第19話 名前のない愛、春にほどけて
春の陽射しが柔らかくキャンパスを照らす。
桜の花びらが舞い、歩道に薄いピンクの絨毯を作っていた。
蓮は講義を終え、資料を抱えながら校舎裏手の桜並木を歩いていた。
風に揺れる花びらに、数年前の冬の記憶がふと蘇る。
雪の夜、手を握り合ったあの感触、名前のない愛の痛み……。
歩いていると、視界の端に見覚えのある二人の姿が入った。
手をつなぎ、肩を寄せ合いながら歩く梨乃と真冬。
桜のトンネルの下、花びらに囲まれて笑い合う二人。
──あの二人……
胸の奥がぎゅっと締め付けられ、懐かしい痛みと温かさが同時に押し寄せる。
届かない愛でも、こうして存在した証を目の前で見ている——そんな思いが、静かに胸を満たした。
蓮は少し離れた場所から二人を見守る。
真冬が梨乃の髪をそっと撫で、梨乃は自然に頭を寄せる。
二人の微笑みと柔らかな触れ合いが、春の光に溶けていく。
──幸せそうだ。
歩きながら、真冬が梨乃の手を握り直す。
「手、冷たくない?」
「ううん、大丈夫」
少し赤らんだ頬、柔らかな手の感触に、蓮の胸は小さく痛むが、温かさも感じる。
桜の花びらが舞い、二人の影が寄り添いながら伸びる。
肩に手を添え、手を握り、歩幅を合わせて歩くその姿は、まるで春そのものの幸福を体現しているかのようだ。
蓮は心の中で小さくつぶやく。
──幸せでいてくれれば、それでいい。
──名前のない想いも、届かなくても、確かに存在していた証として、心に残っている。
二人は小さな橋の上で立ち止まり、真冬が梨乃の肩に手を添える。
梨乃も自然にその肩に頭を寄せる。
軽く抱き寄せる仕草に、蓮の胸は痛むが、同時に温かな幸福感が広がった。
「……やっぱり、春っていいね」
梨乃の声は柔らかく、心からの笑みが溢れている。
真冬も頷き、肩を寄せたまま微笑む。
蓮は少し距離を取りながらも、心の中で静かに祈る。
──二人を、ずっと幸せに。
──名前のない想いも、過去の痛みも、今の幸福を見守るためにある。
桜の花びらが舞い散り、光に反射してきらきらと輝く。
二人の手は離れず、肩は寄せ合ったまま歩き出す。
蓮はその背中を見守り、静かに微笑む。
──もう、手を伸ばすことはない。
──でも、確かにあった愛を、胸に抱いて歩こう。
二人が歩き去る間、蓮は春の風を感じ、花びらに手を伸ばす。
過去と今が交差するこの瞬間、心は穏やかに満たされる。
届かない愛も、名前のない想いも、すべてが春の光の中で静かに輝くのを、蓮は確かに感じた。
桜の香りが満ちる中、蓮は微かに笑みを浮かべる。
──おめでとう。
──そして、ありがとう。
過去の愛、届かない想い、名前のない愛——すべてはこの春に包まれ、確かに存在した証として心に刻まれた。
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