第27話 心構え

 死の間際、思い出したのはラトナの言葉だった。

 

「受け流すときに重要なのは、攻撃をどこで受けるかじゃなくて、受けたときの盾の角度に気を付けるんだよ」

「角度……」

 

 受け流しに苦戦して悩んでいたときに、ラトナが声を掛けてくれた。上手くできないことをそれとなく伝えると、手ほどきをしてくれた。

 

「そそ。相手に攻撃に対して盾の角度を垂直にするんじゃなくて、ちょっと角度をずらすの。で、受けたときに攻撃を盾で滑らすんだって」

「そっか……弾くもんだと思ってたよ。ありがとう」

「いいよこれくらい。カっちゃんに聞いたら基礎の基礎らしいしー」

 

 それすら知らなかったのだから、僕にとってはありがたい情報だった。

 彼女にお礼を言うと、「あとね」とさらに言い足す。


「心構え、っていうやつも聞いたんだけど、聞く?」

「……うん」

 

 技術に比べて役に立つのか不安だったが、折角聞いてくれた親切を無下にする気は無かった。

 ラトナはコホンッと咳払いをして語った。

 

「受け流しとは、動きを支配する技術だ。川の流れを遮る壁ではなく、新たな流れを作る岩に成れ……だってさ」




 身体が勝手に動いていた。

 盾を前に出し、攻撃の軌道に合わせ、当たる瞬間に少しだけ腕を捻る。盾の角度を変え、攻撃の勢いに逆らわず、同時に盾を動かす。左腕を外に動かし、攻撃の軌道をずらす。

 するとワーラットの棍棒が盾から離れ、大きな音を立てて地面に突き刺さる。盾は無事で、攻撃を受けた衝撃をほとんど感じない。

 

 何が起こったのか、自分でも理解できなかった。覚えているのは、攻撃をくらう直前にラトナから教えてもらったことを思い出したということだけである。

 

 だが、今が好機である事は分かった。

 目の前には、攻撃を外して呆けているワーラットがいる。人間とは違う顔だが、驚いていることがなぜか分かった。

 僕は隙だらけのワーラットの懐に入る。ワーラットもやっと気づいたが反応が鈍い。この距離なら避けられまい。

 

「づあぁっ!」

 

 渾身の力を込めて、ワーラットの腹に剣を突き刺した。

 

『ヂュラァア!』

 

 ワーラットの悲鳴が響く。痛みに苦しむ声か、逆に耐えようとする声なのか、人間である僕には分からない。だが、攻撃が効いていることは確かだった。

 

 根元まで刺した剣を捻りながら引っこ抜く。剣を抜いた瞬間、血が飛び散る。人だったら致命傷と言ってもいい傷だ。このまま倒れてくれることを暗に願った。

 だが、現実は甘くない。ワーラットは倒れずに僕を睨む。その眼から、さっき程までの余裕に満ちた慢心は無く、殺意が伝わってくるほどの憎悪を感じた。

 血を垂れ流しながら、ワーラットは棍棒を振るう。先程よりも大振りで杜撰な攻撃だ。しかし、まともに食らえば即死である。その攻撃に、僕は盾をそえた。

 

 受け流しに成功した時の感覚は、まだ残っていた。棍棒が盾に当たる瞬間、腕を捻って盾の角度を変える。棍棒は盾の表面を滑り、明後日の方向に逸れていく。また成功する。

 攻撃後の隙を狙って、ワーラットの太股を斬り裂く。丸太を思わせる太い足だが、力の限りを使って剣を振り切った。

 足を切ったお蔭か、ワーラットは地面に膝を着く。同時に、頭部が僕の眼前に下がってくる。

 

 千載一遇のチャンスが舞い降りた。

 僕は剣を振り上げてから、ワーラットの頭部に目掛けて振り下ろした。

 ワーラットの顔に、縦の深い切り傷が残る。反撃に備えて盾を構えたが、ワーラットは何の反応も見せない。

 そして糸が切れたかのように、ワーラットは身体を支えることが出来ず地面に倒れた。

 

 倒れたワーラットは、ピクリとも動かない。いつもなら死亡確認のために剣を刺しているが、今回はそんな気が起こらない。

 あの一撃でワーラットの命を絶った。その手応えが身体に残っている。それで十分だった。

 

「やった……」

 

 七階層のモンスター、最も厄介な敵ワーラット。そいつを自分だけの力で倒し切った。

 その事実に、言葉にはできないほどの達成感を得ていた。

 

「ヴィックさん!」

 

 勝利の余韻に浸っているところに、フィネさんの声が聞こえた。ただその声は、助かったことを喜ぶような歓喜の声ではなく、危険を知らせるような忠告の類の声だった。

 我に返った僕の耳に足音が届く。フィネさんが居る方と逆側からだ。

 

 音の方に振り向くと、さっき倒したはずのワーラットが立っていた。

 理解が追い付かず放心する。さっき倒したはずのワーラットが、なんで生きている? 甦ったのか?

 

 訳が分からずに混乱したが、ワーラットの身体と地面を見て理解できた。

 目の前のワーラットには、僕がつけた一切の傷が無い。しかも地面にはワーラットの死体が横たわっている。

 これらが示すことは、単純な答えだった。

 

「二体目か」

 

 目の前のワーラットは別の個体だ。戦闘音かワーラットの鳴き声を聞いて、ここに駆け付けたのだろう。同胞のピンチだ。助けに来ないわけがない。

 

 やっとの思いでワーラットを倒した後の連戦。理不尽な仕打ちに、思わず笑ってしまった。

 だが、すぐにまた気を引き締める。やることは同じだ。


 僕は再び、剣と盾を構えた。

 

「来い」

 

 ワーラットは仲間の死体を一瞥してから僕を見る。敵の鼻息は荒くなっている。仲間が殺されて怒っているのだろうか。だとしたら好都合だ。

 怒りに身を任せた攻撃は単純になる。力任せな攻撃は読みやすくなり、受け流しをしやすい。勝利のイメージが湧いてきた。

 

 二体目のワーラットは、一体目よりかは若干小柄で顔が細い。両手には最初から二本の棍棒がある。そのうちの右手の棍棒を振り下ろしてきた。

 初撃を避けた僕は、踏み込んで反撃をする。剣を振るうが、ワーラットは身を引いて避ける。一体目よりも身軽な動きだ。身体が小さい分、動きが素早い。そして攻撃の速度も速い。僕の攻撃の後、ワーラットはすぐに左手の棍棒を振るう。攻守の切り替えにかかる時間が短い。二撃目も避けてからすぐに反撃したが、それも当たらなかった。

 

 攻撃され、避けて、反撃して、避けられる。決め手を欠いた攻防が続く。受け流しをして隙を作りたかったが、その準備をする時間すら敵は与えてくれない。防いだり避けたりするのが精一杯だ。

 

 打開策を考えながら動き、互いに壁を背に向ける。そのとき、ワーラットが動きを止めた。

 何事かと思って見ていると、ワーラットの視線が僕から外れた。


 視線の先にはフィネさんがいる。まさか――。

 その不安は的中した。

 

『ヂュルルル……』

 

 ワーラットは僕を無視し、フィネさんの方に走り出す。迷いなく、一直線に。

 

「待て!」

 

 一体目のワーラットは、邪魔な敵である僕を先に倒そうとした。この個体はその逆で、先に倒せそうな敵を優先する思考なのか?

 

 僕は走り出し、フィネさんの元に向かう。先に駆け付けるため、必死に足を動かす。ワーラットの足は遅い。後から走り出したにもかかわらず、ワーラットと並走する位置まで追いつく。

 

 それと同時だった。


 ワーラットは突然、薙ぎ払うように棍棒を横に振るった。下半身を狙った一撃。それを咄嗟に上に跳躍して避けた。動作が大きかったため、ぎりぎり反応が間に合った。

 だが、それが仇となった。

 

 上に跳んだ直後、ワーラットが二撃目の棍棒を振りかぶる姿が視界に映る。それまでの動きは、まるで予想していたかのように滑らかだった。

 そういうことか。ワーラットの意図を理解し、同時に己の迂闊さを嘆いた。

 ワーラットの狙いはずっと変わっていない。あの不可解な行動はフィネさんを狙うためではない。僕を誘い出すための動きだったんだ。

 

 宙に浮いた僕を目掛けて、ワーラットが棍棒を振るう。最悪なことに、僕の右手側、盾を持っていない方からだ。

 僕は腕を回して、身体を捻らして無理矢理盾を向ける。この体勢では受け流しはできないが仕方がない。

 衝撃に備えて歯を食いしばる。盾に棍棒が当たった瞬間、腕から身体全体に痛みが伝わる。一体目のワーラットと、同等の威力だった。

 

 あぁ、これはまずい。

 次の瞬間、僕の身体は壁に激突した。壁に衝突した痛みが、背中から全身に伝わってきて、意識が飛びそうになる。駄目だ。まだ倒れるな。

 

 痛みに耐えながら身体を起こす。重力に引かれて倒れそうになり、剣を杖代わりに使って持ち堪える。

 なんとか踏ん張って立ち上がったとき、左手が妙に軽いことに気づいた。視線をやると、左腕には表面積が半分になった盾がある。視線を下げた先には、地面に落ちた残り半分の盾が落ちていた。

 

「……さすがに笑えない、ね」

 

 あまりの絶望に、笑う事すら出来なくなった。

 少し気を抜いただけで、この様だ。やはり世の中は簡単にはいかない。それを改めて実感した。というか、何度思い知れば僕は学ぶのだろう。むしろ学習能力の低さに呆れてしまった。

 

 盾を失った僕に、ワーラットが迫って来る。のしのしと音を立てて警戒せずに。その馬鹿にした態度に、苛立つ余裕は無かった。

 

 僕は自分の状態を顧みる。

 盾は無い。身体は痛みが走って動き辛い。壁に追いやられて逃げ場も無い。今までで一番の最悪の状況だ。ここまで追い込まれたのはグラプに襲われたとき以来だろう。

 

 そう、グラプだ。

 あのとき、彼女は身の危険を顧みずに助けに来た。命を張ってくれた。天才と呼ばれた普通の少女が。

 

「負けて、られ、ないね」

 

 顔を上げ、身体を起こし、剣を構える。

 あの子が出来たことを、僕がしないわけにはいかない。

 彼女が相手した敵よりも弱い敵に、怖気づいている訳にはいかない。

 

 彼女と共に戦うために。

 

「来なよ、ワーラット。まだ僕は、戦えるぞ」

 

 ワーラットは僕と目が合うと、一瞬だけたじろいた。瀕死だと思った獲物がまだ戦う気があると分かったら、誰だって警戒する。

 しかしそれはほんの数秒だけ。ワーラットがすぐに棍棒を構える。ちゃんと仕留めに来る気だ。

 

 僕は剣を持つ手に力を入れる。剣一本で戦おう。以前は出来ていた。きっと今もできるはずだ。

 一瞬一瞬に神経を尖らせる。ここから先は1つのミスもしない。

 全神経を集中させる。その直後にワーラットが右手の棍棒を振り下ろす。身体の向き、腕の振り、棍棒の角度を見て、軌道を予測する。勝利のために、何一つの挙動を見逃す気はなかった。


 そして、研ぎ澄まされた集中力は――、

 

「させねぇよ」

 

 予想外の人物の声でかき乱された。


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