第17話

王都から届いた、山のような最高級食材。

ギルドの巨大倉庫は、それだけでパンパンになってしまった。

「こ、これ全部、俺が一人で加工するのか……」

俺は、目の前に積まれた『レッドボアの肉塊』を見上げて、ため息をついた。

それは、俺の背丈よりも高く積まれていた。

「お兄さん、ぼーっとしてないで、手を動かして!」

ミーナちゃんが、帳簿を片手に叫んだ。

「四日後には、騎士団の第二便が来ちゃうんだから!」

彼女は、厳しい顔で俺を急かす。

「それまでに、百人分、全部仕上げないと!」

「む、無理だよ、ミーナちゃん、この量は!」

「無理じゃないの、やるの!」

ミーナちゃんは、ギルド食堂の方を指差した。

「ちゃんと、助っ人を呼んであるから!」


「リオ先生、お手伝いに参りました!」

その声と同時に、ギルド食堂の料理人たちが、エプロン姿で厨房に駆け込んできた。

「みなさん……、来てくれたんですね!」

「はい、ボルガ様からの、ギルド命令です!」

料理長が、ビシッと敬礼した。

「リオ先生の技術を、盗めるだけ盗んでこい、と命令されました!」

(ボルガ様まで、ちゃっかりしてるなあ……)

俺は、苦笑いするしかなかった。


でも、彼らの助けは、本当にありがたかった。

人手がたくさんあると、作業がはかどる。

「みなさん、このレッドボアの肉は、筋繊維が特殊です!」

俺は、大きな肉塊を前に説明する。

「宮廷式のカット法で、丁寧に切り分けてください!」

「「「はい、先生!」」」

俺は、彼らに下ごしらえの指示を出していく。

料理人たちは、Aランク素材に触れるのが初めてらしい。

みんな、興奮で手を少し震わせていた。

「す、すごい……、肉が、俺の包丁を弾き返すぞ!」

「先生、どうやって切ればいいんですか……!」

「力を入れすぎないでください、怪我をしますよ」

俺は、手本を見せることにした。

「包丁の重みだけで、繊維に沿って滑らせるんです」

俺が手本を見せると、あれほど硬かった肉が、まるでバターのように切り分けられていく。

「「「おおおおお……!」」」

料理人たちから、感嘆の声が漏れた。

「これが、リオ先生の……『神の刃』……!」

(大げさだなあ、もう、ただの包丁なのに……)

俺は、少し恥ずかしくなった。


俺は、秘伝のスパイスの調合だけは、店の厨房で行った。

これだけは、さすがに人に見せるわけにはいかない。

店の厨房に鍵をかけ、一人で作業を始める。

『月光草』と、実家から受け継いだ数十種類の乾燥ハーブ。

それを、門外不出の配合で、丁寧に調合していく。

厨房中に、嗅いだことのないような、清々しい香りが満ちていく。

(うん、いい感じだ、これなら騎士団の人たちの疲労も根こそぎ回復できるはずだ)

俺は、完成したスパイスを大きな壺に入れ、ギルド厨房に戻った。

料理人たちが、俺の指示通り、完璧に肉を切り分けて待っていた。

「よし、じゃあ、これを揉み込んで、乾燥棚に入れていきます」

「は、はい!」

俺たちは、流れ作業で、騎士団用の特製保存食を次々と生産していった。

食堂の料理人たちも、シチュー作りで鍛えられたおかげか、手際がすごく良くなっていた。


「ふう、これなら、四日後までに間に合いそうだな」

俺が、額の汗を拭いながら一息ついた、その時だった。

厨房の入り口に、冷たい空気が流れ込んだ。

ギルドの厨房なのに、まるで真冬の風が吹いたようだった。

見ると、Sランク冒険者のエルザ様が、そこに立っていた。

彼女がいつも着ている銀色のローブは、所々が凍りついていた。

どうやら、迷宮の深い階層から、帰ってきたばかりらしい。

「あ、エルザ様、お疲れ様です」

俺が声をかけると、エルザ様は、俺をじっと見た。

その青い瞳は、まるで氷のようだ。

「……リオ」

「はい?」

「例のものが、切れた」

エルザ様は、その一言だけを言った。

「あ、はい、いつものですね!」

俺が慌てて店のカウンターに戻ろうとすると、ミーナちゃんが、すでに専用の木箱を用意して待っていた。

彼女は、仕事が本当に早い。

「はい、エルザ様、金貨一枚ね」

「うむ」

エルザ様は、ミーナちゃんから木箱を受け取ると、すぐに中身を改めた。

彼女は、俺が厨房で料理人たちに指示を出しているのを、興味深そうに見ていた。

「お前、弟子を育てているのか?」

エルザ様の唐突な質問に、俺は首を傾げた。

「え? 弟子、ですか?」

俺は、料理人たちの方を見た。

「いえ、あの人たちは、ギルド食堂の料理人さんですよ」

「シチューの作り方を教えた縁で、技術指導をしているだけです」

「技術指導……か」

エルザ様は、何かを納得したように頷いた。

「お前の料理の技術が広まれば、この街全体の冒険者の戦力が、底上げされる」

エルザ様は、真剣な顔で続ける。

「それは、いい心がけだ」

(あ、なんか、ちょっと話がズレてるけど、褒められた……?)

俺は、どう返事していいか分からず、曖昧に笑った。


エルザ様は、満足そうに木箱を懐にしまった。

「そうだ、リオ」

「はい?」

「これを、お前にやろう」

エルザ様は、腰のポーチから、ゴトリ、と何かを取り出した。

それは、見たこともない、青白く光るキノコだった。

「こ、これ……なんですか?」

「『深淵の迷宮』の五十階層で採れた、『光る霊水晶キノコ』だ」

「へ、へえ……」

(いかにも、ヤバそうな名前だ……)

「凄まじい魔力がこもっているが、毒性も強い」

エルザ様は、淡々と説明する。

「普通の料理人が触れば、即死だろう」

「(ひいいいい、即死!?)」

俺は、思わず後ずさった。

「だが、お前なら、これを調理できるかもしれん」

エルザ様は、俺の目をまっすぐに見た。

「これで、今までのよりも、さらに上のものを作ってみろ」

彼女は、いつものように、すごい要求をしてくる。

「金なら、いくらでも出す」

「む、無茶言わないでくださいよ、エルザ様!」

「期待しているぞ」

エルザ様は、それだけ言うと、青い光とともに消えてしまった。

まるで、最初からいなかったかのようだ。

厨房には、青白く光る、不気味なキノコだけが残された。

「ど、どうしよう、これ……」

俺が、キノコを前に固まっていると。

食堂の料理人たちが、尊敬の眼差しで俺を見ていた。

「す、すごい……」

「あのエルザ様直々に、新食材の調理依頼とは……!」

「さすがです、リオ先生!」

「(いや、これは依頼じゃなくて、ただの無茶ぶりだから!)」

俺は、この危険なキノコをどう調理するか、頭を抱えることになった。

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