第1章 聖女召喚

第1話 間違った召喚

 大理石に描かれた大きな魔方陣を見つめながら、1人の青年がごくりと唾を飲み込んだ。


(どうか、この国の光となる者が現れてくれ)


 教皇ヨーゼフが杖を天に掲げると、魔方陣がわずかに煌めいた。


「これより、聖女召喚の儀を執り行います」


 魔方陣は淡い光を放ち、足元の空気が震えた。

 しだいに風が吹きはじめ、青年の頬をかすめる。


(これが成功すれば、俺の立太子も認められるはずだ。)


 金髪に美しいエメラルドの瞳をもつこの国の第一王子、レオンハルトは心の中でそうつぶやき、徐々に輝きを増す光に負けないよう目を凝らして聖女が現れるのを待った。


 やがて強い光が落ち着くと1人の女性の影が見え始め、レオンハルトはここぞとばかりに大きな声で宣言した。


「よく来たな聖女よ!この私、エーデルシュタイン王国第一王子、レオンハルトの妃となるのだ!!」


 光がはじけ飛び、あたり一面がキラキラと輝く。

 そこに立っていたのは――2人の異世界人だった。


 1人は黒い髪を肩の下で切りそろえた小さな少女。質素なワンピースをまとい、大きな黒い瞳をきょろきょろと動かしている。


 もう1人はゆったりとした上下おそろいの濃紺の服――胸元には見慣れない文字のような模様が白の糸で縫い付けられた、作業服にも見える奇妙な装いの若者だった。


 王子は思わず息をのんだ。


「聖女が2人!?いや、1人は……なんだあの服は?少年、か?」


 戸惑っているはずなのに、視線が離せない。

 予想外に2人召喚してしまったためだろうか。

 レオンハルトの胸の奥が、かすかにざわついた。


「……カリンっ!」


 作業服の若者は少女に駆け寄り、守るように抱きしめた。


「ここは……?えっと、部活が終わって、カリンとスーパー行って、それで……えっ?なんでこんなところにいるの……?」


 若者は状況を整理してみたが答えは見つからず、先ほど偉そうに大きな声を出した金髪の青年をまっすぐ見つめて恐る恐る尋ねた。


「……ここはどこ?なんで私たちはここにいるの?」


「ようこそエーデルシュタインへ。私は第一王子のレオンハルト・フォン・エーデルシュタイン。この国の未来のため聖女召喚の儀式を行ったところ、君たちがこの国に召喚されたのだ」


「……召喚?聖女?あ、夢?……じゃないか」


 若者は自分のほっぺをつねってみた。

 間違いなく本物の痛みが走り、今の状況は現実だと再確認した。


「殿下。どうやらあの小さいお嬢さん、リン様?が聖女のようです」


 教皇が王子に耳打ちすると、王子は目を見開き、口をあんぐりと開けて大きな声を上げた。


「あんな小さいのが聖女だと!?」


「カリンが……聖女?」


 若者は眉をひそめながら、愛らしい丸く大きな目を細めた。


「はい、リン様ではない方のお方は、中級神官程度の神聖力しか感じられませんので聖女ではないでしょう。

 私の召喚陣に間違いはなかったと自負してはいるのですが……おそらく、何かの拍子に一緒にいた方が“ついで”に召喚されてしまったのかと……」


「カリンだよ!」


 まだ何が起きているのか理解していない幼い少女は、胸を張って訂正した。


 その横で若者は、妹の手をぎゅっと握りしめながら、「そこじゃない、そういう問題じゃない」と小声でつぶやいた。


「聖女も何も、あっちは男だろう?ついでに呼んでしまったのなら、元の世界に送り返すことはできるのか?」


(あの王子、今、男って言ったか?)


 若者もとい少女はちらりと自分の学校指定ジャージを見てから、鋭いまなざしで王子をにらみつけた。


「残念ながら、一度召喚されたらもう戻すことはできません。2人とも、生涯この国で生きていくことになります」


「そうか。聖女ではない者は必要ないな。……ではそちらの者、ここを立ち去ってもいいぞ」


「はぁ!?」

 少女はイライラを爆発させ、王子に向かって声を荒げた。


「小さい妹を残してどこかに行けるわけがないじゃない!あんたたちが悪い人かもしれないのに!」


「なっ、私は悪い人じゃない!この国を思う、立派な王子だ!」


 レオンハルトは背筋を伸ばし、胸を拳でトンと叩く。


「勝手にこんなところ連れて来ている時点でいい人じゃないじゃない!何言ってんの!?」


「……だ、だから悪いと思って、お前は出て行っていいって言ったんじゃないか」


 レオンハルトは、唇を噛みしめ、涙で少しうるんだ目を鋭くさせて睨む少女から気まずそうに視線をそらした。


 2人の言い合いが止まり、何とも言えない静寂がその場に響いたその時、聖女カリンがつぶやいた。


「ねぇね、ここはどこ?」


「ここは……そうだよね。えっと、なんて言えばいいんだろう……」


 少女は、まだ8歳の妹になんと答えたらよいのか考えあぐねていると、教皇ヨーゼフがゆっくりと近づき、優しく声をかけてきた。


「急に連れてきて申し訳なかったね。私は聖女召喚の儀を執り行った、この国の教皇をしているヨーゼフと申します。

 このエーデルシュタインという国は、君たちのいた世界とは違う世界にある国なんですよ」


「違う国に来たの?」


「そうです。そして、カリン様は聖女という、とっても大切な存在なんです。聖なる力で人々を癒したり、誰かを守ったりする力があるのですよ」


 カリンは興味なさげに「ふーん」と言って、姉である少女にくっついた。

 教皇はカリンに笑顔を見せると少女に向き直り、突如頭を下げた。


「勝手なお願いではあるが、この国のため、どうかカリン様を私に預けてもらえないでしょうか。聖女様が神聖力を使いこなすには修業が必要で……もちろん、小さな体に無理はさせません。どうか、お願いできないでしょうか」


「急に言われても、やはりあなた方が良い方かわかりませんし、この子には私がいないと……」


 少女が目を伏せて教皇から視線を逸らすと、腰に抱きついている妹にちょんちょんと肩をつつかれる。


「ねぇね?わたし、魔法が使えるんでしょ?それならやってみたい!」


「だ、だめ!カリン!ここにいる人たちが悪い人たちかもしれないんだよ?

 もしかしたら、私たちを離れ離れにして悪いことをしようとしているかもしれないんだよ?」


 少女は眉を下げると、優しくカリンの頭を撫でた。


「そっか……ねぇねがそう言うならなら、やめとく」


 寂しそうな顔をしてぎゅっと少女にしがみつくカリンを見ていたレオンハルトは、少女に向かって口を開いた。


「ネーネ、お前、やっぱりここを去れ」


「は?ネーネ?……って私?」


「今そう呼ばれていただろう。ネーネがいると、聖女の修行の邪魔になりそうだ」


 少女は唐突な“この国を出ていけ”発言に腹が立ったが、すぐに召喚された直後のことを思い出し、カリンをぎゅっと強く抱きしめ、レオンハルトをまっすぐ見つめた。


「今、私が、邪魔っていったよね?……そういえばさっきあんた、聖女を妃にするために呼んだとかなんとか言ってたけど、もしかしてそういう目的で私に出て行けって……

まさか、この人ロリコン……!?」


「なっ、ロリっ!?ち、ちがっ、何を言うんだ!」


 レオンハルトは両手を大きく振り、慌てて否定した。


 ネーネのつぶやきは決して大きくはなかったが、シンとした広間にいる人々にはしっかりと届いたようで、王子の側近たちは下を向いて笑いを堪えている。


 ネーネは、チベットスナギツネのような、感情の読めない目でじっと王子を見つめた。


 その無言の圧に、王子は何とも言えない気持ちが胸に広がり、ただ「違う!」と言うことしかできなかった。


 2人がまた火花を散らしそうになったその瞬間、壮年の男性がネーネの前に現れ、うやうやしく一礼した。


「聖女カリン様、ネーネ様、私は宰相のクラウスと申します。急なことで戸惑われるのはごもっともでございます。

 こちらではなんですから、ひとまず移動されるのはいかがでしょうか。お部屋を用意してありますので、まずは少し休んで落ち着かれてから再度説明させていただけないでしょうか」


 ネーネはひとまず宰相の提案に乗ることにしたものの、しぶしぶ案内されている最中もしっかりレオンハルトにガンを飛ばし続けた。


 扉が閉まる音が響き、広間には静寂が戻る。

 顔を真っ赤にした王子は、おもむろに頭をかきむしった。


「……なんなんだ、いったい!」

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