第16話 思い出の問題

翌朝、食堂に降りると、ミーナが少し悲しそうな顔でテーブルを拭いていた。

「おはよう、カイさん」

「おはよう、ミーナ。どうかしたのかい?」


僕が尋ねると、彼女は唇を尖らせた。

「……昨日ね、お友達が、ミーナの大事なガラス玉を黙って持っていっちゃったの。後で返してくれたけど……」

ミーナは僕の顔を見上げた。その純粋な瞳が、答えを探すように揺れている。

「ねえ、カイさん。どうして人は、他の人のものを黙って持っていっちゃうのかな? 悪いことだって、分ってるはずなのに……」


その問いに、僕の胸がちくりと痛んだ。故郷で「化け物」と罵られ、逃げ出した経験が、冷めた答えを囁きかける。人は欲深くて、平気で他人から奪うものだと。でも、目の前のミーナにそんなことは言えなかった。

「……そうだな。僕にも、よく分からないよ」

僕は、曖昧に微笑むことしかできなかった。


朝食を終え、僕は冒険者ギルドへ向かった。受付で声をかけると、受付嬢が待ってましたとばかりに一枚の羊皮紙を差し出した。

「カイさん、お待ちしていました。あなたに指名依頼が届いています」


「指名依頼? 僕にですか?」

僕は思わず聞き返した。

「この街に来てまだ日も浅いのに……人違いでは?」

「いいえ、間違いなくカイさん宛てです」

受付嬢はにっこりと微笑んだ。

「カイさん、もう有名ですよ。『月長石の髪飾り』の一件以来、『どんな失くしものも見つけ出す名人』だって、もっぱらの噂です」


(探し物の、名人……僕が?)

驚きと同時に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。この街で、僕の力が誰かの役に立っている。その事実が、素直に嬉しかった。


依頼人のいる場所へ向かうと、そこはアルメでも指折りの、高級な織物や香辛料を扱う大店だった。

名前と要件を告げると、豪華な応接室に通される。見たこともないような美しい茶器で、花の香りがするお茶が出された。僕はその場にそぐわない自分の服装が気になり、少しだけ緊張しながら、その透き通るようなお茶を一口飲んだ。頭から背骨まですっきりとする。


(すごいお茶だ)

これを飲んだら不協和音で頭痛やめまいに襲われた時もすぐに回復できるかもしれない。でも高いんだろうな。多分一杯の値段が僕の一日の生活費よりも高いな。きっと報酬も高いぞ。

高額な報酬は魅力的だが、それだけ難しい依頼であることは間違いない。少しだけ、尻込みしそうになる。

(いや、でも、せっかく僕を指名してくれたんだ。ここで断ったら、また元の孤独な旅人に逆戻りだ。やるしかない)

僕が覚悟を決めたところに、依頼主である恰幅の良い店のオーナーが現れた。


彼は、通常の依頼とは比較にならないほどの高額な報酬を提示し、依頼内容を語り始めた。

「数日前、この店の金庫室から、我が家に代々伝わるお守り『歌う石』が盗まれた」

金庫には荒らされた形跡が一切なく、彼は内部の者の犯行を疑っていた。


「だが、犯人を捕えてほしいわけではない。騒ぎ立てれば、店の信用問題に関わる。君に頼みたいのは、ただ一つ。金庫室に入り、君の不思議な力で、あの石が盗まれた時の記憶を聞いてきてはくれまいか。誰の足音がしたのか、誰の声がしたのか……犯人の正体さえ分かれば、あとは私が穏便に処理する」


(僕の能力のことを知っているのか…… 有名人になったものだ……)


物探しでありながら、物探しではない、奇妙な依頼。僕はそれを引き受け、金庫室へ案内された。

重厚な扉が閉められ、完全な静寂の中、僕は床に手を触れた。だが、分厚い絨毯が音を吸収し、記憶はひどくくぐもって何も聞き取れない。


(まずい……聞こえない)

焦りが、冷や汗となって背中を伝う。オーナーの期待と、高額な報酬が、重圧となって肩にのしかかる。僕は部屋の中を歩き回り、絨毯のない場所を探した。壁、扉、どれも記憶が薄い。

(どこか……もっと、強く記憶が残っている場所は……)

僕は、部屋の中央に鎮座する、金庫が置かれている重厚な石造りの台座に目をつけた。

(ここなら!)


僕が台座に手を触れ、耳をあわせると、数日前の記憶が流れ込んできた。

侵入者のものではない、静かで、ためらいがちな足音。金庫が開く音。そして、犯人が『歌う石』を手に取り、それに囁きかけた声。

《……奥様。旦那様が、あなたのために奏でた歌を、もう一度だけ……》

それは、僕の知らない、年老いた女性の声だった。


応接室に戻った僕は、オーナーにありのままを報告した。

「犯人は、年配の女性のようです。足音にはためらいがありました。そして、石を手に取ると、こう言っていました。『奥様。旦那様が、あなたのために奏でた歌を、もう一度だけ……』と」


僕の言葉に、オーナーは目を見開き、そして深く、深く息を吐いた。

「……そうか。やはり、彼女だったか」

彼は僕に少し待つように言うと、部屋を出て行った。しばらくして、年老いた侍女を連れて戻ってくる。

「カイ殿。この者の声か、確かめてはくれまいか。……すまない、何か一言」


侍女は、オーナーに促され、震える声で言った。

「……旦那様、申し訳ございません」

間違いない。あの時の声だ。僕が頷くと、侍女は堰を切ったように話し始めました。

「大奥様が……病に伏せられてから、ずっと……亡き大旦那様が奏でてくださった、あの『歌う石』の音色を、もう一度だけでいいから聞きたいと……そう、おっしゃっていたのです」


(思い出の問題だったか……ギルドへの報告はどう言おうかな……)


宿に戻ると、ミーナが一人で食堂のテーブルを拭いていた。僕は彼女のそばにしゃがみ込み、静かに語りかける。

「ミーナ、朝の話だけど……分かったかもしれない。人が他の人のものを黙って持っていくのは、そのものが欲しいからじゃない時もあるみたいだ」

「……どういうこと?」

「そのものに、すごくすごく大切な思い出が詰まっていて……その思い出に、どうしても、もう一度だけ会いたくなる時があるんだ。それは、正しいことじゃないかもしれない。でも、ただ意地悪でやっているわけじゃない時も、あるんだと思う」

ミーナは僕の言葉を完全には理解できないようだったが、もやもやした気持ちが少しだけ晴れたように見えた。


「……そっか」と、彼女は小さく頷いた。

僕は、人の心の複雑さを少しだけ学び、そしてそれを誰かに伝えられたことに、小さな救いを感じていた。

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