第14話 名前のない愛

冬の朝、列車は白銀の世界を走っていた。

窓の外に広がる雪景色は、静かで、どこか懐かしい。

冷たい空気が窓ガラスに触れ、細かい結晶を描く。


蓮は窓際の席に座り、手元のノートをぼんやりと眺めていた。

ページにはまだ整理されていない文字が散らばる。

──「名前のない愛」


胸の奥で、過去の記憶が静かに疼く。

思い出すのは、幼い頃の夏の日差し、笑い声、そして――

梨乃の顔。


思い出すたび、胸が締め付けられる。

でも、今の梨乃は、真冬と一緒にいる。

その温もりを知っているからこそ、蓮は静かに、しかし確かに決めていた。


「……大丈夫、もう、彼女は幸せだ」

そう自分に言い聞かせる。


列車が海辺の町に近づく。

駅に降り立つと、冬の潮風が冷たく頬を撫でた。

雪に包まれた小さな町は、どこか懐かしく、静かで、蓮の心を少しずつ落ち着かせる。


砂浜には雪が積もり、波が白く砕ける音だけが響く。

子供の頃、友達と駆け回った海辺の記憶が、ほんの一瞬、胸を温めた。

──あの頃も、笑ってたな……

そして、あの笑顔の延長線上に、梨乃の笑顔がある。


蓮は小さな宿に荷物を置くと、窓際に座り、日記帳を開いた。

ペン先を握る手は少し震えている。

過去の恋のことを書き留めるためだ。


「名前のない愛……」

自分でつけたタイトルを見つめながら、蓮は過去の感情を整理する。

愛した人が今、別の人と幸せであることを知りながら、それを静かに受け入れる痛み。

でも、その痛みの先にある安らぎも確かに感じる。


日記に文字を刻むたび、心は少しずつ落ち着いていく。

雪は窓の外で舞い、静かに町を白く染めていた。

白銀の世界は、過去を洗い流すようであり、同時に思い出を凍らせるようでもある。


窓の外を見つめる蓮の心に、ふと温かな光景が浮かぶ。

雪の中で手をつなぐ梨乃と真冬。

笑い合う二人の影。

その温もりを知っているからこそ、自分はそっと後ろに下がる。


雪が降り積もる静かな海辺の町。

冷たい潮風が頬を撫でるたび、蓮の胸の奥に過去の痛みが静かに揺れる。

それでも、心のどこかで安心していた。

──彼女たちは幸せだ。

──それが、僕の祈りであり、愛の形なんだ。


夕暮れが近づき、雪に染まる町並みが橙色に光る。

波の音と雪の静寂が、蓮の心に穏やかな余韻を残す。

日記に綴る言葉は、過去の愛の証であり、未来への静かな希望でもあった。


その夜、宿の小さな灯りの中で、蓮はペンを置いた。

外は雪が止み、月明かりが海を銀色に照らしている。

静かで、温かくて、少し切ない冬の夜。


──愛の終わりは、こうして静かに祈るものなのだと、蓮は思った。


窓の外、海辺に残る足跡は誰のものでもない。

だが、心の中には確かに、過去の愛が、そして今の祈りが積もっていた。


雪はまだ舞い、町を白く包む。

蓮の瞳には、遠くに光る海辺の灯りと、過去と未来の温もりが映っていた。


静寂の中、蓮は微かに笑みを浮かべる。

──これで、よかった。

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