第9話 暴発
起きてからずっと気分が悪かった。頭がガンガンと痛みが響き、吐き気も感じる。原因は、昨日酒を浴びるように飲んだからだ。
昨日の事と飲みすぎて気分が悪いこともあって、いつもよりイライラしていた。
だからといって、冒険者ギルドに通う習慣は欠かさない。新しい依頼が入っている可能性もあるからだ。
今の体調ではすぐに依頼を果たすことは無理だ。しかし急ぎの依頼でなければ、先に依頼の受託だけをして、一日遅れて実行することが可能だ。要は依頼の期日までに達成すれば問題無いのだ。
冒険者ギルドに入って、すぐに掲示板に向かった。掲示されている依頼書が少しだけ変わっている。そのなかに、僕でも受けられそうな依頼があった。
文字の読み書きはほとんどできないが、冒険者になってからは最低限の文字を覚えた。【報酬】と【期限】、そして数字だ。これらを覚えておけば、大まかな依頼の難易度を知ることができる。
その依頼は報酬金が低く、期限が早いものだった。この類の依頼は、近隣で採集できる素材集めがほとんどだ。今回も似たような依頼だろう。危険度も低く、報酬も日常生活を送る分には十分な額なので不満は無かった。
僕はその依頼書に手を伸ばす。が、寸前で手を止めて引っ込めた。
いつもなら、依頼書を手に取って、依頼内容をギルドの職員に読み上げてもらってから、依頼を受けるかの判断をする。
だが、それができなかった。
「……めんどくさいなぁ」
やらないといけない。だけどそれ以上にやりたくない気持ちが勝っていた。
ミシノ島に居たときは、叔父家族に怒られたくないという後ろ向きな理由で行動できた。冒険者になってからは、お金を稼ぐことに楽しみを覚えたためやる気があった。
だが今は、後ろ向きな理由も、楽しみも持てない。
頭に浮かんだのは、期待の新人のミストと、四人で仲良く冒険しているベルクさん達だった。
ミストは類まれな才を持ち、色んなモンスターを倒しながらダンジョンを冒険して、どんどん下層を踏破している。ベルクさん達は四人で支え合いながら、着実にダンジョンを進んでいる。
一方の僕はどうだ? 才も無ければ仲間もいない。僕より後に冒険者になった人は、あっという間に僕を追い越して先に進んでいる。
追い抜かれて悔しくない訳が無い。だけど追いつく手立てがない。嫉妬が芽生えて、悔しさを晴らすこともできない日々が続く。
そんなどうしようもない現実が、とてもつまらなかった。
依頼を受ける気を無くし、掲示板に背を向けて離れる。今日はやめよう。適当に街を歩いて気を紛らわそう。
そう考えて外に出ようとしたとき、聞き覚えのある声が耳に入る。
受付で、ミストがフィネさんと話をしていた。ミストの手に素材を入れた袋があることから、買い取りをしてもらおうとしているのだろう。
ミストが袋を受付台に置いて、素材の査定をフィネさんがし始める。するとミストは僕の視線に気づいて近づいて来た。
「やっほー。久しぶりだねー」
「……うん、久しぶり」
顔を合わせたのは、おそらく一週間ぶりだろう。避けるように活動時間をずらしていたから、会わないのは当然だ。
だがそんなことを知らないミストは、呑気に話しかけてくる。
「ヴィックは今日はもう上がり? それともこれからダンジョンに行くの?」
「いや……今日は行かない」
「そうなの? 今なら、手が空いたから手伝えるんだけどなー」
ミストはたった今ダンジョンから帰って来たばかりだ。疲れているはずなのに、僕を手伝おうとする余裕があるようだ。
彼女の言葉は、悪意も打算も無い言葉だと分かっている。もしかしたら断られる前提でそう言っただけだったかもしれない。
そんな何気ない言葉には、いつもなら適当に返事をしていただろう。
だが今は、その余裕のある態度が、無性に腹が立った。
「余裕があるんだね。さっすが、期待の新人冒険者様だ。底辺の僕とは格が違うね」
ミストが何度も瞬きした。顔見知りの相手に突然嫌味を言われたら驚くのも無理はない。
「今日はすぐに依頼が終わったから……たまたまだよ」
「へー、仕事が早いんだね。こんなに早く終わらせるなんて、底辺の僕にはとても真似出来ないよ」
「えーっと……底辺って、何?」
ミストが恐る恐る聞いて来る。いつも明るい声で話をすることを知っているだけに、彼女の様子はとても珍しい。
僕は無意識に笑っていたのだと思う。
「僕みたいな冒険者の事だよ。その日暮らしで、将来性の無い、ダメな冒険者って意味さ」
頬が緩んでいるのを感じる。にやつきながら教える僕に対し、ミストは表情を曇らせる。
「何言ってんの? 自分を卑下しても、良いことなんて無いよ」
「良いことって?」
「えっと……冒険者ならお宝を見つけたり、モンスターのお肉をすぐに食べられることかな。疲れたときに食べるお肉は最高だよ!」
満面の笑みを浮かべて伝えるが、その魅力は僕には分からなかった。すぐに冒険者としての楽しみを見出すのも、また才能なんだろう。
「僕には無いよ、良いことなんて。今までずっとそうだったんだから、これからも無いよ」
「そんなことは――」
「あるよ」
ミストが言い切る前に言葉を遮った。前向きな言葉なんて聞きたくなかった。
「親が死んでからは、クソみたいな親戚の下で奴隷の様に働かされて、家を追い出された。冒険者になっても、毎日の生活費を稼ぐのに精一杯だ。そしたら後から来た冒険者たちに追い越されて、惨めな気分を味わい続けている。どこに良いことなんてあるんだい?」
ミストは困惑した表情のまま黙っている。僕はかまわず喋り続ける。
「ほんと君達には嫉妬しっぱなしだ。一緒に進む仲間がいる。一人で生きていける才能がある。ピンチを助けてくれる戦友がいる。ダンジョンを娯楽に変えられる。君達の環境がすごく羨ましいよ。どうせ君は子供の頃から、その才能のおかげでちやほやされてきたんだろ? 僕とは雲泥の差だ。君と一緒にいるとき、僕がずっと劣等感を感じているのに気付いてた? 絶対に気付いてないでしょ」
「ヴィックさん、やめて」
フィネさんの声が聞こえる。かまわず、僕は言い続ける。
「気づいてるんだったら僕に情けをかけないでよ。そうじゃないなら僕の事なんてほっといてよ」
「ヴィックさん!」
「これ以上僕を……惨めにさせないでよ!」
静かなギルド内で、僕の声が響いていた。
フィネさんだけではなく、他の人達もギルドにいる。そんな場所で、僕は内に溜め込んでいたものを全てさらけ出していた。
感情を吐き出すことに慣れていなかったせいか、喋っているだけだったのに息切れをしていた。
だが、少しだけすっきりとした気分になっていた。誰にもぶつけられなかった黒い感情を口に出すと、こうも楽になるのか。肩の力が抜けて良い気分だった。
顔を上げてミストの顔を見る。僕にここまで言われることは予想だにしていなかっただろう。あの天才少女が悪意をぶつけられてどんな表情をしているのか気になった。
その瞬間、胸の奥が急に冷たくなるのを感じた。
ミストは唇を微かに噛みしめ、頬には一筋の涙が伝う。苦しそうに眉を寄せ、堪えるように口元を歪ませている。
彼女の濡れた瞳からは、畏怖も憎悪も感じない。少し伏せた瞳に、迷いと痛みをにじませている。
一瞬にして後悔が募り、罪悪感に襲われる。心臓を素手で握り潰されたかのように苦しくなった。
「あ、えっと、その……」
謝ろうとするが、言葉が出ない。
「謝れ」と自分で自分をせかすが、その一言が口から出ない。ミストの顔を見ることすらできなくなった。
何の言葉も言えずにあたふたしていると、不意にミストが右手で僕の右手首を掴んだ。
その力はとても弱く、幼い子供を離さないように繋ぎとめるような――。
ミストは左手で目元を拭ってから顔を上げる。つられて僕も顔を上げた。
彼女はまっすぐと僕の顔を見ている。その瞳には、まだ少しだけ涙が溜まっていた。
「あのね――」
ミストが口を開けた瞬間、僕は彼女の手を振りほどいて逃げ出した。
「待って!」
後ろから声が聞こえたが、走り続けた。
消え去りたいと思いながら、逃げ続けた。
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