第13話 キラキラ、石を持ち上げて
翌朝、僕は依頼書に記された住所を頼りに、街の職人地区にある一軒の家を訪ねた。扉を開けてくれたのは、腰の曲がった、しかし目の鋭い老人だった。彼が依頼主の宝石職人、マティスさんらしい。
「冒険者ギルドから来たのかね。入りなさい」
彼は静かに僕を招き入れた。工房を兼ねた室内は、磨かれた石の匂いと、古い木の匂いがした。
マティスさんは、亡き妻の形見である『月長石の髪飾り』について、ゆっくりと語ってくれた。
「あれは、わしが若い頃、女房にはじめて贈ったものじゃ。
孫娘に譲る約束をしておったんじゃが……一月ほど前、街のどこかで落としてしもうてな」
彼は、その日に歩いた道筋を、地図に書きながら丁寧に説明してくれた。そして、髪飾りの細かな特徴を伝える。
「『月長石』はな、月の光を吸って、夜になるとほんのりと青白く光るんじゃよ。もし見つけたら、すぐに分かるはずじゃ」
(月の光を吸って、光る……。なるほど、夜光性なのか。夜ならすぐに見つけられそうだ。ずいぶん親切な宝石だな)
その言葉が、僕の頭の中に一つの重要な手がかりとして刻まれた。
僕はまず、マティスさんが歩いたという道筋を辿り始めた。石畳の道に手を触れ、意識を集中させる。
(……一月前の、杖をついた老人の足音…………見つけた……)
無数の人々の足音や馬車の轍の記憶が、重く、鈍い声の奔流となって流れ込んでくる。僕は心の中で詩を唱え、余計な声を遠ざけながら、か細い糸を辿るようにして、マティスさんの足跡だけを追っていった。
捜索は順調に進み、僕は彼が休憩したという川沿いのベンチにたどり着いた。
(ここで間違いない。道の記憶が、ここで一度止まっている)
僕はさらに深く、『道の声』に耳をあわせた。道は、事実だけを淡々と告げる。
《3本脚の足音……止まった……硬いものが落ちた……》
(つまり、落とし物の現場はこのベンチ周辺、ということか)
僕はベンチの周りをくまなく調べた。草むら、石畳の隙間。だが、陽光が川面に反射して眩しく、小さなものを探すには向いていなかった。何より、街のざわめきと川のせせらぎが混ざり合い、集中力が削がれていく。
(昼間探しても、見つからないか……。今日のところは、一旦退却だな)
一度宿に戻り、日が完全に暮れるのを待って、再び川沿いのベンチへ向かった。マティスさんの言葉を信じるなら、『月長石』は夜の闇の中で、自ら光を放つはずだ。
夜の川辺は静かだった。僕は目を凝らし、ベンチの周りで青白く光るものがないか探した。草むら、木の根元、石畳の隙間。しかし、月明かりに照らされるだけで、自ら光るものはどこにも見当たらない。
(どういうことだ? ここで失くしたのは間違いないはずなのに。誰か何持って行った?)
僕は次に、『風の声』に耳をあわせて光るものの噂を探した。
《……キラキラ、……石を持ち上げて……》
(石を持ち上げて……? そうか! きっと敷石の下に転がり込んだんだ!)
僕は周りの敷石を一枚一枚、注意深く調べ始めた。しゃがみこんで、怪しい隙間を見つけては指でほじくり返してみる。通行人が訝しげに僕を見ている気がするが、今は気にしていられない。
いくつかの隙間を調べた後、少しがたついている敷石を見つけた。
力を込めて持ち上げると、その下には……髪飾りではない、小さな布の包みがあった。
(これじゃない……。なんだろう、子供の歯? こんなところに……おまじないかな)
首を傾げた、その時だった。風が再び、今度はもう少しはっきりとした『声』を僕の耳に届けた。
《……鳥の巣……キラキラの石……》
(……そういうことか。鳥が《石を持ち上げて》巣に運んだってことか! 探すべきは敷石の下じゃなくて、鳥の巣の中……!)
僕は、その噂を囁く風が吹いてくる方向に、意識を集中させた。風は僕を誘うように、丘へと続く坂道の方から繰り返し囁きかけてくる。僕はその風を追い、街の裏道を抜け、丘へと続く坂道を登っていった。
丘の上には、月明かりを浴びて、何本かの大きな木が影を落としていた。
僕は目を凝らす。すると、一番大きな樫の木の、太い枝の間に、確かに、ぼんやりと青白く光る何かが見えた。
(あれだ!)
よし。場所は覚えた。また明日来よう。夜は巣に家主がいるだろうからね。自分の宝物を奪われるのを黙って見てはいないだろう。
翌朝、僕は覚えていた木の下にやってきていた。遠くから観察して、家主が出かけている事は確認済みだ。絶好の空き巣チャンス。
僕は外套を脱ぎ、木に登り始めた。枝をかき分け、上へ、上へと。やがて、光の源である鳥の巣にたどり着いた。
巣の中を覗き込むと、そこにはガラスの破片や、銀の食器、磨かれた石といった、家主の宝物が詰まっていた。そして、その中央で、銀の縁取りなら囲まれた、月のように青白い石の髪飾りがあった。
「……あった」
間違いない。『月長石の髪飾り』だ。
僕が髪飾りをマティスさんの元へ届けると、彼は震える手でそれを受け取った。言葉もなく、ただ皺の刻まれた指先で、月長石の滑らかな表面を何度も、何度も撫でている。その瞳は、髪飾りを通して、遠い昔の誰かを見ているようだった。
「……ありがとう。本当に、ありがとう」
絞り出すような声でそう言うと、彼はテーブルの上の依頼書に、インクをつけたペンでサインをしてくれた。
宿に戻った僕は、ギルドでもらった報酬の銀貨をテーブルの上に広げる。それは大金ではないけれど、誰かを助けて成し遂げた仕事の証が、そこにはあった。
「なあ、相棒」と、僕は動かないゴーレムに語りかける。
「悪くない一日だったな。君の心臓石には、まだまだ足りないけど……でも、一歩ずつだ」
僕は、自分の力で未来を切り開いていけるかもしれないという、小さな、しかし確かな手応えを感じていた。
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