第3話 湯けむり大作戦!

チカチカと点滅する街灯の下を、夜風に髪をなびかせながら暁は歩いていた。

 銭湯に着くと、そのコンクリート塀の隙間から、ふいに声がした。


「おい、あきら! こっち、こっち!」


「うわっ、なんだよ? 誰だ?」


暗がりに目を凝らすと、同級生の川端賢治(かわばた・けんじ)と正岡徹(まさおか・とおる)が、塀の間に挟まるように潜んでいた。

 

「お前が歩いて来るのが見えたからさ。誘おうと思って待ってたんだ」


「誘う? 何にだよ」


「いいから、こっち来いって! 一緒に入れよ!」


怪訝な顔をしつつも、暁は狭い塀の隙間に身体をねじ込み、賢治の肩にぶつかった。


「こんなとこで何やってんだ? 俺、風呂入りに来たんだけど」


「しーーーっ! バカ、大声出すなって!」

賢治が慌てて暁の口を手で塞ぐと、頭上の窓を指差した。

 「ここ、どこだと思う?」

 「はぁ?」

 二人は声をそろえて、にやりと笑う。


 『――女風呂だよ!』


「はぁぁぁぁ~~~っ!?」


『声出すなっての!!』


徹はつま先を立てて背伸びし、そっと窓を開けた。

 途端に、湯気と石鹸の匂いが外にあふれ出す。

 徹が息を呑む音が聞こえた。


「うわぁ~~~、見える見える! 丸見えだぞ!」


「ずりぃぞ! 俺にも見せろ!」


賢治が頭を押しのけ、窓に顔を貼り付ける。

 「うおぉぉぉ~、絶景かな絶景かなぁ~! ここは天国でありんすかぁ~~?!」


その様子に、暁は吐き気を覚えた。

 少年たちの笑い声と湯気が混じり合い、むせかえるような熱気が漂う。


「おい、あきら! お前も見ろって!」

 賢治が暁の襟首を掴んだ。

 「俺はいい。もう風呂行くわ」


塀を横ばいになりながら抜け出そうとしたその時、徹が声を上げた。


「おい……あれ、綾子じゃねぇか?」


ピクリと、暁の体が跳ねた。

 

「ほんとだ! ……ちぇ、もう上がった後かよ」


賢治が舌打ちをする。綾子は下着姿だ。

 「あいつ、結構ボインなんだけどな〜、 顔も悪くねぇし、あれでもっと大人しかったらよぉ~~~」


その瞬間、空気が凍りついた。


いつの間にか、暁が二人のすぐそばに詰め寄っていた。


 「お? お前も見……」


賢治の言葉が終わるより早く、暁の拳が顔に捩じ込まれた。

 鈍い音が夜に響く。

「いってぇっ!!」


「おい、あきら!? どうしたんだよ、やめろって!!」


無言で徹にも掴みかかろうとしたその時


「誰かそこにいるのかい!?」


中年女性の怒鳴り声。

 バンッと窓が開いた。

 反射的に三人とも中を見てしまった。もちろん、暁も。


湯気の向こうで、バスタオルを胸に押し当て、必死に身を隠す綾子の姿があった。


「キャァァァァァーーー!!」

「に、逃げろぉ!!」


三人は塀から転がり出るように逃げ出した。

 「このエロガキどもーっ!」という怒号を背に、全力で走った。

 街灯の光が点滅するたびに、影が三つ、伸びては消えた。



はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。


ようやく辿り着いた公園の土管の上に、三人は倒れ込んだ。

 湿った夜風が汗を冷やす。

 街灯の周りを、蛾がパタパタと飛び交っている。

しばらくの沈黙のあと、ひとりが吹き出した。


「フ……ッハハハ……アハハハハハ!!」


「アハハハハハ!!」


釣られるように全員が笑い出した。


「バカじゃねぇの、お前ら」

 暁が呆れたように笑った。

 「なに言ってんだよ、あきらだって見ただろ? この世の天国だぜ!」

 賢治は土管の上で天を仰いだ。


暁は襟元を引っ張り、夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。

 「……風呂、入りそびれたじゃねぇか、ちくしょう」


「ったく、お前ってほんっと、エロには興味ねぇよな」

 徹が笑いながら土管の上であぐらをかく。


「女なんて、服着てようが脱いでようが同じだろ? どうでもいいっての」


暁が吐き捨てるように言うと、賢治がニヤリと笑った。

 「お子ちゃまだな〜、あきらは。生涯独りもん、孤独死確定~」

 ビシッと指を突きつける。

 徹はそれに便乗し、両手を合わせて拝むように言った。

 「まぁ、骨は拾ってやるよ」


「へーへー、どうぞご勝手に」


暁は肩をすくめると、土管の上から軽やかに飛び降りた。

 靴底がアスファルトを打ち、乾いた音が響く。

「……殴ったことは悪かった。でも、もうこんなことはやめとけよ。じゃあな」


それだけ言って、背を向けポケットに手を突っ込み、夜風の中へ歩き出した。

 


残された二人は、その姿を見つめながら、顔を見合わせる。

 そして、互いに手を握り合った。


「……あきらちゃん、カッコイイ〜〜〜♡」


――はぁっくしょん!!


遠ざかる路地の向こうで、暁が派手なくしゃみをした。



帰宅すると、居間には父・朔太郎の豪快ないびきが響いていた。

 二つ折りの座布団を枕に、布団も敷かず畳の上で寝そべっている。

 片手には飲みかけのコップ酒、傍らには転がった灰皿。


「……邪魔だな〜、ったく」


暁は、眠る父をそのまま踏みつけると、ちゃぶ台の上の茶碗を片付け、布団を敷いた。

 


ドスンッと寝そべり頭の下で指を組むと、脳裏にあの光景がよみがえった。

湯気の向こうで、顔を真っ赤にして、必死に身体を隠していた綾子の姿。

 その瞳の奥の、涙のような光。


父の言葉が、ふと脳裏に蘇る。


「綾ちゃんは女の子だ。」


暁はゴロンと寝返りを打つと、壁際に飾られた母の遺影が視界に入った。ぼんやりと月明かりを反射している。

 やさしい笑顔。まるで、自分たちを見守ってくれているかのようだ。


「……おんな、か」



――翌日

賢治と徹が綾子に絞め殺されたのは、言うまでもない。

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