第9話

翌日。

ギルドは、朝からとんでもない活気に包まれていた。

ボルガ様が出した緊急依頼のせいで、冒険者たちが一攫千金を夢見て森に殺到した結果だ。

「獲ったぞー! 『レッドボア』だ!」

「こっちは『月光草』を発見した! これで金持ちだ!」

「ギルド! 買い取ってくれ!」

「これが『リオ殿の秘薬』の材料か……!」

冒険者たちが持ち帰った素材は、ボルガ様の指示で、すべて俺たちの店の前に運ばれてきた。

すぐに、店の隣にあるギルドの倉庫が、素材でパンパンになった。


「うわあ……」

俺は、倉庫に山積みになった食材を見て、言葉を失った。

レッドボアの肉。

月光草。

硬石小麦。

(全部、俺が知らない食材だ……)

(ボルガ様が勘違いしたせいで、とんでもないことになってる)

俺が青ざめていると、ミーナちゃんが目を輝かせながら素材をチェックしていた。

「すごい! このお肉、魔力がこもってる!」

「こっちの小麦、石みたいに硬いけど、栄養が詰まってる感じがする!」

「お兄さん! これなら、エルザ様用の特製品を超えるものが作れるよ!」

「え、ええ……? そうかなあ……」

「そうだよ! やってみてよ!」

ミーナちゃんに背中を押され、俺は恐る恐る、新しい店の厨房に立った。


厨房は、ミーナちゃんが昨日、ギルドの商人から買い付けた新しい調理器具でいっぱいになっていた。

大きな石窯。

業務用の乾燥棚。

大量のスパイスをすり潰すための石臼。

「ボルガ様が、ツケでいいって言ってくれたの!」とミーナちゃんは笑っていた。

(もう、後には引けない……)

俺は覚悟を決めて、レッドボアの肉を手に取った。

(確かに、すごい弾力だ。栄養が詰まってる)

俺は、宮廷で培った知識と、秘伝のスパイス配合を総動員して、仕込みを開始した。

未知の食材だったが、基本的な構造は同じだ。

どうすれば栄養を損なわずに、保存性を高められるか。

それだけを考えて、俺は無心で手を動かした。

厨房には、今までとは比べ物にならないほど、芳醇なスパイスの香りが立ち込めた。


一方、ミーナちゃんは店の前で、開店準備を進めていた。

ボルガ様が手配してくれた立派な看板が、店の入り口に掲げられている。

『リオ印の保存食屋さん』

(うん、やっぱり名前は変わらないんだな)

俺は、厨房の小窓からそっと外を眺めた。

店の前には、開店を待ちわびる冒険者たちが、すでに黒山の人だかりを作っていた。

「おい、いつ開くんだ!」

「秘薬を売ってくれ!」

「金ならいくらでも出すぞ!」

その人だかりの前に、ミーナちゃんが小さな告知板をドン、と立てた。

そこには、こう書かれていた。

『本日、開店。Cランク冒険者限定。お一人様一点限り。抽選販売』


告知を見た瞬間、冒険者たちが一斉に騒ぎ出した。

「な、なんだと! Cランク限定!?」

「ふざけるな! 俺はBランクだぞ! なんで買えないんだ!」

「抽選だと!? 並んだ順じゃないのか!」

「ガキが、なめてんのか!」

屈強なBランク冒険者の一人が、ミーナちゃんに詰め寄った。

まずい!

俺が厨房から飛び出そうとした、その時。


「――うるさいっ!!」

ミーナちゃんの、体格に似合わない大声が響き渡った。

詰め寄った冒険者が、ビクッと足を止める。

「文句あるの!?」

ミーナちゃんは、腰に手を当て、集まった冒険者たち全員を睨みつけた。

「このお店はね、Sランクのエルザ様と、ギルドマスターのボルガ様が、後ろ盾になってくれてるんだよ!」

「うっ……」

エルザ様とボルガ様の名前が出ると、さすがの冒険者たちも黙り込んだ。

「それに、見てわかんない!? お店は今日開店したばかり! 料理を作ってるのは、リオお兄さん一人だけ!」

「作れる量には限りがあるの! 分かる!?」

「そ、それは……そうだが……」

「だから、まずは、一番ポーション代に困ってるCランクの人たちに売るって決めたの!」

ミーナちゃんは、ビシッとBランク冒険者を指差した。

「あなたたちBランクの人は、高いポーションが買えるでしょ!?」

「Cランクの人たちは、安いポーションすら買えなくて、怪我を悪化させてる人もいるの! 私、知ってるんだから!」


ミーナちゃんの言葉に、周りの冒険者たちがざわついた。

「……確かに」

「言われてみれば、そうだ。Cランクの連中、いつも金欠だしな」

「あの子、ガキのくせに、ちゃんと分かってるな……」

「俺たちBランクは、後回しでも仕方ないか……」

さっきまでの殺気立った雰囲気が、少し和らいだ。

(ミーナちゃん、すごい……)

俺は、厨房でその光景を見ながら、ただただ感心していた。

ミーナちゃんは、完全に場の空気を支配していた。


仕込みが一段落し、俺はミーナちゃんに言われた通り、Cランク用の保存食セット(通常食材版)を百個、カウンターに並べた。

抽選も無事に終わり、当たったCランク冒険者たちが、大喜びで保存食を買っていく。

「やったぞ! これで明日の依頼も安心だ!」

「ありがとうよ! ちびっ子店長!」

ミーナちゃんは「どういたしまして!」と胸を張っている。

(よかった。なんとか、お店が始まったんだ)

俺は、厨房でホッと胸をなでおろした。

その日の販売は、あっという間に終わった。

買えなかった冒険者たちは文句を言いつつも、ミーナちゃんの「明日はBランク用の抽選も考えるから!」という言葉に、おとなしく引き下がっていった。


夕暮れ時。

俺とミーナちゃんが、店の片付けをしていると。

コンコン、と控えめなノックの音がした。

「あれ? もうお客さんは終わりのはずだけど」

ミーナちゃんが不思議そうにドアを開ける。

そこに立っていたのは、見慣れない……いや、見覚えのある男だった。

豪華だが、実戦的な鎧。

腰に下げた立派な剣。

その顔には、疲労の色が濃く浮かんでいる。

「……!」

俺は、その顔を見て息をのんだ。

彼も、俺を見て、目をカッと見開いた。

「り、リオ殿!?」

「あ、あなたは……騎士団の、アルベルト副団長……?」

そうだ。

宮廷にいた頃、俺の栄養食をいつも「美味い」と言って食べてくれていた、数少ない理解者だ。

「なぜ、あなたがこんな辺境の街に……?」

「アルベルト様こそ、どうしてここに……」

俺たちが呆然と見つめ合っていると、アルベルト様は、俺の店の看板と、厨房から漏れ出す匂いに気づき、確信したように顔を上げた。


「探しましたぞ、リオ殿!」

「え?」

「単刀直入に申し上げます!」

アルベルト様は、俺の前に進み出ると、その場で片膝をついた。

その行動に、俺もミーナちゃんも度肝を抜かれた。

「王都へ! 王都へお戻りください!」

「えええええええええええ!?」

俺の叫び声が、夕暮れの街に響いた。

アルベルト様は、苦悶の表情で続けた。

「あなたがいなくなってから、騎士団の力が著しく低下しているのです!」

「栄養バランスが崩れ、スキルがまともに発動できない者まで……!」

「あなたの栄養食がなければ、我々はもう……!」

俺は、突然の展開に、頭が真っ白になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る