第2話

わたしの名前は山中茂作。客先で設備一筋25年。

101歳の祖父の大往生を祝ったことを除いて、慶弔休暇すら取ったことがない。 欠勤、遅刻ゼロ。

毎朝8時40分出社、夕方5時30分きっかりに退社。

自分で言うのもなんだが仕事一筋で生きてきた。 おかげで、超エリートが多い常駐先でも、「山中さん。山中さん。」とわたしへの信頼は厚い。

今日もわたししか対応できない問い合わせが舞い込んで、業務時間中は大忙しだ。

わたしの活躍が目立ちすぎるせいか、わたしの上にやってくる上司たちは不甲斐なく、そしてあえなく現場を後にする。


「おはようございますー。」 8時40分に出社するわたしを迎え撃つのは、先日やってきた新任マネージャの雲音さんだ。

わたしの活躍に勝ち目がないと感じてこの現場を後にするのも、時間の問題だ。

「あ。おはようございます。」

「山中さんは、毎日この時間に出社されるのですか?」

「ああ、はい。わたしは、大体いつもこの時間ですね。」

「毎朝のルーティンってあるんですか?」 ルーティン?

客先で無料で提供されるコーヒーと軽食の柿の種を朝ごはん代わりに食べる以外、ルーティンなどというものはない。

「新聞の陳列はしますねぇ。」 陳列する新聞といっても、3部だけだ。

「おはようございます。山中さん、新聞休刊ですかね?」 8時に毎日出社し、朝のパトロールを終えた花田さんが設備室に戻ってきた。

「今日は休刊かもしれないねぇ。」

「花田さん、おはようございます。新聞の陳列は、花田さんの業務….ですか?」

雲音さんが花田さんの言葉をとらえた。 花田さんはいつも間が悪い。

「ああ。はい、そうですよ。毎朝オフィスをパトロールするんで、新聞もそのついでに陳列してます。といっても3部だけなんで、一瞬でおわっちゃいますけどね。」

ぎこちない笑顔で答える花田さんだが、この人の間の悪さは、わたしのばつの悪さを際立たせる。

「花田さん。明日からしばらくの間、私も8時からの業務を一緒に回ってみたいです。教えてもらえますか?」

あーーー。よかったぁ~。新聞の陳列を私がしていないということについて、雲音さんは気づかなかったようだ。

「あ。ぜんぜんイイですよ。そんな大したことやってませんけど….。」 「花田さんは、この現場はどれくらいなんですか?」

「去年の4月からだから、1年と4か月なので、そんな長くないですよ。」 「いろいろ教えてください!」


この現場の社員がわたしを訪ねやすいように、わたしは席を入り口のすぐ横に陣取っている。 9時ちょうどにその入り口のドアを開ければ業務開始だ。 前日にドア付近に置いた荷物を外に出し、段ボールをさらに外に出す。 わたしの動線が確保できれば、これで営業開始の準備完了だ。

「山中さ~ん。この設備室は荷物が多いですね。私のカバン、ほかのメンバーのカバンを置くスペースがないみたいですけど、山中さんはおカバンをどちらに保管されてるのですか?」

雲音さんが大きなカバンを抱きかかえて設備室を見回した。

「わたしは、自分のかばんは、足元に適当においてます。」

「山中さんのお荷物は、そのボディーバッグだけですか?」

「はい。わたしは荷物ないんで」 現場から家の往復には、財布とスマホだけが入るボディーバッグとヘッドフォンさえあれば事足りる。

「山中さん。5Sやりましょうか。改善です。」

「改善。やりましょう、やりましょう」と答えたものの、5Sとはなんだ? 長年愛用している後付けのキーボードでENTERキーをはじけば、その空っぽの音がこの狭い設備室に響く。

「整理・整頓・清掃・清潔・躾、いま画面に表示されているのが5Sです。」 ENTERキーがはじき返ったと同時に、わたしの頭上は暗雲で覆われた。

「山中さん。昨日その段ボールを設備室の中に入れて、今朝外に出していましたよね。ほかの段ボールをさらに外に出し、明日また中に入れる……。 それ、毎日されてるんですか?」

「ええ、置くところないんで…」見ればわかるだろうに、このマネージャは現場が見えていない。雲音さんは眉間に深い皺を寄せ、自分の節穴な目を受け入れることができないように言った。

「どうしてないんですか?」

どうしてって、見てみればわかるじゃないか。設備室は物が溢れてなんぼだ。仕事が溢れている証拠だ。

「この設備室、物であふれてますよね。職場は物が煩雑にあふれていると成立しません。自分のカバンを置く場所がないほど物が溢れているなんて、ありえません。」

「おっしゃる通りですねぇ。」わたしにどうしろというのだ。解決するのがマネージャの仕事だろうに。

「山中さん。これは他人事ではありません。物が溢れている、全員の動線が確保できていない。つまり、非効率です。」

わたしの動線は確保できているのだから、全員も同じようにすればよいだけだ。それが仕事への責任というものだ。

「仕事とは、自分だけが分かっている、自分だけができている、ということでは成立しません。」

なななななっ!

「全員の動線を確保する。どこに何があるか分かるように整理・整頓する。物を探すのに時間をかける、物を探していて、中が空だと発見するためだけに引き出しを開ける、などという非効率なことがないようにしたいです。私たちだけではなく、エンドユーザーのストレス軽減をすることにもつながります。」

その日、そして次の日と雲音さんの指示のもと大掃除が実施され、 設備室の中に通路ができた。 毎朝、毎夕出し入れしていた段ボールや荷物には格納場所ができ、わたしの仕事がひとつ、ふたつ、みっつとなくなった。

「山中さん、おはようございます。荷物がおけるようになった設備室。どうですか?」

大掃除の翌週、コーヒーと柿の種をもって出社したわたしを雲音さんがとらえた。

「ああああ。おはようございます。よくなったと思います。」

「段ボールを外に出すという毎朝のルーティン、無くなってよかったですよね?これで新聞の陳列、できますね。」

なななななーーーーっ!

「山中さん、最近は3部じゃないそうですよ。電子新聞に変わったらしく、陳列は2部だけです。明日からコーヒーと柿の種の前にお願いできますか?電子化、自動化、AI化ってどこまで進んでいきますね~。」

なななななななーーーーっ!


わたしの名前は山中茂作。設備一筋25年。わたしなしにはこの現場は回らない。

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