巨乳しか生まれなくなった世界で、貧乳として生まれたんだが!!

たまごもんじろう

地球貧乳化現象に迫るッ!!!!!!!

 夕刻。街は赤橙の光に包まれていた。

 築十二年の新しい校舎――私立清新学園の中庭には、少女たちの歓声がこだまする。


「きゃーっ! 伝説の大巨乳、ペチャ様よ~!!」


 その人だかりの中心にいるのは、学園随一の美貌と胸囲を誇る少女、ペチャ。

 そして、不思議なことに、周囲の女子生徒は全員――Fカップ以上だった。


「あの、ペチャ様っ! どうすればもっと胸を大きくできるんですかっ!?」


 下級生の真剣な問いに、ペチャは微笑む。


「そうですね。毎日お風呂上がりに、熱した豆乳を摂取することが必須です。

 あとは……恋をするのが一番ですよ」


「きゃーーっ!! ペチャ様ったら、ロマンティックっ!!」


 歓声が再び爆発した、その瞬間。


 ――カキィン!

 金属を弾く音。続いて「危ないっ!」という男の声。


 見上げれば、硬式ボールが落下してくる。

 誰もが凍りつく中、ペチャは地を蹴った。

 

 驚異の跳躍。

 空を切り裂き、素手でボールをキャッチ。

 

 着地の砂煙の中、遅れて駆けつけた野球部員が叫ぶ。


「す、すみませんっ! 打球が逸れちゃいました!」


 ペチャは優雅に笑い、ボールを構え――。

 時速150キロの剛速球を投げ返す。


「私たち女子生徒はか弱いですので、次からはお気を付けくださいね」


 野球部員は顔を真っ赤にし、


「は、はいっ! すみませんでしたーっ!!」

 と叫んで逃げていった。


 「きゃあー、さっすがペチャ様っ! とんでもなーい身体能力!

 これも、巨乳の賜物ねっっ!」

 

 歓声。称賛。羨望。

 ペチャは微笑みながら、そのすべてを背に帰路につく。


 ◇


 自室に戻ると、ペチャは鞄を下ろし、制服を脱いだ。


「はぁ~! 今日の私もすんごくかっこよかった!

 絶対あの野球部員も私に惚れてますよねっ!」


 浮かれていた笑顔が、ふと止まる。


「……でも、結局、私の胸しか見られてないんでしょうね」


 彼女は静かに、胸元へと手を伸ばす。

 そして、を――外した。


 鏡に映るのは、平らな胸。

 人工のパッドが机に落ちる音が、部屋に響いた。


《時は“大巨乳時代”。

『巨乳は徳であり、母性の象徴であり、人類進化の証である』というスローガンのもと、極端な優生思想により、巨乳しか生まれなくなった時代。

 胸の大きさこそが絶対の時代》

 

 彼女は自分の胸を押さえ、涙目で呟く。


「ううぇーん……今日もまだ、貧乳だ……」


 《そんな時代において――ペチャは、AAAカップの貧乳だったのだ》


 ◇


 ペチャの朝は早い。

 家族には自分が貧乳であることを明かしていないため、早朝から胸パッドを装着するのが日課だ。


 彼女のパッドは、アフリカの密売人から個人輸入した特注品。

 装着に時間はかかるが、肌に縫い合わせるように作られており、見た目、感触ではバレることはない。


 準備を終え、制服に身を包んだペチャは学校へ向かう。


「いってきまーす」


 ◇


 制服に身を包み、学校へ向かう道すがら、早くも女子生徒たちの声が飛び込む。


「あ、ペチャ様だ~! おっはようございまーす!」


 ペチャは軽く笑みを返す。


 表向きは優雅な優等生。

 学校でのカーストは胸の大きさで決まり、ペチャはその頂点に君臨していた。

 

 人々の崇拝に応えるため、日々、優雅さと冷静さを演じる。

 それが、彼女の生きる術だった。


 しかし、実際には毎日が綱渡りのような生活だ。


 プールの授業では、パッドが水に弱いせいで、外れかかる危険に常に晒される。

 

 さらに身体測定――。

 もしパッドがバレれば、重大な罰が下る。

 過去には“結婚巨乳詐欺”で死刑になった事例もあるほどだ。


 そこでペチャは、画期的な方法を編み出した。


 測定を行う教師を、自らの巨乳で魅了し、記憶を改竄させるのだ。

 胸の力で、社会的な安全を確保する――恐ろしくも有効な技術である。


 こうした努力の甲斐もあり、ペチャの日常は極めて快適だ。


 イケメンが自然と寄ってくるし、食堂のおばちゃんのサービスも特別。生活の恩恵は計り知れない。

 

 そしてこのままいけば、きっと高身長高収入高学歴の男性と結婚し、順風満帆の人生を送ることであろう。


 ◇


 夕方、学校生活を終えたペチャは帰路につく。

 

 途中、体育館裏で鈍い音。――ドコッ! が聞こえ、覗き込むと、一人の女子生徒がいじめられていた。

 見覚えがある。


 デカパちゃん――かつてのペチャの親友だ。


 いじめっ子の一人が嘲笑する。

「お前さぁ、最近生意気なんだよぉ!

 Eカッ以下は、人権ないっつぅのによ、Gカップの私らに、舐めた口聞いてんなよ!」


 デカパは反論する。

「胸の大きさなんて関係ねぇだろ! あたしは、あたしだ!

 お前らが最近、自分より小さいだけの気弱な子をターゲットにして、いじめてんのが悪いじゃねえか!」


 ペチャは間に入り、柔らかい声で問いかける。

「どうかなされたのですか?」


 するといじめっ子たちは、慌てた様子で言い訳を並べながら去っていく。

「あぁ! ペチャ様……。

 この子が下級生をいじめていたので、説教していましたの! おほほ!」


 デカパに手を差し伸べるペチャ。

「大丈夫ですか、デカパちゃん?」

 しかしデカパは手を振りほどき、冷たい笑みを浮かべる。


「……お前みたいな優等生が、あたしみたいな不良と関わんない方がいいぜ」


 その背を見送りながら、ペチャも帰宅する。


 ◇


 自室に戻り、ベッドに横たわった彼女は、デカパの寂しそうな後ろ姿を思い返す。

 心の奥で、問いかけるように呟く。


「本当に、このまま自分を偽ったままでいいのかな……」


 部屋の窓から差し込む夕陽が、赤橙の光で壁を染める。

 パッドの下の胸に手を置き、ペチャは小さくため息をついた。

 

 偽りの巨乳に守られた生活の裏に、心の揺れが静かに広がっていた。


 ◇


 朝――。

 リビングで登校の準備中に、テレビのニュースが流れた。


 《地球貧乳化現象、拡大中》


 リポーターの声がわずかに震えている。

 どうやらここ数日、ペチャが済んでいる地域の女性たちの胸囲が減少するという、不審な事例が多発しているというのだ。

 

「物騒な世の中になったわねぇ」

 キッチンで母がフライパンを振りながら言う。

 

「あんたも気をつけなさいよ、ペチャ」

 

 ペチャはパンをかじりながら苦笑する。

 ――気をつけるも何も、減るほどないのに。

 ◇

 

 登校路の風が、リボンを揺らした。

 

 校門前では、取り巻きたちがペチャを見つけて駆け寄ってくる。

「ペチャ様ぁ! 今朝のニュース見ました!? 地球貧乳化現象なるものが巻き起こっているらしいですね!」

「わたし、昨日より胸囲が、一センチも減ってたんですぅ!

 ペチャ様も、減っちゃってましたか!?」

 

 ペチャは微笑み、胸元をそっと押さえる。

「まぁ……お気の毒ですね。

 でもご安心くださいませ。私には――何の異常もございませんの。

 それどころか、今朝から少し……大きくなってきましたの」

 

「きゃーー! さっすがペチャ様!!」

「この世界の救世主だわ!」

 取り巻きの歓声の中、ペチャの視線がふと逸れる。

 

 昇降口へ向かう少女――デカパ。

 「デカパちゃん、おはようございます――」

 声をかけようとしたが、デカパはわずかに振り向くだけで歩き去った。

 

「なんかあの子、ペチャ様と同じクラスの人ですよね?

 なんか、感じ悪くな~い?」

「ペチャ様に挨拶されることなんて、この先一生ないのに!」

 

 ペチャは笑って誤魔化す。

 だが胸の奥――いや、胸のない場所に、冷たい風が吹いた。

 

 (……)

 

 空を仰ぐと、彼方まで透き通っている。

 ――それなのに、どうしてこんなに息苦しいのだろう。


 ◇


 体育の授業。

 

 白線の引かれたグラウンドに、朝の光が反射してまぶしい。

 風に混じって、ボールの弾む音と笑い声が響く。


「それじゃ今日はソフトボール! まずは二人一組のペアをつくって、キャッチボールだ!」

 教師の声と同時に、クラス中が振り返る。


「ペチャ様! 相手してくださいっ!」

「私も! 一球だけでも!」


 まるで人気アイドルの争奪戦。

 ペチャは困ったように笑いながら視線を泳がせ――ふと、一人俯く背中を見つけた。


 デカパ。

 寂しそうに、地面を見つめるひとりの少女。

 

「では、デカパさんを相手にします!」


 ざわめきが走る。

 デカパは驚いた顔でこちらを見つめた。


 ◇


 最初のボールはデカパの手にあった。

 

 だが、なかなか投げようとしない。

「どうしたのです? はやく、投げてくださいよ」

 促すと、彼女は小さく呟いた。


「……昨日は、ごめん。

 せっかくいじめっ子たちから、助けてもらったのに、あんな態度取って……。

 今朝も、挨拶返せなくてさ。本当は返したかったんだ。

 ただ、お前と関わるのは迷惑だって……思ってた」


 深呼吸して、デカパは叫ぶ。

「だから――本当に、ごめん!」


 その声と同時に、白球が一直線に飛ぶ。

 ペチャは微笑みながら受け止め、言った。


「いいんですよ、デカパちゃん。私は気にしていません……。

 悪いのは――私なんですから」


 そう言って、軽やかなフォームで投げ返した一球は、風を裂く速球だった。


「っいってぇー! ほんと、昔っからえげつねぇ力だな!

 もっと手加減してくれよ、!」

「そんなに強く投げたつもりはないんですけど……」

 

 ペチャは少し照れたように笑い、続ける。

「それよりも――久しぶりに、私の名前を呼んでくれましたね」


 デカパの頬が染まる。

「……あぁ、そういえばそうだな」

 

 そして、少し照れ隠しのように叫んだ。

「おいペチャ! 仕返しの至高の一球、受けてみろ!」


 笑い声がグラウンドに弾けた。

 二人の間で、白球が光のように行き交う。

 

 ――あぁ。こんなに心から笑えたのは、いつ以来だろう。


 息を整え、ペチャは俯きながら口を開く。

「デカパちゃん……いえ、皆さんにも聞いてほしいのですが……」


 胸の奥で、何かが震えた。

 きっと、今の生活を送っていても、いつかはきっと報いを受ける。

 何より、毎日がなんというか、楽しくない。

 

「私は……本当は、巨乳なんかじゃなくて……」


 だから、もう偽るのはやめにする。


 喉までせり上がる言葉。

 

「本当の私は――!」


 ◇


 彼女――ペチャが罪を告白しようとしている中、学園の屋上では不審な影があった。


 白衣に身を包み、髪はてっぺんだけが薄くなった老人――その姿はまさに、博士と呼ぶにふさわしかった。

 そしてその者は、我々読者へと、語り掛けてくる。


 『わしの名前は、ドエロ博士。御年69歳じゃ。

 突然じゃが、紳士諸君……おっぱいは好きかね?』


 その表情は異常なまでに輝き、声を張り上げる。


 『わしは大好きじゃああああああ!』


 そして博士は胸を張り、さらに続けた。


 『願わくば、おっぱいちゃんをずっと揉んでいたい!

 そこで開発したのが…………じゃああああ!』


 そこに現れたのは、少しメカニカルな小型掃除機。

 博士は得意げに解説する。


 『この掃除機で吸うことで、巨乳の女性のおっぱいエキスを吸収できるのじゃ。

 そして溜めたエキスを融合させれば、おっぱいを新しく生成できるのじゃ!』


 さらに博士は続ける。


 『実際、わしは街中のおっぱいエキスを吸い取り、家に沢山のリアルおっぱいマウスパッドを作っておる!

 巷では、『地球貧乳化現象』がどうとか言われとるが、ありゃ全部わしのせいじゃな』


 博士は鼻をほじりながら言う。


 『え、そんなの犯罪じゃないかって?

 それがのぉ、ひとりあたり6グラムしか吸わないから、誰にもバレずに完全犯罪なのじゃ!』

 

 そして博士は掃除機を構え、注意を口にする。


 『よし、今日も今日とて、おっぱい吸っていくとするかのぉ!

 間違っても掃除機の強度を、にしないことだけに注意して……スイッチオン!』


 掃除機が起動した。

 だがその瞬間、博士の目に飛び込んできたのは……


 『な、なんじゃ! あの校庭にいる、美人巨乳教師は!!』


 博士にとってドタイプの女性が、目に入ってしまった。

 見惚れた瞬間、カチッ、と掃除機の音が鳴り、誤って強度が7以上に上がってしまう。


「あっ……」


 博士はただ、そう呟くしかなかった――。


 ◇


 「私は……本当は、巨乳なんかじゃなくて……。

 本当の私は――!」


 ――まぶたを開けた瞬間、世界は地獄のようにひっくり返っていた。

 

 体育のグラウンドにいた女子も、教室の窓際にいた女子も、空へ、空へと吸い上げられていくのだ。

 まるで見えない掃除機に吸われるように。

 

 いや、違う。――実際に、巨大な掃除機のようなものが雲の中に口を開けていた。


 ペチャは凍りつく。

 その吸引に巻き込まれたデカパが、苦しげに手を伸ばしていた。

 

「デカパちゃん!」

 叫びながら地を蹴る。


 空中で手を伸ばす。だが、指先がほんの数センチ届かない。

 彼女の身体は無情にも落下し、地面に叩きつけられた。


 ――痛い。


「お主! 大丈夫なのかっ!」

 聞き慣れぬ声。

 振り返ると、白衣をはためかせた小柄な老人が立っていた。

 

「え、ええと……どなたですか!?」

「わしはドエロ博士じゃ!」

「ど、ドエロはかせ……!? あ、ええ私はペチャです!」


 そんなやりとりの最中にも、空では異様な光景が続いていた。

「……って、それより! あれはいったい何なんですか!」


 博士の顔が苦悶に歪む。

「わしが誤って、掃除機の強度を大きくしすぎたことで、だけではなく、吸い取る事態に陥ってしまったのじゃ!

 ……そして今、彼女らは掃除機の内部で混ざり合い、融合しておる」


 見上げれば、上空の掃除機は凄まじい音を立てて震えていた。

 光が漏れ、空気が裂け、――やがて、黒い手が、掃除機の内部から突き破って現れる。


 恐怖の化身。

 そうして漆黒の肌を持つ、五階建ての校舎をも超える“女の巨人”が姿を現した。


「……挙句の果てに、言うなれば――という化け物が誕生してしまったんじゃああああああ!!」

 博士の悲鳴が、まるで号令のように響いた。


 怪物は意識も理性も持たぬまま、都市へと走り出す。

 巨体が踏み鳴らすたび、地面が揺れ、ビルが崩れ落ちた。


「今の大巨乳の中には、多くの人格が宿っておる……!

 故にそれらが、反発することでいずれは世界をも、破壊しつくすだろう……!」

 博士は拳を握りしめる。


「あぁ、わしがおっぱいを求めたあまりにぃ……」


 ペチャは震える手で、博士の肩を掴んだ。

「……そんなもののために、なんてことをしでかしたんですかっ!」

 怒声が空を裂いた。


 老人は顔をくしゃくしゃにして、嗚咽を漏らす。

「すびぃっばせんっ……! 若い頃、モテなかったんですぅぅぅ……!」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、情けなく頭を下げる。


 ペチャは呆れと怒りが入り混じった目でそれを見下ろし――そして、街を蹂躙し続ける黒き巨影に目を向けた。

 破壊のたびに、地鳴りが骨を揺らす。


「……デカパちゃん」


 その名を呟いたとき、胸の奥にひと筋の熱が灯る。

 ペチャは制服の胸元に手を入れ、静かに、パッドを取り出した。

 

 それを地面に投げ捨てる。――乾いた音が、決別のように響いた。


 風が頬を撫でる。

 もう、何も隠さない。

 小さな胸が、確かな鼓動を打っていた。


 ペチャは地を蹴り、走り出す。

 その背に博士の声が追いすがる。

「待て! 早まるな! お主にいったい何ができるというのじゃあ!」


 だが、少女は止まらない。

 白衣の老人は歯を噛み、ふと疑問に気づく。

「はて……なぜ、あの少女だけが吸われなかったのじゃ……?」


 走りながら、ペチャの意識は過去を遡っていた。


 ◇


 ――昔から、貧乳というだけで誰にも認められなかった。

 

 どれほど努力しても、記録を残しても、最終的に注がれる視線は、胸の大きさで決まっていた。

 世界は、なんと残酷で、単純だったことか。

 毎日が黒の原液で塗りつぶされていくようだった。


 でも。

 その闇の中に、一つだけ光があった。


 デカパちゃんだ。


 彼女は、同じ年齢の中では異次元の胸囲を持ちながら、私を笑わなかった。

 むしろいつも優しくて、誰よりもまっすぐだった。

 

 いじめられて泣いていた私に、真っ先に駆けつけてくれた。

 ……彼女こそ、私の初めての親友だった。


 そして、あのときはほんの軽い気持ちだった。

 

 お小遣いを貯めて、小さな小さなパッドを買ってみた。

 ほんの、ちょっとだけ見栄を張ってみたかっただけ。


 けれど――それだけで世界は、変わった。


 褒められ、羨まれ、注目され、私の中に“優越感”という甘い毒が流れた。

 いつの間にかパッドは大きくなっていき、胸は誇示の象徴へと化していった。


 中学に上がる頃には、私は“巨乳”として讃えられる側にいた。

 そして、小学生の頃から成長の止まってしまったデカパちゃんが、今度は笑われる側に回った。


 ――世界は、あっさりと裏返る。


 私はもちろん、彼女に声をかけた。

 でも、私のことを思ってか、彼女はもう振り向いてくれなかった。


 ただひとつだけ確かだったのは、あの時、私は“真実”を言うべきだった。


 ――私は、変わっていない。今も、貧乳のままだと。


 でも言えなかった。

 

 積み上げてきた虚構の地位が崩れるのが、怖かった。

 たとえそれが偽りだったとしても、幸せを味わいたかった。

 手放したくなかった。

 

 そして、なにより。


 貧乳の自分が、嫌いだった。


 ◇


 都市の残骸を踏みしめ、黒い巨影が迫る。

 ビルを砕き、アスファルトを溶かしながら――世界を呑み込むほどの質量で。


 ペチャは拳を握る。

 (……ずっと、そう悩んできた。どうして私だけが、貧乳だったのか)


 唇を噛みしめながらも、その瞳にはもう迷いがなかった。

 (でも、今ようやく――その答えが、わかった)


 足裏が地を割る。

 

 彼女は地面を蹴り抜け、風を裂いて宙へと跳躍した。

 彼女の影が、巨人の顔と並ぶ。


 「世界を救うために……私は貧乳だったんだっ!!」


 その叫びと同時に、回転を混ぜた渾身の蹴りが大巨乳の顎を打ち抜いた。

 衝撃波が空を裂き、巨体が吹き飛ぶ。


 ◇


 その光景を望遠鏡越しに見ていたドエロ博士は、走りながら息を呑んだ。


 「な、なんという身体能力……やはりっ!」


 彼の脳裏に、古びた一冊の文献が閃く。

 ――かつて存在した《貧乳民族》の記録。


 「昔読んだ書物には、こう記されておった……!

 “貧乳には胸がない分、全身にエネルギーが満ちており、身体能力が異様に高かった”――と!!」


 ◇

 

 ドエロ博士が“大巨乳”と名付けた女巨人の顔には、縦に走る深い亀裂――まるで大地が裂けたような傷が刻まれていた。

 黒曜石のような肌の隙間から、赤熱した光がじわりと漏れ、煙を上げている。


 それでも、巨人は立ち上がる。

 軋む音を立て、倒壊しかけた脚を無理やり支え、灼け焦げた片目で標的を捉える。

 視線の先――ペチャ。


 その瞬間、地が鳴った。

 

 巨腕が唸りを上げ、空気が爆ぜる。

 振り下ろされた拳が、轟音とともに大地を叩き砕いた。

 

 土煙が弾け、視界が白く霞む中、ペチャは寸前で身を翻す。

 砕けた瓦礫が頬を掠め、皮膚を裂く。だが止まらない。


 足元の瓦礫を踏み砕き、反動を利用し、巨人の懐へと一気に跳び込んだ。

 

 巨人が腕を横薙ぎに振る。

 空気が裂け、唸りを上げる。

 

 ペチャはその下を滑り抜け、拳を叩き込む――。

 

 肉が焼ける音が響き、亀裂の奥で黒煙が舞った。

 だがそれでも、巨人は怯まない。

 再び腕を振り上げ、ペチャを叩き潰さんと迫る。


 瞬間、二つの影が絡み合う。

 

 拳がぶつかり、骨が軋み、光が弾けた。

 圧が爆発するたび、地面が陥没し、瓦礫が宙に跳ね上がる。

 互いの息が荒く混じり合い、衝撃で空気が焼ける。


 巨人の拳が頬を掠め、視界が一瞬、白く弾けた。

 だがペチャは怯まず、両足を地に沈め、踏み込み――そのまま体重ごと拳を叩き上げた。


 轟音。

 巨体がのけぞり、空へ浮く。

 ペチャはすかさず追い打ちをかける。

 拳、膝、肘、すべてを連打に変え、破裂するような音が次々と重なっていく。


 「うおおおぉぉぉぉおお!」

 叫びとともに、最後の一撃を放つ。

 

 全身の血流が一瞬で爆ぜるほどの力。拳が光を帯び、音を超える速度で叩き込まれた。

 空間が震え、衝撃が遅れて爆ぜる。


 残されたのは、焦げた空気と、ペチャの荒い息。

 そしてまだ震え続ける拳だけだった。


 ――世界が、音を取り戻した。


 爆ぜるような轟音とともに、大巨乳――いや、巨人の怪物は、風船が破裂するかのように砕け散った。

 

 破片は光の粒となって弾け、その中から無数の女性たちが零れ落ちていく。

 あれは――掃除機に吸い込まれた者たちだ。


 彼女たちはみな、意識を失ったまま、ゆっくりと重力に引かれて落ちていく。

 

 絶望的な高さ。

 地面は近い。あと数秒で――。


 「……膨らめっ! おっぱいクッションッ!!!」


 その叫びとともに、ビルの影から転げ出すように現れたのはドエロ博士だった。

 

 博士が投げ放った丸くて柔らかい球体が、空中でぶわっと膨張し、ふわりと巨大な乳房型のクッションへと変貌する。

 落ちてきた女性たちは次々とそれに受け止められ、ぷよん、と心地よい音を立てて跳ね、衝撃を逃した。


 「危ない危ない……! いやはや、乳の恩恵は偉大じゃのう!」

 博士は額の汗をぬぐいながら、安堵と興奮の入り混じった声でそう呟く。


 そして博士は、ふと上空を仰いだ。

 

 そこには、ゆっくりと落下してくる、ひとりの少女。

 その腕の中には、気を失ったもうひとりの少女――デカパの姿があった。

 彼女を抱きかかえたまま降りてくるのは、ペチャ。


 風が舞い、陽光を浴びた二人がゆっくりと地上へと降り立つ。

 博士は思わず口の端を歪め、目尻を細めて言った。

 

 「ぐへへ……やはり、貧乳もいいなァ……」

 心底気持ちの悪い笑みを浮かべながら。


 ◇


 デカパが薄く目を開ける。

 

 朦朧とする視界の中、見慣れた顔があった。

 「……ペチャ?」

 その名を呼ぶ声は、まだ夢の中のように掠れている。


 「おはようございます、デカパちゃん」

 ペチャは穏やかに微笑む。その顔には、どこか吹っ切れたような清々しさがあった。


 だがデカパは、目を丸くした。

 「……って、胸なくなってるけど!? どうしたんだっ、何があったんだよ!」


 ペチャは小さく息を吸い、そして、静かに言った。

 「なくなったんじゃないんす。――元から、なかったんです」

 

 デカパの瞳が揺れる。ペチャは続けた。

 「私の巨乳は、パッドで作られた偽りのものだったということです……。

 ……怒りますよね?

 ずっと騙してたし、何より、デカパちゃんが辛いときに一緒にいてあげられなかったし……」


 風が吹く。二人の髪が、空へと流れる。

 沈黙が落ちる。けれどそれは、痛みではなく、安らぎの静けさ。


 デカパは、ゆっくりと笑った。

 「……へぇ、そうだったんだ」

 

 肩をすくめ、空を見上げる。

 「怒ってなんかないよ。――っていうか、巨乳とか貧乳とか、マジどうでもいいし!」

 そう言って、デカパは軽く拳をペチャの肩に当てた。

 「ペチャはペチャのままなんだろ? それなら、何の問題もなし!」


 ペチャの目に涙が滲む。

 唇が震え、それでも、笑顔を崩さずに言った。

 「……うんっ!」


 その声は、涙の粒とともに青空へと弾けた。

 まるで、新しい世界の始まりを告げるように。


 ◇


 ……そうして私は、貧乳だけど世界を救った。


 その結果、胸の小ささこそが評価される大貧乳時代に……!

 

 なるわけもなく。

 相も変わらず、胸の大きさがすべての時代だ。

 

 ――朝の光が、校門の鉄柵をきらきらと照らしていた。

 風はやわらかく、街はもう、あの日の混乱を忘れかけている。


 そんな中を、ペチャとデカパは隣に並んで歩いていた。


「なぁなぁ、ペチャ! 昨日の8チャンの番組見たかっ!?

 あれ、すんげぇ面白かったぞ!」

 彼女のテンションに、ペチャは少し肩をすくめ、口元に微笑みを浮かべた。

「えぇ、見ましたよ。

 たしか、アマゾン川に生息していると噂されていた恐竜が、実はただの猫だったっていう内容でしたよね」

「そうそう! そんでその猫がな……」


 デカパの話は止まらない。

 両手を大げさに振り回しながら、まるで自分が現場にいたかのように再現してみせる。

 その姿に、ペチャは小さく笑った。


 あんなことがあったけれど、意外にも普通の日常を過ごしていた。


 パッドで胸を偽っていたことに関しては、大巨乳を倒し、世界を救ったことで不問となった。

 

 取り巻きたちはもういない。

 でも決して、いじめられているわけではない。


 ふたりは、笑いあいながら他愛のない話を続けていると、背後から妙に響く声がした。

「――ペチャ殿ぉぉぉっ!!!」


 嫌な予感しかしない。

 振り返ると、案の定、白衣をはためかせて走ってくる還暦の男――ドエロ博士。

 

 うわ、と心の中で思い、自然と顔が暗くなる。


「え、このじいさん誰? ペチャの知り合い?」

 デカパが怪訝そうに首を傾げる。

 

 私はため息をつき、冷ややかに言った。

「この人こそが、“地球貧乳化現象”の犯人であり、先日の事件の首謀者でもあります。

 はぁ……まだ捕まってなかったとは」


 博士は膝をつき、嗚咽まじりに叫ぶ。

「わしは……間違っていた!! 乳の大小ではないっ! 貧乳こそが至高だったのじゃ!!

 そこでどうか、わしと結婚し――その貧乳を、貧乳のごとく、貧乳のように……貧乳させてはくれんかァァ(?)!!!」


 涙をぼたぼた流しながら懇願する博士。

 デカパが一歩引き、「なにこの人こわっ」と呟く。


 私は、額の青筋を押さえ、深く息を吸った。

「……貧乳、貧乳って……うるさいですっ!!」


 拳が風を裂く。

 

 博士の身体は星の軌道を描きながら、宇宙の彼方へと吹き飛んでいった。

 

 遠くで“ポンッ”と音がした。多分、成層圏を超えたのだろう。


「おぉ~! お見事!」

 隣でデカパが軽く拍手する。

 私はふう、と大きく深呼吸し、背伸びをした。


「行きましょうか、デカパちゃん」

「おう!」


 二人並んで昇降口へ向かう。

 日差しが眩しい。

 風が気持ちいい。


 ――今の私は、貧乳だ。

 巨乳だった頃のように、みんなの憧れでもなければ、数多のイケメンに言い寄られるわけでもない。


 けれど。


 ほんの少し。

 ほんの少しだけだけど――。


 前の自分よりも、胸を張れる自分でいられている気がする。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



読了、感謝いたします。

この物語が、あなたの中にほんの欠片でも残ってくれたなら、それだけで嬉しいです。

もしよければ、ブックマークや感想で足跡を残していってください。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

巨乳しか生まれなくなった世界で、貧乳として生まれたんだが!! たまごもんじろう @tamagomon2525

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ