第13話 雪の夜、記憶よりも愛を選んで

雪が静かに舞う夜。アトリエの窓には霜が降り、外の世界は白一色に染まっていた。

梨乃は静かに椅子に座り、手に握った写真をじっと見つめる。


──思い出せる。

断片だった過去の記憶が、一つひとつ、静かに形を取り始める。


子供の頃の小さな手の温もり。

笑い合った日々。

そして、かつて愛した人物——蓮の顔。


瞳に浮かぶ輪郭ははっきりしている。

──ああ……私、彼を……。

胸の奥が締め付けられる。思い出せる、でも、心が決められない。


その時、そっと肩に触れる温もり。

「梨乃さん……」

振り返ると、真冬が穏やかに微笑んで立っていた。

雪の舞う夜に、彼の存在はまるで灯りのように梨乃の胸を暖める。


「今のこの気持ちが、本物だと……分かるんです」

真冬の瞳は真剣そのものだ。

「梨乃さん、もう誰にも渡しません」


梨乃の瞳には涙が光る。

思い出した記憶と、今の温もりが同時に胸の中で衝突する。

──過去も大切、でも今の私を守りたい……


静かに立ち上がった梨乃は、真冬の胸に飛び込む。

二人の体温が重なり、雪の冷たさを忘れさせるほど温かい。

「うん……私も……真冬さんと……」

涙を流しながら、声にならない声で答える。


真冬はそっと頬に唇を寄せ、軽くキスをする。

その瞬間、梨乃の心は確かに満たされ、過去と現在の葛藤が一瞬、静まる。

「梨乃さん……大好きです」

「私も……」


アトリエの窓の外では、雪がさらに舞い落ちる。

二人の温もりだけが、静かに冬の夜を照らす。


蓮は少し離れた場所で、その光景を見つめていた。

胸の奥で痛みが走る。

──これが……答えなのか。

過去の愛と今の愛、二つの温もりの狭間で選ばれたのは、真冬と梨乃の幸福だった。


蓮は深く息をつき、静かに微笑む。

「幸せになれ、梨乃」

雪に包まれた夜空に向かって、静かに祈る。

胸の痛みは残るが、それ以上に、彼女の笑顔を見守れる喜びがあった。


結香もまた、アトリエの隅で静かに涙をぬぐう。

──過去を思い出しても、梨乃は今の愛を選んだ。

二人を止めることはできない。だが、見守ることならできる。

その決意を胸に、結香は静かに深呼吸した。


夜が更け、雪は街を白く包み込む。

アトリエの中では、二人のぬくもりが静かに交わり、冬の寒さを忘れさせる。


蓮は扉の外に立ち、雪を受けながら、最後の言葉を心で呟く。

「梨乃……幸せになれ。今の君が選んだ愛を、誰よりも応援する」


雪の夜空に、三人の想い——愛と罪、温もりと痛み——が静かに溶けていく。

記憶より、今の愛を選ぶ幸福と罪。

それは、誰も責められない選択だった。


静寂の中で、アトリエの灯りは二人の影を柔らかく包む。

過去も未来も交錯する中、ただ一つ確かなものがあった。

──今、この瞬間、二人は愛を選んだ。


雪が止む頃、街は静かに眠りにつく。

アトリエの中で抱き合う二人。

遠くで見守る蓮と結香。

すべてが、名前のない愛に包まれながら、冬の夜は深まっていった。

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