雪警部の辞令について
─────────────
鷹匠殿
お疲れ様です。警務部の佐々木です。
先ほど刑事部長から指示があったため、今後の日程についてご連絡致します。
本日このまま新幹線で京都まで移動してください。
その後、今日中に京都府警に挨拶をしてください。
刑事部に問い合わせていただくと、対応してくださる手筈になっています。
これから鷹匠警部の勤務先は京都府警の刑事部長が采配しますので、そちらの指示に従ってください。
健闘を祈ります。
─────────────
どこにも何も肝心なことが書いていない。防衛省という文字も舞鶴という文字もない。
──もしかして部長があの時、すでに話していたというのか?いや、それはない。
部長とはほとんど京都の観光名所の話ししかしていない。
──もしかして部長、観光の話して俺に肝心なこと言い忘れたんじゃ……いや、いかんいかん。
上官を疑うなどあってはならない。もう誰のせいでもない。俺は恥を忍んで四方部長に尋ねるしかない。
「あの、俺は舞鶴で何をさせられるんですかね?」
「まあ、簡単に言うたら、防衛省が作る新しい捜査チームの立ち上げやな」
「新しい捜査チーム?」
「つい最近、自衛隊は正式に日本防衛軍になったやん?それに伴うて警務隊改変されて新しい捜査局を立ち上げたんやけどなぁ。今まで警務隊は逮捕権を持たへんかったさかい、司法捜査もできひんかった。いきなりやれって言われても無理やん?そやさかい警察から現場に入ってレクチャーしもって一緒にチーム立ち上げてくれる人材貸してくれって、防衛省が警察庁に依頼してきたんやわぁ」
──超重要な話を俺は何も聞かされていなかったのね。
「ほんまは京都府警から出す予定やったけど、人手不足でな。警視庁にお願いしたんや。ほんであんたが選ばれた」
「そういうことでしたか……」
「今更やけど、舞鶴に行ってくれはる?」
「もちろんです」
──行きたくないなんて言えるわけないだろ。俺はあんたよりいくつ階級下だと思ってんだ。
「では、これから向かいます」
そう言って俺が立ち上がると、四方部長は不思議そうな顔をして訪ねてきた。
「あんた、
「何で──電車、ですかね?」
四方部長は、お前正気か?──という顔で俺を見てくる。
──それはどういう意味だ?電車を使うのはダメなのか?ならばどうやって行けと?
「あんた、車は?」
「持ってません……」
「ほんなら、うちの覆面持ってき?人手不足でなぁ、何台か余ってるさかい」
「よろしいんですか?」
「ええで。元々うちがやらなあかん仕事やさかいね。なんでも欲しい物、持ってって」
「あ、ありがとうございます──!」
「気ぃつけてな」
──なんかよくわからないけど、重要な言質を引き出した気がする。
俺は早速覆面パトカーのキーを受け取って舞鶴へと向かった。向かったのだ。だがなかなか着く気配がない。もちろん自動車専用道に乗った。おそらくこの、あからさまに覆面です!──というようなクラウンのおかげで周囲の車が超安全運転。それに京都縦貫道は途中から対面一車線。
──勘弁してくれ。
途中で舞鶴若狭道に入り、舞鶴東ICで降りて余部にある舞鶴地方総監部に向かう。赤煉瓦が見えた。横浜で見た赤煉瓦とはまた違った雰囲気だ。陽が落ちると通年でライトアップされているらしい。赤煉瓦前のMAIZURUというオブジェの前で写真を撮っている観光客らしき人たちが数名いるのを横目に総監部方向へと進む。
道路のすぐ横が日本防衛軍の持ち物なのだろう。いろんな護衛艦が並んでいる。夜の電飾がついた船は綺麗だった。船に見惚れているとすぐ左に総監部入り口が見えてきた。ウインカーを出して門の前まで行くと、青い迷彩服を着た自衛官がすぐに反応した。俺は警察手帳を開いて伝える。
「警視庁から参りました、鷹匠深雪です。先ほど京都府警からそちらに事前連絡をしていると思うのですが」
「確認します」
そう言って自衛官は無線で何処かとやり取りをしている。京都府警の時はずいぶん待たされたが、今回は1分も待たなかった。門が開けられ自衛官が誘導してくれる。指定された場所に車を停めて、自衛官の後に続いて建物内に入った。すると黒地に金色の装飾が施され、胸元にたくさんのバッジがついた初老の男性が出迎えた。一目でこの人がここの組織のトップだと分かった。
「お待ちしておりました鷹匠さん。この度は遠いところをご足労いただき、ありがとうございます。舞鶴地方総監部司令の
「こちらこそ、時間外に申し訳ございません。警視庁から参りました、鷹匠深雪です」
「よく来てくださいました。遠かったでしょう?」
「正直、ここは京都府という方が無理あるのでは──と思ってしまいました」
「はは。その通りです。優秀な刑事さんが来ると聞いて、我々は首を長くして待っていました」
「そんな、私が優秀だなんてとんでもない──ですが、お声をかけていただいたからには全力を尽くします」
軽く挨拶を終えて、俺は日本防衛軍が用意してくれたホテルにチェックインした。駅から近いホテル。俺は荷物は展開せず、パンツだけを取り出してすぐにシャワーを浴びた。今日は怒涛の1日だった。思いつきで旅行をする大学生のように気づいたら舞鶴にいた。
──にしても、疲れた。もう俺も若くないんだな。
そんなことを思いながら眠りについた。
今夜は夢を見ていたような気がした。夢に誰かが出てきたが、登場してきた人物は漏れなく知らない人間だった。俺は夢の中で彼らと楽しげに会話をしていた。だがどうせこの夢も悪夢となって翌朝を迎えるだろう。何故なら俺は、都内で稀の雪が積もり、首都圏が大混乱した日に生まれた男。
──悲劇が起こらない方がおかしいんだ。お先真っ暗くらいがちょうどいい。悲劇には慣れてんだから。
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