第12話 心酔
翌朝、僕はマイルスの北門に向かっていた。門の前には武装した4人の守衛が立っていて、門の端には小さな小屋があった。周囲の監視と門を通行しようとする人の身元確認のためだ。一般人なら役所から発行された通行許可証が必要だが、冒険者の場合は冒険者登録した時に得た印章を見せれば事足りる。
守衛に印章を見せた後、いつも通りにマイルスの外に出る。何度も繰り返した行動のため、つつがなく終わった。
外に出て道のりをしばらく歩くと、幌付きの荷馬車があった。御者台にはフェイルさんが座っていて、僕に向かって手を振っている。僕は手を振り返してフェイルさんの許に向かった。
「おはようございます。フェイルさん」
「あぁおはよう。昨日はよく眠れたかい?」
「えぇ。ばっちりです」
適当な会話を済ませると、「じゃあ行こうか」とフェイルさんが言う。僕がフェイルさんの隣に座ると馬車が進み出した。
ゆっくりとした速度で馬車は動く。マイルスの北側の景色はいつも見ていたはずだった。しかし歩いて見ていたときと馬車に乗って眺める風景は、少し違っているように見えた。
「何か面白い物でも見つけたかな?」
周囲を見渡している僕に、フェイルさんが尋ねた。
「いえ……いつも見てるはずの景色が、ちょっと違ってるように見えたので」
「それは君が変わったからさ。いつもより前向きになったから、同じはずの風景が違って見えるのさ」
「なるほど」
少し嬉しくなった。勇気を出してフェイルさんの依頼を受けただけで、もう変わり始めている。
やはり受けて正解だった。この調子なら本当に成長できるかもしれない。
そういえば……、
「今回の依頼って何なんですか?」
依頼の事を聞いていなかったことに気づいた。さすがに何も聞かずに挑むのはまずい。
フェイルさんは「そういえば言ってなかったね」と言った。
「薬草採集の依頼だよ。ゴクラク草というグラプってモンスターが育てる薬草だ。自然に生えてくることは無いため植生場所と数が少ない。だけどとある製法で作られたゴクラク草の薬は、人々に幸運をもたらすと言われている。だからとても価値のある薬草だ。その薬を作るための薬草を集めるのが目的さ」
「どこに生えているんですか?」
「とある洞窟さ。そこにグラプの寝床があるから、そこで採集を行う。ちなみにグラプは全身が蔓に覆われた人型のモンスターだ。身体が大きくてパワーもある。そのうえ蔓を使って捕まえようとしてくるから、結構厄介なモンスターだよ」
話を聞くだけでも、やりにくそうな相手だと思った。
力があるってことはグロベアみたいなモンスターだろうか。あのときは死にそうになった。パワーのある相手とは出来ればやり合いたくない。一撃でも貰えれば瀕死になる。それに蔓を伸ばすというのも面倒そうだ。そんなモンスター、今まで見たことが無い。どんな風に戦えればいいのか想像できない。フェイルさんの言う通り、厄介そうな相手だ。
少しばかり不安になった。勢いに乗って依頼を受けたが、生きて帰れるのか。ここで帰った方が良いのではないかと弱気になってしまう。
そんな僕の心情を察したのか、「大丈夫だよ」とフェイルさんが優しい声を掛けてくれた。
「君は一人じゃない。僕がいる。それにまだ教えてなかったけど、先に現場で待機している仲間もいるんだ。皆と力を合わせれば乗り越えられるさ」
「……はいっ!」
フェイルさんに励まされた僕は力強く返事をした。
そうだ。僕一人じゃない。仲間がいるんだ。フェイルさん達と一緒なら、どんな依頼だってできる。
意気揚々となり、気分が高ぶる。道中に何があっても大丈夫。そんな心境に変化していた。
1時間ほど馬車を進ませると、道が2つに分かれていた。1つは隣町に続く道で、もう1つは森の中に続いている。僕らは後者の道を進んだ。
森の道を十分ほど進むと洞窟が見えた。洞窟前に着くとフェイルさんが「あの先だよ」と言って馬車から降りて洞窟に向かったので、僕もそれに続いた。
洞窟の中に入ると、フェイルさんはランプの明かりを点け、右手で持ったまま進む。僕もランプを点けたが、武器が持てなくなるのでズボンのベルトループに付けた。
会話の無いまま奥へと進み続ける。どこまで進むのか気になって、フェイルさんに訊ねた。
「フェイルさん、どこまで行くんですか?」
「一階層の奥まで。そこにグラプの住処に続く道があるから」
淡々と答えると、フェイルさんはまた黙って歩く。洞窟に入ってから、フェイルさんの反応は淡泊になっていた。なにかイラつかせることでもしてしまったのか……。
不安を抱きながら歩いて30分程で、フェイルさんが足を止めた。目の前には壁に寄りかかった大きな岩がある。僕の身長と同じくらいの高さだ。
見るからに重そうな岩だったが、フェイルさんは両手でそれを押してどかせた。細身でありながらも岩を動かすほどの筋力に、僕は感心していた。
「さぁ、ここから行くよ」
岩があった場所の奥には穴が空いている。ひと1人が通れるほどの大きさで、穴の奥は下に続いている。
「行くって……この穴の奥にですか?」
「そうだよ。大丈夫。ちゃんと準備もしてあるから……ほら」
フェイルさんが穴の手前を探るとロープが出てきた。太くて丈夫そうなロープで、これを使って降りるということだ。
ロープを使った昇降はしたことがない。そのことに戸惑っていると、フェイルさんが早速ロープを掴んで穴に足を入れていた。
「先に行ってるから、ゆっくりでいいから降りて来てね。降りた道の先に仲間がいるから、彼に話しかけて仕事内容を聞いてね」
そう言って、フェイルさんはロープで降り始めた。灯りを照らして穴の下を見ると、フェイルさんの姿はあっという間に光の届かない場所に消えていった。
どうしよう……。1人残された僕はその場に立ち尽くした。
穴を降りると言っても、ロープを使った降下なんてやったことがない。当然教わったこともない。素人以前の問題だ。
技能も無ければ知識も無い。降りる術を知らないのに降下すれば、地面に落ちてしまう危険性があった。
このまま待っていたら、フェイルさんが僕に気付いて戻って来てくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いた。
だがそれは、すぐに消えた。
僕は一度深呼吸をしてからロープを握る。軽く引っ張って易々と抜けないことを確認すると、穴の下を覗いた。穴の中は真っ暗な闇だ。どれくらいの深さがあるのか分からないほど暗い。ずっと見ていたら吸い込まれそうな感覚がして、恐くなって一度身を引いた。
降りたくない。待っていたい。帰りたい。後ろ向きな感情が芽生え、誘惑される。だけどもう一度深呼吸をして、それらの欲求を押し殺した。
これは試練だ。強く、心に念じた。
逃げてしまったら変われない。待っていたら強くなれない。ここで帰ったらミストに謝れない。
昨日から胸に靄が掛かっている感覚があった。フェイルさんに励まされても、一大決心して依頼を受けても、前向きになっても晴れない靄は晴れない。
靄はとても薄気味悪くて気持ち悪かった。常に不快さを感じさせて胸を苦しめる。鬱陶しいこと限りない。これを払えるのならば、どんな苦労も耐えられるほどだった。
だけど今は、まだ払えない。靄が晴れる条件は、おおよそ見当がついている。おそらく、昨日の始末をつけることだ。ミストを罵倒した時から、薄々と感じていた。
この靄は罰だ。怠け者の僕への戒めで、問題が解決しない限り続く呪いのようなものだ。ちゃんと終わらせるまで、靄は僕を苦しめ続けるだろう。
僕のためにも、ミストのためにも、僕は前に進まなければいけない。強くならなきゃいけない。そのためなら、やったことが無いことも挑戦してやる。
意を決して、僕は右足を穴に突っ込んだ。下の壁に右足を突っ張り、ロープを強く握る。身体が揺れる。右足への力加減を調節して揺れを治めると、一呼吸おいて左足も壁に突っ張らせる。両足とも壁に着けると、今度は手の動作に注意する。片手ずつ下にずらしながら足を動かして下降する。
少しでも力加減を間違えたら落ちてしまう。死にそうになるほどの緊張感に襲われながら、早く終わって欲しいと願いながら、だけど焦りが動作に出ないように、慎重に動く。我慢に我慢を重ね、腕が疲れ始めても耐え続けた。
そんな時間が五分ほど続いたとき、足元に地面が見えた。右足を下に伸ばすと硬い地面の感触が伝わる。体勢を変えて左足も下に向ける。そこにはやはり地面がある。ロープから手を離しても落ちることは無い。
安堵感が生まれ、大きく息を吐いた。その後、強く拳を握る。死の危険がある行為を無事にやり切った。
依頼はまだ終わっていないのに、達成感に満ちていた。この感覚を体感させるために、フェイルさんは僕を置いて行ったんだ。やはりあの人は凄い人だ。
自信を得た僕は、すぐに道を進んだ。今なら何でも出来そうな気がする。気が逸って走っていた。
狭い道を走った先には、大きな空間があった。辺りを見渡すと、床や天井の所々に小さな光があった。足元にある光源を手に取ると、それは小さな石だった。【明光石】と呼ばれる特定の洞窟でしか取れない石だ。
明光石は、マイルス周辺ではツリックダンジョンでしか採れないと聞いたことがあった。ツリックダンジョンは上級ダンジョンで、上級冒険者しか入ることは許されない場所だ。
嫌な汗が背に流れた。僕は歩いて人を探す。フェイルさんが言うには、道を進んだ先に仲間がいるはずだった。
「誰か……誰かいませんか!」
声を上げて仲間を探す。だけど返事は帰って来ない。ここじゃないのか? もっと奥に居るのか?
奥に進んでいくと、地面の状態が変化していることに気づく。明光石とただの石しか転がっていなかった岩盤から、所々に植物が生えている。先に進むにつれて植物が増え、百歩ほど歩いた先の一面は、植物で埋め尽くされていた。
陽の光があたらない洞窟で、なぜこれほどの植物が生えているのか不思議だった。だがそれよりも仲間を探すことを優先して、僕はまた声を上げた。
すると、どこからか足音が聞こえた。足音は徐々に大きくなっている。僕の方に近づいているようだった。返事をしてくれないことが不可解だったが、じきに現れた仲間の姿を見て、その疑問は霧散した。
その人は少し僕より背が高い男性だった。バックパックを背負った彼は僕の前に来ると「静かにしろ」と忠告した。
「ここはダンジョンだ。モンスターがどこにいるか分からないんだぞ。そんな事も知らねぇのか」
怒気を含めた声に、僕は委縮した。言ったことは正しくて、どこのダンジョンでも常識的な約束事だった。それを忘れていたことを、僕は恥じていた。
「すみません。ちょっと気になったことがあったので。えっと……」
「ジラだ。覚えなくていいぞ。で?」
ジラさんの対応は、フェイルさんと違って冷たかった。慣れ合わない性格なのだろうか。少し寂しく感じたが、僕はジラさんに尋ねた。
「あの、ここって何ていうダンジョンなんですか?」
僕の記憶では、マイルスの北門付近にはマイルスダンジョンとツリックダンジョンしか存在しない。隣町付近には別のダンジョンがあるらしいが、そこまで移動していない。だとすればここは2つのうちのどれかだ。
マイルスダンジョンでないことは確かだ。マイルスダンジョンには何度か訪れているため、入口を見れば判別できる。しかしこのダンジョンに入口は僕が見たことのないものだった。
そうなると、残りはツリックダンジョンしかない。だがツリックダンジョンは上級ダンジョンだ。そこに下級冒険者の僕が入ることは掟で禁じられており、破ったものは処罰の対象となる。しかもそれは僕だけではなく、同行したフェイルさんも対象となってしまう。
もしここがツリックダンジョンなら、ばれないうちに出ないといけない。僕はともかく、フェイルさんの事が心配だった。
なんでフェイルさんが僕をここに連れて来たのか、その理由は分からない。もしかしたらここが上級ダンジョンだと知らなかったのかもしれない。そんな失敗でフェイルさんが罰せられるのは避けたかった。
フェイルさんの心配をしている僕に、ジラさんは答えを口にする。
「ツリックダンジョンだよ」
口を開けて呆然とした。
ルールを破ってしまった。僕だけじゃなくフェイルさんも。その事実に驚愕し、他の事を考えられなくなった。
今すぐフェイルさんと一緒にここを出なきゃ。見つかってしまったら冒険者人生が終わるかもしれない。
「フェイルさんはどこですか?!」
使命感に駆られ、ジラさんにフェイルさんの居所を訊ねた。時間が無い。早くしなきゃいけない。その焦りがあって大声が出ていた。
「うるせぇな。さっき言ったこと忘れたのか。ここはモンスターがいるから――」
「そんなことより、早くここを出ないといけないんです! 教えてください」
ジラさんはうんざりした顔を見せ、「はぁ」と溜め息を吐いた。
「ちっと早いけど、仕方ねぇか」
そう言って、ジラさんは左手に縄を持った。不可解な行動に疑問を抱いたが、それを訊ねる前に僕がジラさんに殴られた。
地面に倒れ、僕は混乱する。なんで殴られたんだ?
「な、なんで――」
「黙れ」
ジラさんは倒れた僕の身体に乗り、僕の顔面を殴りつける。左手で僕の右肩を押さえつけながら、右手で何度も顔を殴る。殴られた反動で、頭を何度も地面にぶつけた。
嫌な記憶が甦る。ジラさんの顔は、僕をいじめていた従兄と同じ顔をしていた。大嫌いで、二度と思い出したくない記憶だった。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
左手で顔を庇いながら謝罪をする。嫌な記憶を思い出してしまい、声が震えてしまった。声だけじゃなく、身体も震えているように思えた。
ジラさんは許してくれたのか、殴るのを止めてくれた。そうして安心した直後、顔を庇っていた左腕を掴まれた。
「大人しくしてろ。じゃなきゃまた殴る」
過去の恐怖を思い出した僕は、反抗せずに黙ってしまった。それを肯定と見たのか、ジラさんは僕の腕を縄で縛る。腕を縛り終えると、別の縄を用意して足を縛り始めた。
さすがに足まで縛られたらまずい。モンスターから逃げられなくなってしまう。僕は意を決してジラさんに尋ねる。
「あの……何でこんなことを」
「黙ってろって聞いてなかったのか?」
「け、けど足まで縛られたら、僕はどうしたら……」
ジラさんは「はっ」と笑った。
「何もしなくていいんだよ。それがお前の役割なんだからな」
「え? 僕はフェイルさんから、依頼を受けてここに来たのに――」
「この状況でまだ分かんねぇのか?」
呆れた顔で、ジラさんは言った。
「どういうことですか?」
そう訊ねた僕に、ジラさんは答えた。
「騙されてんだよ。お前」
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