030 惨雨、紋章は語る
勝利の雄叫びを上げる兵たち。誰もあの魔女の存在に気づいていない。
この戦場で異質な気配を感じ取っているのは、私とアイオス殿下だけだった。
遥か先、じっと佇む魔女を見つめながら思わず息を呑む。圧倒的な魔力の気配――そして左手に刻まれた、見覚えのある紋章。
――それが聖女だけに与えられるはずのものだと気づいたとき、私は右手の紋章を押さえる。
突如、背筋を冷たいものが駆け抜けていく。
先手を打とうと魔法を発動しようとするが、さきほどの魔法で魔力はほとんどない。彼女に抗う力はないと悟る。
それを見抜いたのか、彼女は微笑んだまま、ゆっくりと左手を勝利に湧く兵たちのほうへかざす。
「
その瞬間、晴れ渡っていた青空が一気に黒く染まり、歓声に包まれていた戦場に、どす黒い雨が降り注いだ。
漆黒の惨雨を浴びた兵たちは、さきほどまでの活気が嘘だったかのように、次々と汚泥にまみれた地面へ崩れ落ちていく。
とっさに残りの魔力で聖魔法を展開したが、守れたのはアイオス殿下だけだった。
それ以上広げる力はなく、ほかの兵たちを救うことはできない。殿下の愛馬も神獣の力を失い、力なく地面に横たわっている。
「……これは、本当に絶体絶命というやつですね、アイオス殿下」
「ああ、そうだな、セーラ。で、あの女の左手にあるのは、聖女の紋章で間違いないか?」
殿下は私の右手に視線を落とし、魔女の左手と見比べる。
私は小さくため息をつき袖をまくると、聖女の紋章をさらし、魔女の左手に浮かぶ紋様も紛れもなく聖女の紋章であると告げる。
「……見ての通り、間違いないですよ。いや~、まさか『ラスボス』が『魔女』とは思いもしませんでしたよ、ハハハ」
「たまに出る『ラスボス』は今はどうでもいい。だが、『魔女』と口にしたが、あの女のことなのか?」
アイオス殿下は『魔女』という言葉を確認してくる。この世界の人間は魔女を見たことがないから仕方がない。彼らにとって伝説上の生き物でしかない。
だが、黒衣に身を包み、先の尖った帽子――エナンを被った姿は、前世で見た魔女以外の何者でもない。
そして、『魔女』という言葉に反応したのは殿下だけではなかった。
突如、空間が裂け、奈落が生まれる。そこから遥か遠くにいたはずの魔女が現れ、じっとこちらを見つめる。
その目には、汚物でも見るかのような冷たい蔑みが宿っていた。
「なるほど、アンタがこの時代の魔族の間引き役――代行者なのね。教会に担がれてご苦労さま、本当におバカな顔をしているわ」
「……労いの言葉、ありがとうございます。本当に大変でしたよ、あの洗脳教育に耐えるのは」
その言葉に彼女はわずかに目を見開く。だが、すぐに小さく笑って呟いた。
「ふーん、そこまでバカじゃないんだ」
だが、見下すような視線は変わらない。
「八十点ね、それじゃ。たしかに教会の連中は、この万能魔法を『聖魔法』と嘯き、魔族を敵として仕立て上げた。
その魔族への憎悪を利用し、そこから生まれるすべての利益を独占してきた。けれど、本当の黒幕は、別の世界から私たちを転生させた
「……なるほど、少しだけ分かりました。ですが、なぜ私が転生者だと分かったのですか?」
彼女は重大な秘密を知っている。私も教会が魔族を敵にすることで利益を得ていたことは知っていた。
それに聖魔法が想像を起点にした万能魔法だということも分かっていた。
けれど、本当の黒幕が転生前に会った『管理者』だったとは――そこまで考えが及ばなかった。
それを素直に認めるのが癪だった私は、すべてを理解しているふうに装い、あくまで平静に話を進める。それに彼女の言葉をすべて信じるには早い。
「そんなの、分かってるじゃない。私のこの姿を見て、すぐに『魔女』だって気づいたからでしょ?
それに、その右手の紋章も――あいつが認めた証。その紋章が刻まれるのは、あいつに会ったことがあるか、気に入られた者だけよ」
彼女は私の聖女の紋章を指さし、それが転生者か、管理者に見染められた者にだけ刻まれるものだと教えた。
そして、別世界の魔女を模した姿を見て、すぐに『魔女』だと分かった私を、同じ世界から来た転生者だと確信した――そう説明した。
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