『第二話 • 3 : 国家的誤食事件、発生。』


リリアは胸の奥に溜まった熱をひとつ吐き出したが、そのざわめきは消えなかった。


(……聖獣。忠義の象徴……

 そういや俺、昔“ハチ公”の話を聞いたっけ。

 主人を待ち続けて、銅像にまでなった伝説の犬。)


忠義という言葉が胸の奥へ沈んでいく。

だが、その沈黙の底で――別の違和感がひり、と弾けた。


(……オルフェスって、“砂糖で造られた犬”なんだよな?

 砂糖の……犬……)


胸の奥がざらりと熱を帯びる。

何かが思い出したくない形で喉元まで上がってくる。


(……待て。砂糖の犬……俺、どこかで……

 いや……“見た”だけじゃない……?)


そこで、パチンと記憶の端が繋がった。


──優雅にコーヒーを飲んでいた、あの午後。


「世界一うまい砂糖を召喚してみるか」と軽く魔力を振ったとき、

目の前に転がり落ちてきた、あの“やたらリアルな砂糖犬”。


(…………いやいやいやいや。

 神話級の甘味の守護神って……俺がガリッて食った、あれか!?)


顔から血の気が、潮のように引いた。


その様子に気づいたのか、

前を歩いていたセラフィーがふと足を止め、ゆっくり振り返った。


「……リリア? どうしたの。顔色が……」


月明かりの下、その瞳は驚くほど鋭く、

まるで“胸の奥の動揺”まで見透かすようだった。


リリアは反射的に笑おうとしたが、喉が乾いて音が出ない。


(……いやいやいやいや。言えねぇよ!!

 “あの神獣、多分俺がサクッと食ったやつです”なんて普通に死刑級だろ!!)


「……リリア。心当たりが、あるのね?」


ブッくんも頁を震わせながら声を潜める。

「ま、まさか……その“行方不明の聖獣”の件……アンさんが……?」


二人の視線に挟まれ、リリアは喉をひくりと上下させた。

観念して、そっとか細い声で口を開く。


「……む、昔……コーヒー飲んでる時にさ……“世界一うまい砂糖”を召喚したんだよ。

 そしたら、出てきたんだ……すごく綺麗な……砂糖細工の……犬が。

 で……その……

 ……食べちゃった、かもしれない……」


──沈黙。


セラフィーの眉がぴくりと跳ねた。


「…………食べた?」


リリアは胸の前で手を縮めながら、さらに声を弱める。


「……サクッ、て……」


空気がその一音だけで傷ついた。


再び沈黙。


そして、温度のない声で。


「……あなた、神話級の守護獣を……“噛み心地の擬音”つきで食べたの?」


(やめて!!! その言い方いちばん刺さる!!

 てか“噛み心地”って言うな!!!)


ブッくんは頁をばっさばっさ震わせた。

「ひえぇぇぇっ!! 女神はん!! それ、歴史教科書に“未曾有の誤食事件”として載るレベルやで!!」


(…………ちょっと待って。

 俺、今、国家レベルの戦犯になりかけてない?)


リリアは半泣きになりながら両手をバタつかせる。

「だ、だって!! あのときは普通の砂糖かと思ったんだよ!!

 すごい綺麗で……甘そうで……しかもなんか湯気できらきらしてて……!」


セラフィーは額に手を当て、深く深くため息をつく。

「……つまり、王家が千年探し続け、ついに行方不明になった聖獣オルフェスは――」


「……私のお腹の中で、一回消えた可能性がある……」


再び、沈黙。


回廊の空気が凍りついていく。


セラフィーはそっと視線を落とし、静かに言った。


セラフィーはそっと視線を落とし、静かに言った。


「……リリア。

 言いにくいのだけれど――」


リリアがごくりと息を飲む。


「あなた、魔王軍より先に“罪深い”ことしてるわよ?」


──沈黙。


回廊の空気が、音もなく固まった。


(………………死んだ……今ので俺、社会的に死んだ……)


そこで――


ブッくんが追い打ちのように叫ぶ。

「そらオルフェスも復活したら怒って軍門に下るわ!! 食われた怨みや!!」


リリアは頭を抱えてその場に崩れ落ちた。

(うわあああああああああ!! 詫びる!! 詫びる!!!)


(……もういっそ、死ぬほど甘い謝罪スイーツでも作って持ってくしかないぞこれ……!!

 いや絶対許されねぇ!! 相手“神話級の犬”だぞ!?) 


その時だった。


ワン太が“ぽふっ”と足を止め、リリアをじっと見上げた。

ガラス玉でできたはずの瞳が、なぜか静かに問いかけるように光っている。


(や、やめろワン太……!

 お前まで「裏切り者」みたいな目で見るなぁぁ!!

 俺、犬界全体を敵に回した気がしてきたぁぁ!!)


ワン太は尻尾を一度だけ、ぱたんと叩き──

そのまま無言で前を向いた。

その一拍には、責めず、寄り添いすぎもせず、ただ“隣で歩く覚悟”だけが静かに灯っていた。

赦しでも断罪でもない、ただ「次へ行け」とでも言うように。


セラフィーが呆れたように肩をすくめた。

「……見捨てられてはいないみたいね。ただし信用は……減ったでしょうけど」


「減点方式で言えば、今ので大幅マイナス。」


ブッくんが涙目で絶叫する。

「ひぃぃっ!? ワン太にすら“飼い主ガチャ失敗”みたいな顔されとるぅぅ!!」


(……やばいやばいやばい!!

 俺、“忠犬伝説を胃袋で裏切った勇者”として後世に刻まれる未来しか見えねぇぇ!!)


セラフィーはこめかみを押さえ、深いため息をこぼす。

「……最悪ね。王都の守護者が消えた理由が、よりにもよってあなたの胃袋だったなんて」


それでも、その声の奥には、リリアを見捨てない強い決意がかすかに滲んでいた。


「……リリア。

 罪を犯したのなら――今度は必ず償いなさい。

 それが“勇者”でしょう?」


「っ……う、うん……」


(いやマジで!?

 俺、歴史の、教科書に“聖獣食った勇者”として載るんじゃねぇだろな……!?)


(……でも、逃げられねぇよな。

 食べちまったなら、もう背負うしかねぇ。

 オルフェスの運命ごと、全部まとめて――

 俺が飲み込んで前に進むしかねぇんだよ……!)


ワン太が前を見て歩き出す。

石畳を照らす月の光が、三人の影を細く伸ばした。


――砂糖細工の聖獣オルフェス。

 一度“食べた”のなら……今度は必ず救ってみせる。


リリアは小さく息を吸い、迷いの残滓を飲み込んだ。

その先の結末を知っていても、それでも足を進める。


石畳を渡る夜風だけが、かつて“ひと口で終わった運命”の余香をさらいながら、三人の背中に静かに「続き」を告げていた。

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