『第二話・1 : 聖なるザッハトルテ──封印されし甘罪』
燃え残る瓦礫からは、まだ赤い光が漏れ、焦げた木材の匂いが風に乗る。
先ほどまで耳を裂いていた咆哮も、黒煙を震わせた羽音も、もうここにはない。
──魔物の影は、完全に消え失せていた。
やがて、その場の視線が一斉にリリアへと集まる。
「女神さま……!」
「どうか城へ……陛下がお待ちです!」
兵士たちが一斉に膝をつき、すすけた顔で祈りを捧げる。
灰の舞い落ちる光景は、まるで天から降る聖灰のようで、
一人の少女を“聖像”として吊り上げる舞台装置に変わっていた。
ブッくんが涙目で頁をばたつかせた。
「ひぃぃっ……女神補正、ホンマにあったんやな……!」
(いやいや、結構困りもんだぞこれ。)
ワン太は“ぽふっ”と立ち上がり、炎に染まる王城をじっと見据えた。
その小さな背中から漂う“決意オーラ”は、どんな場数踏んだ将軍より濃かった。
(……おい……俺より主役オーラ強くね? ぬいぐるみのくせにリーダー格ポジとか反則だろ……!)
リリアは小さく息を整えた。
灰と風と光――すべてが、次の瞬間を待っていた。
──城門が、開かれる。
鉄の軋みが闇に響き、重厚な扉の奥から冷たい空気が流れ込む。
外の炎とは対照的に、石の匂いは冷たく澄んでいた。
壁には無数の亀裂が走り、床には崩れた瓦礫が散らばる。
城は、まだ生きている。
……だが、それは――傷だらけの息遣いにすぎなかった。
長い廊下を抜け、彼らは玉座の間へと足を踏み入れる。
そこにいたのは、王冠を戴いた一人の老人。
ミルド=レーヴ六世――アルシェ王国の現王である。
白髪混じりの髭をたくわえたその姿は、老いを隠せぬはずなのに、
瞳だけは、炎を拒むように鋭く輝いていた。
──いや、マジでこの人だけ照明当たってんの? ってくらいキラッキラしてる。
王はゆっくりと立ち上がり、リリアに向けて言葉を紡ぐ。
「勇者リリアよ。……よくぞ、あの魔物を討ち払ってくれた。
あれほどの存在を退けられたことは、この王都にとって大いなる光だ。」
(いやいやいや!? あいつの自己申告スペック信じてるだけだろ!?
UIで見たらレベル28とかその辺の雑魚中ボスだったぞ!?
“副将”の肩書きでだいぶ盛ってるタイプだって!)
セラフィーが一歩進み、静かに頭を垂れた。
「陛下。この戦いは、ひとまず終息しました。
ですが……まだ“終わり”ではないはずです。」
王は深く頷き、低く、静かな声で応じた。
「その通りだ。軍勢は退いた。だが――魔王の狙いは、
この城の“心臓”を奪うことにある。」
その一言が落ちた瞬間、広間の空気がひきつれるように沈黙した。
すすり泣く声も止まり、誰もが、呼吸すら惜しむように耳を澄ませた。
「……この城が建つ以前より、王家が代々守り続けてきた秘宝。
それは“菓子”の姿をした封印──《聖なるザッハトルテ》だ。」
セラフィーがはっと顔を上げ、息を呑む。
「……伝承にある、あの……!」
王は静かに頷いた。
「ただの菓子に見えようとも、その実は“神の菓(か)”。」
王の声が、炎の明滅に溶けるように広間を満たした。
「濃厚なるチョコレートは大地を縛り、
杏のジャムは血を鎮め、
黒きグラサージュは災厄を覆い隠す――。」
王は一度、深く息を吸い、静かに祈るように続けた。
「三層のカロリーこそ、三重の封印。
千年の時を経てもなお、魔を退け続ける“胃袋の核”なのだ。」
兵士たちは胸に手を当て、涙と祈りをもって応えた。
すすけた広間に、聖歌のような声が満ち、
炎に焼かれた夜を押し返す光となった。
ブッくんがぷるぷる震えながら絶叫する。
「ひ、ひえぇぇぇぇっ!?
ケーキのくせに核兵器って、もはや“胃袋の黙示録”やん!!
ワイ、チョコの欠片かじっただけで爆散する未来しか見えん!!」
リリアは顔を引きつらせ、心の中で悲鳴を上げた。
(ちょ……ちょっと待て……“聖なるザッハトルテ”!?
ただのチョコケーキに“千年封印アイテム”って、宗教的パワーワード盛りすぎだろ!!)
(しかも……つまり今まで俺が食べてきたザッハは、ぜんぶ“模造品”!?)
(じゃあ、ここにあるのが──ケーキ界のラスボス!?)
(いやいやいや……!! 俺、コーヒーの横に“ちょっと甘いの”欲しかっただけなんだって!!)
(……でも、その“ちょっとした甘さ”が、世界を変えることもある。)
「……リリア?」
セラフィーの声が、現実をそっと呼び戻す。
リリアは慌てて背筋を伸ばした。
「えっ、あ、はい!? その……ザッハ……トルテ……でしたっけ?」
「そうだ。」王が頷く。
「その封印を解こうと、魔王は動いている。」
(……おいおい。
俺、チョコケーキきっかけで“世界の存亡イベント”突入とか聞いてないんだが!?)
ワン太が、ふわりと身を起こした。
炎に染まる王城をじっと見据えるその瞳は、
「受け入れろ」と告げる聖像のまなざしのようで――
リリアの胃袋に、黒歴史の封印が静かに焼きついた。
──こうしてリリアは、《聖なるザッハトルテ》の真実を知った。
だが同時に、その甘美すぎる名の裏に潜む“次なる災厄”が迫っていることも悟るのだった。
その瞬間、夜風に乗って――甘い香りが広間に忍び込んだ。
焦がした砂糖のような苦みと、供物めいた濃厚な甘さ。
誰も言葉にはしなかったが、全員が理解していた。
それは、前兆。
《聖なるザッハトルテ》を狙う、新たな災厄が――
甘美な闇の香をまとい、静かにこの城へ歩み寄っていた。
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