きのうの山中さん

くじらのしっぽ

第1話

わたしの名前は山中茂作。客先で設備一筋25年。 101歳の祖父の大往生を祝ったことを除いて、慶弔休暇すら取ったことがない。

欠勤、遅刻ゼロ。 毎朝8時40分出社、夕方5時30分きっかりに退社。

自分で言うのもなんだが仕事一筋で生きてきた。

おかげで、超エリートが多い常駐先でも、「山中さん。山中さん。」とわたしへの信頼は厚い。

今日もわたししか対応できない問い合わせが舞い込んで、業務時間中は大忙しだ。 わたしの活躍が目立ちすぎるせいか、わたしの上にやってくる上司たちは不甲斐なく、そしてあえなく現場を後にする。

現場はわたしさえいれば回るのだから、わたしを昇進させれば落ち着くのだ。 会社というのは現場を理解していないのだから、本当に困ったものだ。


「山中さん。お疲れ様です。ちょっといいですか?」

「おーお疲れ様です。」 かすれたうえに小さな声の持ち主は本社の黒田さんだ。

何か問題が起こるたびに、本社からやってくる。

問題などというのは、放っておけば時間が解決するというのに、心配性で神経質な男だ。その証拠に、指先がいつもどことなく震えている。


「本日から新しくこの現場に配属のマネージャ。」

「はじめまして。雲音(くもね)と申します。よろしくお願いいたします。」

「あ~。どうも。山中です。この現場は25年目です。」

「うわー。大先輩ですね。この業界は私は初めてなので、いろいろと教えてください。よろしくお願いいたします。」


ななななな…。何???業界初めてだと? わたしが長年勤めているこの現場は、スピードが第一だ。

そんな現場に不慣れな業界未経験の人間を配置するなど、会社は何を考えているのやら。

まったく、会社の成長やビジネスの継続を考えているとは思えない。


「あの~。こちら設備でよろしいですか?」

この客先は、毎月新入社員を迎える。

この若者たちは、たしか先週入社した新入社員だ。

こんな風に設備にはいつも客先の社員が問い合わせにやってきて、一日中大忙しだ。

「はい。そうですよ。何か用ですか?」

「昨日の夜メールしたんですけど、ロッカーが開かなくて。」

そういえば、メールが来ていたような。

「先週ロッカーを用意していただいたのですが、ロッカーを開けることができないんです。」

「あ~、まだ開かないんですか?それは困りましたねぇ。じゃあ、ちょっと一緒に行きましょう。マスターキーでわたしが開けるので行きましょう、行きましょう。」

「お忙しいところすみません。ありがとうございます!!」

「よかったね~。」「うん」

まったく。わたしがいないとロッカーすら開けられないなんて。

この現場は、わたしなしでは回らない。


「山中さん。私もお仕事を拝見してもよろしいですか?」

この新任マネージャ、わたしから仕事を吸収しようとは。心構えはまずまずなようだ。

「いいですよぉ。じゃ、一緒に行きましょう」

マスターキーを差し込んで、回転と。

このロッカーはダイアルロックだが、マスターキーを差し込めば解錠番号が分からなくてもすぐに解錠することができるのだ。

「はい。これで大丈夫ですよ。」

「ありがとうございます。お忙しいところすみませんでした。ちなみに、この解錠番号って、何番ですか?」

「え~っと。いまダイアルが合っている番号ですね。」

「あ~。そうなんですね。これって、自分で番号決めることできないんですか?」

「できないっすね。この番号で使ってもらうしかないですねぇ。また開かなかったらメールしてください。わたしがマスターキーで開けるんでぇ!」


またこれで、この社員たちも、わたしのサポートなくしては仕事ができない。

わたしはなくてはならない存在だ。

新人マネージャも、わたしの対応に感服したのか、眉間にしわを寄せて何かを考えこんでいるようだ。

「山中さん。サポートありがとうございました。ロッカーの配置や管理も設備のタスクなんですね。勉強になりました。」

それはそうだろう。なにせわたしはこの道25年。この現場にはわたしさえ居ればよい。新人マネージャ雲音さんの出る幕など、ふっ。この現場にはない。


「山中さん。さきほどのようなケースは頻発しますか?」

「あー。そうですね。あの人たち、自分のロッカーの番号すぐ忘れちゃうんですよぉ。」

「そのたびに、山中さんがマスターキーで解錠なさるのですか?」

「はい。そうですね~。」 この人は何を言いたいんだ?

「このロッカーは前に使っていた人はいますか?」

「ああ、はい。退職者のロッカーの使いまわしですよぉ。」

「なるほど。ロッカーのダイアルロックはそのたびにリセットされていますか?」

「ああ、してないです。」

「ダイアルロックの番号の通知は?」

「あああ、してないですねぇ~。」

雲音さんとわたしの間に雲が現れる。


「なるほど。そしたら、彼らが忘れちゃったじゃなくて、番号をそもそも知らないワケだから、新しくロッカーを受け継いだ人はどうやってダイアルロックの番号が分かるんですか?」

暗い雲が押し寄せる。

「ロッカーの場所だけを案内して、新入社員がロッカーに行く。 開いた状態のロッカーのダイアルロックが例えば1234となっているのを見る。そして『これはこのロッカーの解錠番号だ!』と本能的に察知して覚えなくてはいけないということですか?」

ななななーーーーっ!

「山中さんは、案内されたロッカーについて何の説明もなく、そこに放置されたロッカーのダイアルロック番号がそのロッカーの解錠番号だって、本能的に想像できますか?」

「ああああ、できないですねぇ。」

「できないですよね?そしたら、相手もできませんよね~?」

「…。」

「それに、『番号は自分で設定できない』とおっしゃってましたけれど、本当ですか? もしそうなら、すべてのロッカーが(変更不可能な)デフォルト番号で設定されていることになりますが、その番号の管理リストは?」

ななななっ!

「そんなはずないですよね。通常こういったロックはすべてが0000で設定されていて、番号設定方法の説明書がメーカーから展開されているはずです。それはどちらにありますか?」

「もう無いかもしれないですねぇ…。」

「紛失してるのであれば、それでも結構です。メーカーに問い合わせする、あるいは、ネットで検索していただけますか?」

「わかりましたぁ。」

「あと山中さん、さっきまだ開きませんか?っておっしゃってましたけど、番号をそもそも知らないのに、開けられないですよ。1万通り試すほど人は暇じゃない。時間かけて解決するものとそうじゃないものありますから、こういうのはまずは無駄な時間をかけないようにちゃんと事前に案内を出せば、山中さんご自身もマスターキーで解錠しに行く手間を省けませんか?」


わたしの名前は山中茂作。設備一筋25年。わたしなしにはこの現場は回らない。

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