配車

黒乃千冬

配車

 

 「最近は恋人がいても結婚していても、他にパートナーをつくるってのが本当に多い、僕の周りでもね、皆そうですよ」

 

街のはずれにある小さな映画館で一人映画を見た後、電話でタクシーを呼んだ。

すっかり日は暮れてしまった。

映画が終わる時間も考えていた予定より遅くなってしまって、こんな時は安全のために、タクシーを使って帰宅するように母に言われている。

タクシーを待つ間、私は母にその旨も連絡しておいた。


「そんなことはないでしょう、仲の良いカップルや夫婦はたくさんいますよ」

「いや、仲は良いんですよ、ただ遊びに関して皆おおらかなんですよ」

「そうですか、私はあまり信じられませんけど」

「今はね、そういう時代なんですよ、僕なんかよく言われますよ考えが古いってね」


タクシー運転手のハンドルを握る手の甲には、大きなみみず腫れのような傷跡が縦に走っている。

正面からの顔は見えないが、後部座席の斜め後ろから見える姿は、運転席によく入れたものだと思うほど太っている。

色の浅黒い頬と耳と清潔感のある長さだが、ムラのある金髪に染めた髪の毛が、時折対向車線のヘッドライトに照らされて光った。


「すごく髪が綺麗ですよね、お手入れなんか大変でしょう」

 バックミラー越しにこちらを見ているのだろう。

太った中年男性の運転手は喋り続ける。

「ええ、そうですね」

 私は車内からスマホのカメラで正面の景色を撮影した。

キラキラと灯りの輝く遠くのビル群や、そこへ続く車道、タクシーの後部座席から見える景色の全てを画像に切り取った。

「うちの娘も毎朝、鏡の前で巻いたりひねったり、なんやかんやしてますよ」


「あ、そこ真っすぐお願いします」

「あれ?左じゃなかったですか?」

「真っすぐでいいです」

「飲み友達なんかにね、お前は古いって言われるんですよ、僕も50になるんでね、この年になって家庭が壊れるようなことしようとは考えてもないですけど、そりゃあ抱きたい女の一人や二人出てくるじゃないですか、ねえ」


タクシーを呼んで乗り込んでたった数分の間に、いつかのテレビで見た、何年も通っているバーか何かのママにでも話すみたいな口ぶりで、この50歳の男は制服こそ着ていないが、17歳の私にいったい何の話をしているんだろうか。


「そういうとき、つまりね、好きな女が出来たとき、僕は正直に言いますよ、奥さんにね、浮気をしたい、させてくれないかと」

「それはダメですよ、離婚になりますよ」

「そう思いますか」

 信号待ち、一瞬、後部座席に振り返った運転手の顔を初めて見る。

50歳でももっと若く見える人はたくさんいるだろうし、それよりも脂ぎって膨らんだ顔は、若い若くないは関係なく、強烈な不快感を与えてくる。 


「あるんですよ、そういう、どうしてもやりたいときってのがね」

「あ、その角は右に」

「あれ?最初言ってた場所と違ってきますが、大丈夫ですか?」

「ちょっと寄りたいところが出来たんで」

「知ってます?こっちの方向はホテルが多いんですよ、その、休憩できるホテル、分かりますか、そういう場所」


「よくある話ですよね、お好きな人はお好きなんでしょうね、性的なそういうものが」

「僕もね、家庭のある者どうしの友人男女が、飲みの席で二人で消えちゃったりしたのを見てね、分かりませんよ、その後セックスをしたかどうかなんて、いや、でもしたんじゃないかなあ」

「私にはよく分からない世界ですね」

「そうですかあ?どこへ寄るんですか?まさかラブホテル街?なんてね、へへへ」


「私さっき映画を一本観てきたんです、ストーリーがしっかりしていて、主人公は自分の人生に起きた不幸に向き合い、奇想天外な選択と経緯を経て、想像もしていなかった結末を迎えるんですが、やはり現実には及ばないなと思いました」


「面白くなかったんですか?映画」

「面白かったですよ、現実ほどは驚かないというだけで」

「へえ」


「大学生の友人が先日、二年ぶりに訪れた旅先で乗ったタクシーが、二年前と同じ運転手さんのタクシーで、お互いにそのことを覚えていた、なんてエピソードを話してくれました。そんな偶然あるんだなって。まだもう少し真っすぐ行ってください」


「へえそんなことあるんですね。この先は何もありませんよ?危ないですよ、変なところで車を降りたりしたら」

 すれ違う車もまばらな通り沿いに、コンクリートで出来た大きな建物がある。

11年前6歳の頃、クラスメイトの女の子が行方不明になった。

のちに遺体で発見された彼女は髪の毛を切られ、酷く暴行を受けた痕があった。

目撃証言と僅かな防犯カメラの映像から、犯人の似顔絵等は経年変化と共に作成されていた。


当時6歳の私には衝撃的な出来事で、気味の悪い似顔絵は今でも脳裏にこびりついて離れなかった。

あれから時を経て、その衝撃は私をいかばかりか強くしていた。

全ての恐ろしい出来事が他人事ではないショックから始まり、あの子のためにもそれに負けてはならないと考えるようになった。


「こんなことってあるんですね、車を止めてください。危ないですよね、行けますか?休憩場所に」

 運転手は車のブレーキを踏んだ。そして後ろを振り向いて、私にぐっと顔を近づけてニヤニヤと笑みを浮かべた後、前を向いた。

そこでどんな顔をしたのかは知らない。

目の前にあるのは警察署。

私は運転手と会話しながら、事件についての情報を募るメールアドレスにメールを送り続けていた。


男は私を乗せたまま、タクシーを急発進させたが遅かった。

赤い回転灯が回り、サイレンを響かせた警察車両数台に取り囲まれる。

タクシーから数人の警察官によって保護される私は、さっき観た映画の主人公よりも信じがたい、現実とは思えない体験をしていた。



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