第8話 憂鬱な者達

 冒険者ギルドに併設された食堂で、僕は注文したリンゴサイダーをちびちびと飲んでいた。

 冒険者ギルドでは依頼の受付や素材の買い取りだけではなく、食事の提供も行っている。食堂のメニューのなかでは、栄養があって量が多い料理と酒類の飲み物が人気だ。

 いつも食堂は夕方になると賑わっているが、昼間は閑散としていて、食堂に居るのは僕しかいなかった。


 僕が座っている場所は掲示板に最も近いテーブル席。掲示板に新しい依頼書が貼られたら、すぐに確認することが出来る場所だ。

 僕は朝からずっとここに居座り、希望の依頼が掲示されるのを見張っていた。しかし今掲示されている依頼は、全て僕一人では達成が難しそうなものばかりで、未だに単独で達成できそうな依頼は来ていなかった。


「よう。調子はどうだ」


 グラスが空になる直前、声を掛けられる。視線を向けると、一人の大柄な青年が立っている。赤色の短髪、ブラウンの瞳、男らしい精悍な容姿の青年は、以前マイルスダンジョンで会った人だった。王都ディルアンから三人の仲間と共に、マイルスで冒険者になったという話を聞いたことがあった。


「毎日ダンジョンに行ってたみたいだが、最近は行かないんだな」

「……依頼はよく受けてるよ」

「通りで最近は新人向けの依頼がすぐに無くなるわけだ。座って良いか?」


 少し悩んだが、別に困ることは無いと思い至り頷く。

 青年は向かい側の椅子に座ると、料理とビールを注文していた。真昼間からビールかと思ってると、注文を終えた青年が切り出した。


「噂に聞いたんだが……お前、あのミストとダンジョンに行ったのか?」

「……そうだけど」


 僕は不快感を出さないように返答する。この話題にはうんざりしていた。


 ミストがグロベアを倒したという話は、あっという間に広がった。グロベアを狩猟してギルドに戻ったのが夕食時だったため、ギルドにはひと仕事を終えた冒険者達が大勢集まっていた。そのタイミングで冒険者になって一日しか経っていない少女がグロベアを倒したという報告をすれば、多くの冒険者の関心を引くのは当然だった。信じていない冒険者もいたが、同行したエイトさんとチナトさんの証言により、疑問の声は無くなった。


 ミストの周りには討伐時の話を聞こうとする冒険者が多く集まった。一方で第三者の話を聞きたいという人が、エイトさんやチナトさん、僕のもとに集まってきた。その話をするとなると僕自身の失敗も話すことになるため気が進まなかったが、僕の言葉を求めた人達の想いを無下にできなかった。


 大多数の人は僕の話に興奮して、感嘆の声を上げていた。翌日以降も、話を聞きに来る者が多く訪れた。彼らに話をしている間は、自分が人気者になったかのような気分になっていた。


 しかし話し終わると、いつも虚しい気分になった。


 あれ以降も、僕はミストと一緒に依頼を受けることがあった。一緒に行くと手が出せなかった依頼を受けられるようになったので、僕にも恩恵があった。

 だが依頼が終わると、ミストの話を聞こうとする者が何人も訪れる。最初の方は割り切って対応していたが、何度も続くと辟易としていた。

 だから最近は一人で依頼を受けて、ミストと会わない様にしていた。おかげでミストの話を聞きに来る人は居なくなって、平穏な日々を送れていたのだが……。


「あんな子がグロベアをやっつけるなんて、ショックだよなー」


 しかし意外な言葉を聞いて、思わず青年の顔を凝視してしまった。


「……ショック?」

「あぁ、そりゃそうだろ。オレより年下で非力な奴が、冒険者になった翌日にだぞ。聞いた日には碌に食事もできなかったよ」


 青年は見た目に似合わず、繊細な精神の持ち主の様だった。

 だが青年の気持ちにはとても共感できる。


「……僕も、そんな感じだったよ」

「だよな」


 青年は僕の気持ちに同意してくれた。


「なんつーか、やる気が無くなるというか、無駄なんじゃないかって思っちゃうんだよなー」


 そう言って溜め息を吐くと同時に、注文した料理が運ばれてきた。

 運ばれてきたのは、芋を細く切って油で揚げた【揚げ芋】という料理だ。お酒にも合う料理らしい。


 「お前も食えよ」と言って、青年は皿を真ん中に置いた。青年が先に手づかみで一本取ったのを見た後、僕も同じように取って食べた。


「今日は一人なの?」


 青年はいつも四人で冒険者ギルドに来ているが、今は一人だけだった。


「気分が悪いって言って休んだ」

「もう大丈夫なの?」

「あぁ、サボりだからな。言ったろ。やる気が出ないって」


 たしかに病人がこんなところで食事をしたり酒を飲んだりはしない。だが調子は良くなさそうに見える。時折吐く溜め息を聞いて、そう感じた。


「お前も、似たようなもんじゃないのか?」

「何が?」

「気分が悪いんだろ」


 ビールを一口飲んで、続けて言う。


「ダンジョンばっかに行っていた奴が、最近はダンジョンに行く必要が無い依頼ばかりを受けている。あいつと一緒なら良い依頼を受けられるのにそれをしない。避けているのが丸分かりだ」


 言葉が胸にグサグサと刺さった。言い訳のしようがない程の的中ぶりだった。

 見た目から力任せな人間だと思っていたが、人間観察が得意だとは思いもしなかった。


「大方感じちゃったんだろ、劣等感を。だからあいつからなるべく避けるようにして、劣等感を感じない様にしているってわけだ」

「……だとしても、それがあんたに何の関係があるんだ」

「あるよ。オレも似たようなもんだからな」


 青年は店員を呼ぶと、酒をもう一杯注文する。


「劣等感を感じたんだよ。けどあいつらはそうじゃないみたいだ。人は人、自分は自分ってな。調子が悪いのもそのせいだ。オレが変なのかって思っちまってよ……。だから似た者同士で鬱憤を晴らしたいんだよ。酒でも飲んでな」


 言い終わると同時に、追加の酒がテーブルに運ばれてきた。

 青年はそれを僕に渡してくる。


「飲め。オレのおごりだ」

「いや……僕お酒苦手だし」


 酒に良い思い出はない。叔父や従兄弟が酒で酔っ払ったときによく殴ってきた記憶があったからだ。

 

「酒は良いぞー。嫌な事を忘れられるからな。そのうえ美味い。オレを助けると思って、一杯だけ付き合ってくれよ」


 「嫌な事を忘れられる」、僕はその言葉に魅かれていた。以前従兄弟に無理やり飲まされたときは、苦みが口に合わなくて飲むのを止めた。

 だが今は、それを知っていても飲みたくなった。


「じゃあ……一杯だけ」

「おう、ありがとな。それじゃあ乾杯」


 グラスを合わせてから酒を口にする。苦みが口の中に広がった。

 やはり、美味しくはなかった。




 しかし青年の言ったことは、嘘ではなかった。


「ヒャッハー! 酒だ! もっと飲ませろー! おねぇさーん、もう一杯追加で」

「おう、飲め飲め! オレの奢りだ! オレももう一杯だ! あとつまみも適当に追加してくれ!」


 気分が良くなり、普段飲まない酒も美味しく感じた。さらに出てくるつまみも極上だ。こんなに美味しいものを、何で今まで食べなかったんだ。


「美味い。美味いよ、これ! えーっと、何て名前だっけ?」

「ビールだよ、ビール」

「そっか。ビール、こんなにおいしいもんを奢ってくれてありがとな」

「ちげぇよ。オレの名前はベルクだ」

「そりゃ失礼。あれ、じゃあビールって何だ?」

「酒の名前だよ。つーか、お前の名前は何だっけ?」

「ヴィックだよ。ヴィック・ラァアアアアイザァアアアア!」

「ククク、巻き舌すんな。笑っちまうだろ」

「……ラァアアアイザァアアアア!」

「ハハハハハ!」


 笑いながらの酒宴が続いていた。何を言っても笑えるようなテンションになっていて、極楽にいるような気分だった。


 飲み始めてどれくらい経ったか覚えてはいない。ただ最初は僕達しかいなかった食堂に、多くの冒険者達が来ていることから、だいぶ時間が経っていることは分かっていた。

 皆僕達と同じように食事や酒を楽しんでいる。だが今このときに限れば、僕達が一番楽しんでいるのは間違いなかった。


「あー! あんな所に居た!」


 突如、甲高い声が耳に入った。声の方を見ると、三人組がこっちに近づいてきている。いつもベルクさんと一緒にいるメンバーだった。

 その内の一人、金髪でセミロングヘアの少女が、足早に僕らのテーブルに寄ってきた。


「ベルク。あんた体調が悪いんじゃなかったの? こんな所で何してんの?」

「酒を飲んでる」


 心配する少女の言葉に対して、ベルクさんはふざけているのか、キリッとした真顔で返答する。僕は吹き出さないように堪えた。


「そうじゃなくて……休まなきゃいけないのに、何でお酒を飲んでいるのって言ってんの」

「楽しくお酒を飲んでいる」


 再び真顔で答えたベルクさんに耐えられず、僕は吹き出してしまった。少女の青い瞳が僕に向けられる。目つきが鋭く、表情も険しい。僕は視線から逃れるように顔を背けた。

 一方でベルクさんは、うんざりとした表情で溜め息を吐いた。


「いいじゃねぇか、たまには。ほぼ毎日ダンジョンに行ってたら、誰だって休みたくなるもんだろ。なぁ?」


 同意を求めてくるベルクさんに、僕は視線を戻しつつ「そうだね」と返事をした。

 だがそれが、少女の癇に障ったらしい。


「誰よあんた。こっちの話に口突っ込まないでくれる?」


 理不尽な物言いにイラっとした。

 普段なら笑ってやり過ごすところだが、楽しい時間を邪魔されたことと不当な文句に対して苛立ちを抑えられなかった。


「そっちが突っ込んできたんだろ。せっかく楽しんでたのに。ねぇ?」


 ベルクさんがさっきの僕と同じような調子で、「そうそう」と肯定する。

 すると少女が強くテーブルを叩いた。


「ふざけてんの? こっちは真面目に話をしてんのよ」


 今にもキレそうな表情を見て、内心痛快だった。

 彼女は四人組で最も目立つ容姿をしている。整って美しい顔立ちに加え、スラっとした体型に透き通るような綺麗な肌。一見、貴族のお嬢様のように見えるほどだ。

 そんな僕とは別世界にいるような人が、僕の言葉で取り乱す様を見せているのが面白かった。

 

「別に話すことなんてねぇだろ。体調が良くなったからここで飲んでいた。ただそれだけだ」

「……それしか言うこと無いの?」


 少女の言葉にベルクさんは沈黙した。少女は拳をぎゅっと握りしめながらベルクさんの言葉を待つが、一向に口を開く様子がない。

 気まずい沈黙が漂う。周囲の賑わいから切り離されたように、ここだけが重苦しい。

 居たたまれず場をつなごうとした、そのときだった。


「まぁまぁ、落ち着きなって、ミラ」


 僕が動こうとする前に、青年が割って入った。黒髪でイケメンの青年は、たしかベルクさんチームのリーダーだったはずだ。

 青年はミラさんをなだめると、ベルクさんに黒い瞳を向ける。


「なんだカイト。お前もオレに文句があるのか?」

「ベルク、もう大丈夫なんだよね?」

「……あぁ、快調だよ」

「気分も晴れたかな?」

「……前よりましだな」

「そっか、なら良かった。明日は一緒に行けるよね」


 少しの間、またベルクさんが沈黙する。頭をガシガシと掻いた後、浅く溜め息を吐いた。


「元々、明日は行く予定だったんだよ。問題ねぇ」


 カイトさんは頬を緩めた。


「うん、それは良いことだ。これでミラのお守りもしなくてすむよ。ね、ラトナ」


 カイトさんは後ろにいるもう一人の仲間に話しかける。ウェーブのかかった短い金髪で、大きな目をした黒い瞳の少女だった。


「ほんと、今日のミラらんは大変だったんだから。ベルっちがいないから、ミラらんがめっちゃモンスターにやられちゃったし。んで、うちらはミラらんに『ベルクなら守ったのに』とか『ベルクならちゃんと当てたよ』とか言われて、めっちゃ困ったんよ」


 ラトナと呼ばれた少女は、楽しそうな表情で語った。

 途端にミラさんの表情が赤くなり、慌てた様子で弁明を始める。


「ちょっと! そんなこと言ってないでしょ!」

「えー、言ったよー。『ベルク助けて』とか『愛するベルクがいなくて寂しい』とか」

「それはマジで言ってないわよ!」

「けど考えてた?」

「考えて……無いわよ!」


 騒がしく喋る二人を見て、ベルクさんの口元はにやついていた。

 そしてミラさんに声を掛ける。


「おいミラ。明日は望み通り守ってやるから心配すんなよ」


 ミラさんは顔を険しくし、鋭い目つきをベルクに向ける。


「もういい! あんたなんか知るか! もう帰る!」

「おう、また明日な」

「うるさい!」


 怒りながらミラさんは冒険者ギルドを出て行った。ラトナさんもそれに続いて出て行く。


「じゃあ俺らは先に帰るから。ちゃんと帰ってきなよ」


 カイトさんはベルクさんに言い残して、同じように去って行った。


 ベルクさんはその背中を見つめた後、短く息を吐く。その表情は、心なしか嬉しそうに見えた。


「嵐のように過ぎ去っていったね」

「あぁ、そういう奴らだよ。だからこそ、オレも甘えちまうのかもな」


 ベルクさんはビールの入ったグラスを持ったが、飲まずにそれを置いた。テンションは今日会った時と同じくらいに戻ったが、表情は今の方が明るく見えた。


 それを見て僕は、残っていたビールを一気に喉に流し込んだ。

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