第3話
翌日。
昨日と同じように、俺は早朝からギルドの隅に店を出した。
昨夜は、儲けのほとんどを材料費につぎ込み、徹夜で仕込みをした。
干し肉もパンも乾燥果物も、昨日の三倍は用意した。
(さすがに今日は、あんなに売れないだろうけど……)
(少しでも売れれば、今日の宿代にはなるはずだ)
そう思って台に商品を並べ終えた、その時。
「開いてるぞ!」
「あいつだ! 昨日の秘薬屋だ!」
ギルドの入り口から、怒号のような声が聞こえた。
振り返ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
冒険者たちが、俺の店に向かって殺到してきたのだ。
あっという間に、俺の小さな露店は屈強な男たちに囲まれた。
「えええ!? な、何事ですか!?」
俺はパニックになった。
「おい! 昨日の干し肉、俺にも売ってくれ!」
「あのパンを食べたい! 銅貨10枚出す!」
「私は乾燥果物を! 銀貨で買うぞ!」
「どけ! 俺が先だ!」
冒険者たちが、我先にと金袋を突き出してくる。
「ひ、ひいっ! お、押さないでください!」
「秘薬じゃありません! 保存食です!」
俺の悲鳴も、彼らの熱気にかき消された。
商品は、文字通り一瞬で売り切れた。
俺が昨日、三倍も用意した保存食が、わずか数分で無くなってしまった。
「くそっ! 売り切れかよ!」
「おい、次はいつ作るんだ!」
「ちゃんと並べよ、お前ら!」
買えなかった冒険者たちが、悔しそうに叫んでいる。
俺は、彼らに押しつぶされそうになりながら、ただ謝ることしかできなかった。
「す、すみません! もう今日はこれで……」
(な、何が起こってるんだ……)
俺は混乱していた。
昨日、俺の料理を食べたCランクパーティが、何か噂でも流したんだろうか。
買えなかった冒険者たちの会話が、断片的に耳に入ってくる。
「おい、聞いたか? 昨日”疾風の爪”が食べたらしいぞ」
「ああ。あれ食ったら、スキルが二回連続で使えたんだと!」
「俺のダチなんか、三日間の疲労が全部抜けたって言ってたぞ!」
「もはや食べ物じゃねえ。あれはドーピングアイテムだ」
「呪いも解けるって話だぜ」
(みんな、大げさだなあ……)
俺は乾いた笑いを浮かべた。
スキルが二回使えるとか、疲労が全部抜けるとか。
そんな馬鹿な話があるわけない。
俺が作ったのは、ただの保存食だ。
宮廷では「地味だ」と捨てられた、ただの料理だ。
(でも、こんなに売れると……)
俺は、受け取った大量の銅貨と銀貨を見て、別の心配が頭をもたげた。
(材料費ギリギリで売ってるから、赤字かもしれない……)
俺は慌てて追加の材料を仕入れに行こうと、人混みをかき分けた。
その時だった。
ギルドの隅。
柱の影から、一人の少女が俺の様子をじっと見ていることに気づいた。
年は十歳くらいだろうか。
痩せていて、少し汚れた服を着ている。
辺境都市の孤児だろうか。
俺が視線を向けると、少女はサッと目をそらした。
(あの料理……絶対におかしい)
少女は何かぶつぶつとつぶやいている。
(ただの食べ物じゃない。あの人の人の良さ……利用されてるだけじゃ……?)
俺には、その声は聞こえなかった。
(早く材料を仕入れないと)
俺は急いで市場へ向かった。
数十分後。
俺が両手に抱えきれないほどの食材を持ってギルドに戻ると、店の前にはまだ人だかりができていた。
だが、さっきまでの騒がしさはない。
冒険者たちが、なぜか道を空けて静まり返っている。
その中心に、一人の女性が立っていた。
ひときわ目立つ、美しい女性だった。
流れるような銀色の髪。
鋭い青い瞳。
全身を、魔力を帯びた高価なローブが包んでいる。
何より、彼女から放たれる圧力が尋常ではなかった。
周囲の荒くれ者の冒険者たちが、彼女を恐れているのが分かった。
「おい……あれって、”雷鳴の魔女”こと、Sランクのエルザ様じゃねえか……」
「なんでSランク様がこんな露店に……」
(えすらんく……?)
俺はこの街に来たばかりで、冒険者の事情には詳しくない。
だが、その人がとてつもなくすごい人物だということだけは分かった。
銀髪の女性――エルザさんが、俺に気づいて振り返った。
その青い瞳が、俺を射抜く。
「あなたが、ここで妙な食べ物を売っているという料理人か」
氷のように冷たい声だった。
俺は恐怖で体がすくんだ。
「(ビクッ)み、妙なものじゃありません!」
「ちゃんと食べられます! 保存食です!」
俺は必死に弁解した。
「ふん」
エルザさんは鼻を鳴らした。
「昨夜、私のパーティメンバーがそれを食べたとたん、かかっていた呪いのデバフが解除されたと報告があってな」
「じゅ、呪い!?」
俺は目を丸くした。
「そ、そんな大層なものじゃ……」
(たぶん、ひどい栄養失調が改善されただけだろうけど……)
俺が宮廷で作っていた栄養学の知識が、頭をよぎる。
「理屈はどうでもいい」
エルザさんは俺の言葉を遮った。
「私は現物しか信じない」
彼女は、俺の店の空っぽになった台を顎でしゃくった。
「ないのか?」
「あ……すみません、今、売り切れで……」
「チッ」
エルザさんは大きな舌打ちをした。
「使えない男だ」
「ひっ……」
俺は小さく悲鳴を上げた。
「使えない」という言葉は、俺にとって宮廷でのトラウマだ。
「仕方ない」
エルザさんはため息をついた。
「材料はどこだ。私が集めてこよう。何が必要だ?」
「ええっ!?」
俺は驚いて叫んだ。
「い、いえ、そんなSランクの方に、お使いなんて!」
「いいから言え」
エルザさんの声の圧が強まる。
「私は今すぐそれが欲しい。金ならいくらでもある」
「は、はい!」
俺は恐怖に駆られて、必要な食材(市場で売っている普通のもの)を早口で伝えた。
すると、エルザさんの姿がフッ、と消えた。
「え?」
(消えた!?)
次の瞬間、彼女はギルドの入り口に立っていた。
(はやい……! 高速移動スキルか何かか!?)
数分後。
エルザさんが、俺が指定した量の五倍はあろうかという食材を持って戻ってきた。
しかも、どれも市場で見たことがないような最高級品ばかりだった。
「こ、こんなに!」
「これで足りるか? さあ、今すぐここで作れ」
エルザさんは、食材を俺の台にドサリと置いた。
「ええっ!? こ、ここでですか!?」
「当たり前だ。私が待っているんだぞ」
「(ひいいい……!)」
俺は、Sランク冒険者様と、大勢の野次馬に囲まれながら、簡易コンロで調理(という名の保存食の下ごしらえ)を始める羽目になった。
手が震える。
その時だった。
「あの!」
小さくだが、よく通る声がした。
見ると、さっき柱の影にいた孤児の少女が、人混みをかき分けて俺の前に進み出ていた。
少女は俺をまっすぐに見上げている。
「はい? なんでしょうか?」
俺が尋ねると、少女はキッと唇を引き結び、叫んだ。
「私、ここで見てた!」
「あなた、あの人たちに安く売りすぎてる!」
「え?」
「あの人たち、あなたの料理で大儲けしてるのに!」
少女は、周りの冒険者たちを指差した。
「私、商売の計算、得意!」
「私を雇って! あなたの料理の価値、私がちゃんと分からせてあげる!」
「え、えええ!?」
俺が困惑していると、後ろにいたエルザさんが、ほう、と興味深そうな声を漏らした。
「面白い小娘だ」
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