『第二話 • 4 : 甘味封印の間──砂糖犬オルフェス、復讐の顕現』

その時だった。


石造りの回廊に、

背後の王座の間から──地を裂くような轟音が突き抜けた。


続いて、鎧のぶつかる甲高い音。

回廊の曲がり角を、兵士が転げるように駆けてきた。

煤と汗でぐしゃぐしゃの顔、荒い息。声は震え、肩で息をしながら、必死に叫ぶ。


「──け、け、け……〈砂糖細工の聖獣〉オルフェスが……!

 聖甘の間に……顕現しました!!」


リリアもセラフィーも息を呑む。

ブッくんは頁を震わせ、ワン太はぴくりと耳を立てた。


兵士の肩が震えるたび、甲冑がぎしりと鳴り、

その恐怖が回廊全体へ染み込むように広がっていく。


「甘い……匂いが……鼻腔を焼くんです……!

 黒い結晶が犬の輪郭みたいに広がって……

 聖甘の間の扉を、じりじりと“侵食”していって……!」


──ざわっ。

回廊の冷気と甘気が混ざり合い、兵士たちの背筋を凍らせた。


その時だった。


閉ざされた王座の間の扉の向こうから、

“壁越しとは思えないほど強烈に”王の声が響き渡った。


「勇者たちよ── 聖甘の間へ急げ!

 “聖なるザッハトルテ”を喰われれば、王都は終わる!!」


リリアたちは思わず振り返る。

扉は閉ざされているのに、王の命が石壁を震わせるほど届いてくる。


ブッくんは涙目で頁をばたばた振り乱した。

「ひえぇぇっ! 砂糖菓子に勝てるんか!?

 焦げ砂糖で“ブックトースト”にされる未来しか見えんでぇぇ!!」


そして余計な一言を吐く。

「てか“聖甘の間”って……名前からして甘味保存庫やないか!?

 ワイ、ここで焼かれて“キャラメルブック”に加工されるんやぁぁ!!」


リリアの胸に、ざわめきが走る。

(……来やがった。ケーキの守護獣 vs ケーキに命かける俺。

 犬とケーキの取り合いって……なんだよこの構図!? 脚本担当出てこい!!)


セラフィーが即座に動き出す。

「……行くわよ、リリア! 聖甘の間は階下!」


「う、うん!!」


リリアたちは回廊を駆け抜け、

聖甘の間へと続く螺旋階段へ迷いなく身を投じた。


石段を踏むたびに、下から押し上げる甘い匂いが肌を刺す。

階下へ進むほど、空気は“世界の皮膚が溶けている”かのように重く、甘かった。


──階下へ降りるほど、甘い気配は濃くなっていった。


夜気は冷たく、それ以上に甘い匂いが濃密に広がっている。

焦げた砂糖を煮詰めたような重さが肺を満たし、

一歩ごとに“空気そのもの”が舌にざらりと積もっていた。


兵士たちが後ろから追いつきながら呻く。

「うっ……頭がくらくらする……! 甘さで意識が飛ぶ……!」

「嗅ぐだけで倒れる敵なんて……あり得ん……!」


セラフィーが低く吐息を洩らす。

「……これはただの匂いじゃない。“結界の侵食”……」


ブッくんは頁で顔を扇ぎながら叫んだ。


「匂いで殺されるとか、どんな敗北条件やねん!?

  これもう“香りの暴力”やん!

  絶対“スイーツ百貨店のCM”撮影中に死人出るやつやぁぁ!!」


(……どんな世界観のCMカットだよそれ!!

 今、脳内で“笑顔のモデルがケーキを持ったままゆっくり倒れるシーン”まで再生されたわ!

絶対オンエア前に倫理審査で爆死するだろあれ!!)


(……てかこれ、完全に“ケーキ屋の厨房地獄”じゃねぇか……!

 奥に絶対いる、砂糖細工の犬オルフェス……!

 よりによって俺がガリッた、あの“国家的誤食事件”の被害者!!)


(……おい待てよ。

 流れ的に“胃袋で責任取れ”って言われる未来しか見えねぇんだけど!?

 あいつに訴えられたら100%負けるぞ俺!!

 “食われた相手に復讐されるファンタジー”ってジャンル新しすぎるだろ!!)


(……いやいやいや、俺が悪いのか……?

 ……悪いわ!! サクッて行った俺が悪いわ!!!)


(…………反省は後だ。甘味の圧、近い……!)


リリアたちは甘い霧をかき分けながら、石段を駆け降りた。

階下へ進むたび、空気はますます重く、甘く、“敵の中心”へ近づいていく。


やがて、階下に辿り着いた。

聖甘の間を守る巨大な両扉──厚い鋼板にはびっしりと古代の糖文(シュガーグリフ)が刻まれ、

蜜蝋の灯火が琥珀色の光を揺らしていた。


だが今、その表面は白い結晶に覆われ、

まるで巨大な舌で舐め溶かされたかのように文様が崩れ、

飴の亀裂がじわじわと侵食していく。


「……扉が……飴色に……」

セラフィーの声はかすかに震えていた。


その時だった。

──カリッ。


扉の隙間から、小さな破砕音。

砂糖を噛み砕いたような乾いた音が、全員の耳奥を噛んだ。


「ひぃぃぃっ!? 今なんか噛んだ音したぁぁ!!

 あれ絶対“試食タイム”始まっとるやろ!? ワイらメインディッシュやぁぁ!!」

ブッくんが裏返った悲鳴をあげる。


──影が滲み、床へ滴り落ちた。


白い結晶が重なり、きらめく巨体がゆっくりと形を取っていく。

耳。尾。牙。そして――四肢。


……犬。


リリアの身の丈を優に越える、巨大な“砂糖結晶の犬”。


「……でかっ……!」


セラフィーが息を呑む。


その体躯は透き通る結晶で形作られ、

まるで“巨大なステンドグラスの犬”が歩き出したような荘厳さを放っていた。

カラメル色に光る牙が床石を噛むたび、

じゅううッ、と甘焦げる煙が立ちのぼる。


そして、その巨大な瞳がリリアを映した瞬間──

空気の甘さが、まるで獣の鼓動そのもののように脈打った。


(おいおいおい……!

 俺が前にサクッと噛んだ“砂糖犬”、こんなサイズちゃうかったよな!?

 絶対進化してるって!!

 これ完全に“仕返しに来ました”の体格やん!!)


その瞬間──“ぽふっ”。


布の身体をしたワン太が、静かに前へ進み出た。

小さな前足で床を二度叩き、布の鼻先をぴくりと震わせる。


透き通る聖獣と、布の身体を持つ不可思議な犬。

同じ“犬”でありながら──二つの存在は、絶対に重なり合わない運命の線上に立っていた。


そして、互いの瞳が光を映した瞬間──

広間全体を押し潰すような、甘く重たい沈黙が落ちた。


リリアは一歩前に進み、剣を掲げ、静かに名乗りを上げる。


「……わたしは勇者リリア。

 女神の名を借りずとも、民を救うためにここに立つ。

 たとえ相手が砂糖の獣でも、甘味の呪いでも──

 この身で喰らい尽くし、封印を守ってみせる!!」


(……完全にやっちまったわ俺。

 “喰らい尽くす”なんて言った瞬間、甘味業界からしたらほぼ終末宣言じゃん。

 絶対どっかのショートケーキ組合とか

 『勇者リリア対策委員会』を緊急招集してる……!

 ……ていうか俺、もう甘味界では“災害コードL(リリア)”扱いじゃない?)


その宣言が広間に反響した瞬間──


砂糖細工の巨犬の瞳が、かすかに“怒りでも悲しみでもない、甘い執念”を灯した。


その横でワン太が布の耳をふるりと震わせ、

ぬいぐるみの小さな足で、堂々と聖獣へ向かって一歩踏み出す。


透き通る聖獣と、布の身体を持つ不可思議な犬。

犬同士──なのに、二つの存在は“同じ領域”だけは決して譲らなかった。


……そして、甘味の守護者が最初の咆哮をあげた。


その声は獣の咆哮ではなく──

“溶けかけの飴が、世界ごと割り砕くように弾け飛ぶ破滅の音”だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る