第16話 明日に向かってパンチを放て!(前編)

もしも誰かが、気づかないうちに、

ほかの生き物の命を奪ってしまって、

それをたまたま、神様が見ていたとしたら?

その人は地獄行きの切符を、切られたと思っていいかもしれない。

たとえ小さな虫を、一匹殺したとしても。

命に大きい小さいは関係ないのだ。

まじめに生きてきたのに、死んだら、なぜか地獄に落ちるのは、

そうした事情による。

不運としかいいようがないが、その地獄界から、全く出られないわけではない。

救済措置はちゃんとある。

いわゆる、蜘蛛くもの糸みたいなものだ。


長々とした説明よりも、今まさに良いタイミングで、地獄脱出のチャンスが巡ってきた。


分厚い雲が、空一面に広がったかと思ったら、

なにかがパラパラと、勢いよく降って来た。

雨でも、アラレでもない。

無数の豆だ。

豆には様々な色があった。

赤・青・黄色・緑・紫……全部で十二色。

それが地面に落ちるや否や、たちまち芽を出し、広く根を張り、天を突く巨大な豆の木に成長した。

赤い豆は赤い木に、青い豆は青い木に、黄色い豆は黄色い木になった。

普段の景色が、一変した。

地獄界の地面の、あちらにも、こちらにも、赤い木、青い木、黄色い木……カラフルな十二色の豆の木が、何本も林立する。

まるでテーブルの上に色鉛筆を立てたような景色だ。

人々は我先に、近くの木に駆け寄った。

「さあ、登ろう!」

「地獄から脱出だ!」

あの人も、この人も、太い豆の木の幹にしがみついて、上を目指して、一斉にのぼり始めた。

そうした様子を、エレナは呆然と眺めていた。


片桐かたぎりエレナ、二十二歳。

バイク事故により、死亡。

まだ地獄界に来て、間もなかった。

エレナは恋人サチとの、デートの待ち合わせ時間に遅れそうだったので、バイクを飛ばしていて、カーブを曲がっている時に、センターラインをはみ出てきた対向車のトラックと正面衝突した。

気がついたら、地獄界にいた。


エレナはなぜ、自分が地獄に落ちたかわからない。

「なにも悪いことしていないのに」

と思っていた。

だが閻魔帳えんまちょうには、ちゃんと書いてあった。

『20××年○月○日※時※分、バイクの後輪タイヤで、ありを一匹踏み潰す。よって地獄行き』と。

たまたま雲の上から、地上を観察していた神様に、見られていたのだ。

エレナが知ったら、あまりの理不尽さに、怒り心頭に発するだろう。

たかが蟻一匹で?

世の中には、もっと悪い奴はごろごろいるってのに。

むしろ、そっちを地獄行きにすべきでは?

ただ、不条理に怒り嘆くよりも、

今まさに脱出の機会が訪れている。

さあ、豆の木をのぼれ、エレナ。

ジャックのように。


「あなた、なにぼんやり突っ立ってるの? 登らないの?」

と知らない女の人が心配して、エレナに声をかけてきた。

「えっ、登ってどうするんですか?」

エレナは理由がわからなかった。

「ここを出るには、あの木をのぼって、上に行くしかないのよ。さあ!」

女の人に手を引っ張られて、とにかく一番近くに生えている、白い豆の木に取りついた。

エレナは中学高校と陸上部で、運動神経には自信があった。

若いし体力もあるしで、すいすい登っていった。

ほかの人たちは、はじめこそ、威勢がよかったが、徐々に疲れが見え始めて、幹の途中で止まる者、木をつかむ手が離れて落下する者などが出始めた。

エレナはそんな人たちを尻目に、ぐんぐん登り、ついに雲の上に出た。

待っていたのは美しい女神だった。

「おめでとう、エレナさん。あなたがもっとも早かったわ。

私は『天界の十二神』の一人『氷神こおりがみ』です。

あなたはたった今から、私の弟子となりました。

さあ、行きましょう。私の住まい南極へ」

「きゃっ!」

エレナが悲鳴を上げたのは、突然、足下の雲が動き出したからだ。

まるで孫悟空の筋斗雲きんとうんみたいに、雲は氷神とエレナを乗せて、大空を横切り、南極大陸にやってきた。

「さあ、着きましたよ。エレナさん。今から365日間、私のもとで修業に励むのです」

なんのことやらさっぱりわからないエレナだったが、とにかくその時から、厳しい修行が始まった。


      ◇      ◇


氷神がエレナにした説明をまとめると、次の通りだ。

地獄界に生えた十二色の豆の木には、色ごとに『天界の十二神』がついていて、最も早くのぼり切った者を弟子として、一年間そばに置き、闘技会のための修業をさせる。

つまり選ばれた十二人が、『天界の十二神』それぞれのもとで、戦いの技を磨いた後、ガチで対決するわけだ。

闘技会は、天界の中央アリーナで行われる。

そこでトーナメント試合をして、優勝者はどんな望みでも叶えてもらえるという。

エレナは「修行の後、アリーナで対戦なんて……なんか、どこかで聞いたような話ね」と思ったが、似たような筋の話は、少年マンガ雑誌などに珍しくない。

「もし優勝したら、生き返らせてもらえるの?」

「もちろんです」と氷神が言った。

神の力で、バイク事故をなかったことにさえできるらしい。

「じゃあ、サチとまた会えるのね」

「はい。神に二言はありません」

落ち込んでいたエレナの心が高鳴る。

既に起きてしまったことを嘆いても始まらない。

『これはチャンスなんだ』と、前向きに考えることにした。


さて、修行は想像を絶する厳しさだった。

凍った氷の下を息継ぎもなしに、十キロも泳ぎ続けるとか、

素手で分厚い氷に穴をあけるとか、

氷河の上でダッシュ千本とか、

南極大陸一周マラソンとか、

尋常ではなかった。

とにかく一度死んでいるから、どんなにきつい修行であっても、決して死ぬことはない。

ただつらさと苦しみがあるだけだ。

エレナは大好きなサチに会いたい一心で、修行に耐えた。

愛さえあれば、どんな苦しみにも耐えられる。

それを証明するかのように。


      ◇      ◇


生前エレナとサチは、恋人同士だった。

その日のデートは、花火大会の予定だった。

見晴らしの良い、とっておきの場所で、サチと並んで花火を楽しむはずだったのに。

鏡の前で洋服を選ぶのに思いのほか時間がかかったせいで、遅刻しそうになった。急いでバイクのスピードを上げた結果、交通事故に……

サチと一緒に行きたいところは、まだいっぱいあった。

バイクの後ろに乗せて、二人で旅がしたかった。

『日本一周しよっか』

デートの時、そんなことをよく語り合った。

「サチ、今頃、どうしているんだろう……あれほど、バイクは気をつけてって、心配してくれたのに。

いくら相手のトラックが悪くたって、死んじゃったのは、こっちなんだから。

もっと気をつけるべきだったな……」

いろいろ考えると、後悔の念が募って、泣けてしまう。

エレナはよくサチの夢を見た。

そんな時は、眠ったまま、涙を流していて、朝起きると、南極の寒さのせいで、まぶたが凍ってしまい、溶かさないと目を開けられなかった。

「サチ、待ってて。わたし、修行をがんばって、また人間界に帰るから」

サチの笑顔が脳裏に浮かんだ。


そしてついに、365日目がやってきた。

「今日が最終日です。エレナさん。これまでの修行の成果を、私に見せてくれませんか」

「わかりました」

雲に乗って眺める氷神の前で、エレナは南極海に浮かぶ巨大な氷山の上に仁王立ちになり、足元めがけて、鋭いパンチを放った。

「エイッ、ヤァーッ!」

掛け声と共に、右の拳が真下に突き下ろされた。

ちょうど空手の瓦割りの格好だ。

素人目には、たった一発のパンチに見えたはずだ。

しかし超高速度カメラでさえ、とらえ切れないほどのハイスピードで、一瞬のうちに、千発ものパンチが繰り出されていた。

次の瞬間、氷山に足元から大きくヒビが入ったかと思うと、木っ端みじんに砕け散った。

パンチに伴う凄まじい冷気のウェーブが、拳のパワーを何千倍にも増幅させて、固い氷を粉砕したのだ。

エレナは氷の飛び散る勢いを利用してジャンプし、氷神の乗る雲の上に飛び移った。その身軽さも、もはや常人離れしている。

「すばらしいです。見事な仕上がりですね。これなら、優勝できるかもしれませんよ」

氷神は満足して、

「エレナさん、あなたが優勝すれば、私も十二神のトップに立てるのです。がんばってくださいね」とエレナの肩をポンとたたいた。


      ◇      ◇


366日目。

エレナは氷神の雲にのせられて、天界の中央アリーナの上空へやってきた。

「着きましたよ、エレナさん。足下に見えるのが中央アリーナです」

真下に巨大な石造りの円形闘技場が見える。

美しいアーチが並ぶ、ローマのコロッセオみたいだ。

エレナと氷神は、ゆっくりとアリーナの中央に降下した。

世界のあちこちから、エレナと同じく神々のもとで一年間の修行を積んだほかの十一人の弟子たちも次々と集まってくる。

闘技場をとりまく観客席は、すでに大勢の客で、ガヤガヤとひしめいている。

なんと客たちの多くは、人の姿形をしていない。

名も知れぬ地方神をはじめ、妖怪変化、魑魅魍魎ちみもうりょうの類まで、さまざまな神的、霊的、もののけ的な存在なのだった。

「すごい……」

エレナが目を丸くしていると、氷神が、

「驚きました? エレナさん。

今からあなたが出るトーナメントは、天界でも屈指の大イベントなのです。

いえ、緊張することはありませんよ。

いつも通りにやれば、勝てるはずですから」

と言った。

「はい、全力を尽くします」とエレナは答えた。

「あ、そうそう、忘れるところでした。エレナさんに、装いをつけてやらないと」

氷神はそう言うと、右の掌をエレナの頭上にかざした。

エレナは一瞬光に包まれたかと思ったら、白銀のよろいに身を包んだ、立派な戦士の姿になった。

頭には見事に装飾されたきらびやかなかぶとをかぶった。

兜には顔面を守る金属製のマスクもついていた。

「これは……」

エレナは驚いた。

「良く似合いますね。そのマスクは外さないでください。

相手に表情を読み取られたら負けです。

あくまでもポーカーフェイスでいなければなりませんよ」

一見重そうな鎧兜だが、厳しい修行を積んだエレナにとっては、シルクの布よりも軽いくらいだった。


      ◇      ◇


開会式が始まった。

壇上で挨拶するのは、現在、十二神のリーダーである焔神ほむらがみだ。

その前にずらりと整列する、重厚な鎧に身を包んだ十二人の戦士たち。

ここへきて、初めてわかったが、なんと出場者は皆、女性のようである。

たまたまそうなったのか、敢えて女性だけが選ばれたのか、わからないけれど。

とにかく、相手が男だろうが女だろうが、眼前の敵を倒すだけだ。

戦士たちは皆、闘志をみなぎらせているはずだが、装着した鎧兜とマスクによって、それは内側に隠されている。

出場者はそれぞれに、神々の弟子となって、一年間の修行に耐えた十二人。

優勝者のみ、どんな希望も叶えてもらえる。

これ以上の褒賞があるだろうか。


『天界の十二神』は次の通りだ。


1 旭神あさひがみ 夜明けの神で、昏神くれがみとは対である。

2 氷神こおりがみ 氷雪を司る極地の神。

3 猟神かりがみ 狩猟を司る野獣の神。

4 暦神こよみがみ 四季や暦の神。気まぐれで人を惑わす。

5 愁神うれいがみ 人の心の浮き沈みを司る神。

6 蜃神みずちがみ 幻を見せる幻惑の神。

7 颶神あらしがみ 自然の猛威と恩恵を司る神。

8 闘神いくさがみ 戦い、戦争の神。

9 艶神つやがみ 美と芸術を司る神。

11 虚神むなしがみ  魂を喰らう闇、虚無の神。

12 焰神ほむらがみ  炎と鍛冶の技を司る神。

13 昏神くれがみ  日没を司る神、旭神と対。


トーナメントの対戦相手は、前回大会の結果から、決められる。

シード権を有するのは前回上位の、焔神ほむらがみ、氷神、愁神、蜃神みずちがみの四神。

さあ、いよいよ、戦いの幕が切って落とされた。

興奮と歓声渦巻く闘技場で、まず初めに、対峙したのは、艶神と猟神かりがみの弟子だ。

※以下の試合の解説は、十二人の戦士について、〈艶神の弟子〉、〈猟神の弟子〉と表すべきところを、基本的にそれぞれに師事した〈神の名称〉で示す。

例:艶神の弟子→〈艶神〉


◇      ◇


「やっぱり、アタシが十二人の中で、最も美しいわ。とくと味わいなさい、美の魔力を!」

〈艶神〉は、そんな言葉を投げかけるや否や、なんといきなり、鎧と兜を脱ぎ捨て、下着姿になった。

突然の奇行に、会場がどよめく。

マスクを取った顔は、妖しいまでの美貌をたたえ、体躯はといえば、透き通るような白い肌の見事なプロポーションだ。かろうじて秘部を覆うだけの赤い下着姿に、相手の〈猟神〉は唖然としたようすで、動くことができない。

これぞほんとの〈勝負下着〉だ。

「さあ、どこからでも、かかっておいでなさい」

と言って、両腕をだらりと下げて挑発する。

からかわれたと思った〈猟神〉が、

「両手だらりのノーガードとは、なめたマネを。キサマに明日などない!」

と叫びつつ、〈艶神〉に向かって突進。

〈艶神〉は、それを身軽にひらりとかわす。

さすがに動きが軽やかで美しい。

いくら体力があって鎧の重さは関係ないとはいえ、やはり、鎧を脱いだ〈艶神〉の方が、動きは軽くて速い。

〈猟神〉が何度突進しても、そのたびに、右に左にうまくかわされてしまう。

観客たちは、艶めかしい〈艶神〉の下着姿に、目が釘付けだ。

〈艶神〉は、ただ攻撃をかわすだけでなく、意識してか、しないでか、いちいちエロいポーズをとるものだから、観客の中には、鼻の下を伸ばして見ているうちに、鼻出血して、卒倒する者まで現れた。

艶神つやがみ〉は観客の心を虜にして、客席すべてを味方につけた格好だ。

こうなると、試合の流れは〈艶神〉に傾く。

猟神かりがみ〉の動きには、だんだん焦りが見え始めた。

「ええい、こうなれば、ワタシもッ!」

〈猟神〉もまた重い鎧を脱いで、下着だけになった。

こちらも〈艶神〉ほどではないにしろ、美しい。

いや〈艶神〉が美しすぎるから、どうしても見劣りしてしまう。

〈猟神〉は、美貌も〈艶神〉に及ばないことを露呈した形となり、悔しさに歯ぎしりしつつ、両手を胸の前に合わせ、なにやら呪文のような言葉をつぶやいた。

たちまち〈猟神〉の姿が黒い煙に包まれた。

煙幕のようだ。

煙が風に流れて、姿を現したのは、一匹の巨大なイノシシだった。

農家の畑を荒らすなどする、ただのイノシシではない。

まず大きさが五倍はあって、動く山のようだ。

目は真っ赤に光り、するどく長いキバが四本もあって、化け物のように恐ろしい。

普通の人間なら、見ただけで気を失ってしまうほどだ。

いうまでもなく、師匠譲りの変化の術で化けた〈猟神〉である。

その化け物イノシシが、文字通り猪突猛進ちょとつもうしんで〈艶神〉に襲い掛かる。

鋭利な刀のような牙に突き刺されたら、ひとたまりもない。

「まったく、突進しか知らない、かわいそうなケモノね。さっさと〈もののけの太古の森〉へおかえり」

揶揄やゆしつつ、〈艶神〉は余裕で構え、度重なる突進攻撃を、まるでスペインの闘牛士のように、体スレスレの絶妙なタイミングで回避する。

よけるたびに、観客たちは『オオオォ―ッ』歓声をあげる。

醜い野獣の猛々たけだけしい体当たり攻撃を、しなやかな動きで回避する下着姿の妖艶な〈艶神〉。

両者のコントラストが、実に絵になる。

最高のショーだ。

「さて、遊んでばかりいても、しかたないわ。この辺でそろそろ決着をつけましょう」

と〈艶神〉は言った。そしてぐっと握った右の拳を前に突き出した。

それを徐々に開くと、たなごころから、『ビュルルッ』っと、長いムチが現れた。表面には鋭い棘が無数についている。

「うふふふ、美しい薔薇には棘があるってね。しかもアタシのは猛毒入りの棘。

このムチをまともにくらって倒れなかった者はいないわ。

「くッ、ふざけるなッ! 八つ裂きにしてやる」

〈猟神〉化け物イノシシは、〈艶神〉の挑発の言葉に、怒り心頭に発し『ドドドド……』と、更に大きな足音をとどろかせ、突進してきた。

化け物イノシシとの距離が、目と鼻の先に迫ると、〈艶神〉は、相手の突き出た鼻先めがけて、「えいッ、やあッ!」と、思い切りムチを振り下ろした。

ムチは狙い通り、化け物イノシシの鼻先をしたたかに打った。

弱点の鼻先をまともに打たれた化け物イノシシは、あまりの痛さにうめき声を上げ、もんどりうって、倒れてしまった。

『ズシーン』と重い音が響いて、アリーナが揺れた。

化け物イノシシは、自分の攻撃が読まれていたことを知った。

悔しくて、なんとか起き上がろうとするも、棘の毒がまわって、体が痺れて動けない。

アリーナに横たわった巨大な姿は、みるみる縮んで、もとの〈猟神〉に戻った。

勝利の女神は〈艶神〉に微笑んだ。

観客席に大歓声が、巻き起こった。


《※ 後編へ続く》

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