【毎日更新中】冒険者になったことは正解なのか?!
しき
第一章 ハイエナ冒険者
第1話 捨てられた少年
船が港に着いてから五分後に船員が下船の案内をする。乗客は次々と船から降り始め、僕もそれに続いた。地面の感触を足裏で感じ、少しだけ安心する。天候に恵まれた船旅だったが、僅かに揺れる船の上はどこか不安だった。大地の有難味をもう少し感じていたかったが、後ろから歩いて来る人の気配を察してすぐに船から離れた。
港には多くの帆船が停まっていた。僕が乗っていた小さな客船だけではなく、重い荷を載せた大きな船もある。沖には港に向かっている船も見える。見たことないほどの船の数と荷物の量、人の多さは圧巻の光景だった。国の中心なだけあって人だけじゃなく物と船の往来も激しい。さすが国内有数の交易都市マイルスだ。
ぼうっと突っ立っていると背中に誰かがぶつかった。「ボケっとしてんじゃねえ」重そうな荷を肩に担いだ男が吐き捨てて去って行く。僕が立っている場所は人の行き来がそれなりに多い。通行の邪魔になっていたようだ。邪魔にならないように道の端に行こうとしたが、人が多くて思い通りに進めない。行き交う人々の隙間を通って行こうとするが、通れる隙間が狭いうえ彼らの歩く速度は速い。田舎ののんびりとした空気に慣れた僕には、彼らの間をすり抜けて歩くことは至難の業だった。
仕方なく僕は人の流れに乗って進んだ。突っ立っているとまた怒られるかもしれない。怒られるのは怖い。どこか落ち着ける場所まで移動して休んで、人が少なくなったらまた歩こう。
しばらく歩くと広めの通路に出た。港よりも多くの人が行き交い、道の端の建物には様々な店が並んでいる。人が多いのはそのせいだろう。
あまりの人の多さに気分が悪くなった。通路の中央には背もたれ付きの長椅子が設置されている。僕はそこに腰を下ろして一息ついた。少し休めば気分が良くなるだろう。
「あら、椋鳥さんかしら?」
女性の声が聞こえた。そう言えば座るとき、長椅子の端に誰かが座っていたのが見えた気がする。僕が座る前から居たのだろう。
僕はその人に視線を向ける。視線の先には長い銀髪の綺麗な女性がいた。目元は垂れ下がっていて、翠色の瞳をしている。彼女は僕を見て口端を僅かに上げる。
「離れ島から来た出稼ぎ労働者ってことよ。旅行者には見えないから、ね」
彼女は長椅子の端に座っていたが、少し体を浮かせて僕の方に寄ってくる。艶やかな容姿と色気のある身体が近くに来て、僕の顔は急に熱くなった。
「は、はい。ミシノ島から、来ました」
妖艶な雰囲気に呑まれそうになりながら、なんとか返事をする。
「そう」答えに満足したのか、彼女は少しだけ身を引いた。
「けれどずいぶんと身軽な格好ね。服とか仕事道具とかは持って来なかったのかしら」
「え、えぇ……。そういう仕事じゃなかったので」
「あらそうなの。離れ島から来る労働者といったら大抵が職人さんなんだけど、あなたは違うのね」
「それだったら良かったんですけど……」
職人の仕事は過酷らしいが、その分技術は身に付くし実績も積めるという、苦労が報われやすい仕事だと聞いた。そういう仕事に就いていたら、僕も少しは気が楽になっていただろう。
だけど僕がしていた仕事は、そういう類のものではなかった。
「一応畑仕事をしてました。ここではそれ以外の仕事でもしようかと……」
「そうね。ここでは農業の仕事なんてほとんど無いからね。それで、何をするつもりなの?」
「……分かりません」
「自分の事なのに?」
彼女は疑問を浮かべる。勤務先どころかやりたい仕事すら見当もつかずに上京してきた者を前にしたら、そう思うのも当然かもしれない。
僕は身体を小さくして「はい」と答えた。
「何をすればいいのか分かりません。ずっと叔父の言う通りにしてきたので……」
「親はいないのかしら?」
「五歳の頃に亡くなって、それからずっと叔父の下で暮らしてました」
その生活は、まさに奴隷のような生活だった。
誰よりも早く起きて朝食を作らなければ殴られて、誰よりも働かなければ蹴られて、誰よりも静かにしなければ叩かれて、何もなくても叩かれる。そんな日々を十年間過ごしてきた。過酷な扱いでも、生きるために耐え忍んできた。追い出されたら死んでしまう。だから我慢に我慢を重ねて耐えた。いずれ終わるだろうという当てもない希望を持って。
だが先日、それは望まぬ形で終わった。
成人として認められる十五歳の誕生日だった。その年は不作で、どこの家でも十分な収穫物が得られなかった。だから叔父達は、食い扶持を減らすという理由で僕を家から叩き出した。手元に残ったのは、少ない私物を売られて得たわずかなお金だけだった。
知識も力もコネも無い。そんな僕が生きる手段と言えば、一縷の望みを賭けて都会で働くことしか残っていなかった。
「大変だったのね」
なぜか僕は、彼女に身の上話を聞かせていた。なんで名前を知らない出会ったばかりの人に話してしまったのだろう。後悔の念が胸の内に湧いた。
彼女は同情のこもった声を発すると、「けどね」と言葉を続けた。
「ある意味、それは幸運なことなのよ」
「……どこがですか?」
声に怒りが混じってしまった。家を追い出されて幸運だって? 下手をしたら飢え死にするかもしれないんだぞ。他人事だからそんなことが言えるんだ。
心の奥底に不満を溜める。それを知らずに、彼女は「だってそうじゃない」と答える。
「貴方を搾取する人達からやっと解放されたのよ。どんなに頑張っても報われない日々が終わるなんて最高じゃない。自由になれたんだから」
「自由って……何をすればいいのか分からないことでしょ? それの何が良いんですか」
やることや目標があるということは楽である。何も考えなくても済むからだ。考えることが無ければ、あとは身体の痛みに耐えるだけ。過酷な日々だったが、帰る家と食べ物はあった。それさえあれば生きることが出来るから耐え続けた。
だが今は何もない。身体は痛くないけど頭が苦しい。暴力を振るわれることは無いけど、寝る場所がない。食事が盗られる心配はないけど、確保するための仕事が必要になる。足りないものを得るには、自分だけで考えなければならなくなった。それがとても苦痛だった。
そんな僕の考え方を、彼女ははっきりと否定した。
「選べること。これが最も幸せなことなのよ」
間違いないと言わんばかりの表情に、僕は少し興味が沸いた。
「そこまで言うほど、ですか」
「えぇそうよ。選択できることが真の自由で真の幸せなの。自分で考え、自分で調べ、自分で動いて、自分で選ぶ。そうして得た成果はね、自分にとってプラスになるの。だからとても大事なことなのよ」
そんなに良いものなのか。僕の心が揺れ動く。
「大変なこともたくさんあるかもしれない。今までは他人に生かされたけど、これからは自分の力で生きなきゃいけないのだから、ね。だけどそれって、要するに自分の人生は自分で変えられるってことなの。だからそれを楽しんでみたらどうかしら? あなたはまだ若いのだから、そのチャンスはいくらでもあるわ」
彼女の言葉は、僕の背中を押しているように思えた。優しくて力強い彼女の言葉は僕を勇気づけて、前向きにしてくれる。
いつの間にか、気分の悪さが和らいでいた。
「そう、ですよね」
僕は空を見上げた。雲一つない晴天である。こんな天気の良い日には、前向きの思考の方がふさわしい。
「ありがとうございます。……少しここで頑張ってみます」
「そうね、それが良いわよ」
彼女は笑みを返した。街に来て早々に優しい人に出会えるなんて、幸先が良い。これならきっと仕事もすぐに見つかるだろう。
仕事……あぁそうだ。一番大事なことを忘れていた。僕は頭を抱えた。
やる気があってもお金が無ければすぐに貧窮してしまう。貧窮が続けばやる気が萎えてしまい、下手したら荒んでしまうこともありうる。そして最後に待つのは餓死……。
きっとではない。早急に仕事を見つける必要があった。
「あらあら、どうしたの? 明るくなったのにあっという間に落ち込んじゃって」
彼女は心配そうな声を出す。彼女を見て、1つの考えが浮かんだ。励ましてもらった上にまた頼るのは情けないが、プライドを守る余裕が無かった。
「あの……えっと……」
「ララックよ。ララック・ルルト。あなたは?」
「ヴィック・ライザーです」
「そう。で、何か聞きたいことがあるのかしら? ヴィック君」
藁をつかむ思いで、僕はララックさんに頼み込んだ。
「お仕事を紹介してください」
「無理よ」
瞬殺だった。一瞬も考える素振りを見せず、ララックさんは僕の頼みを断った。
ショックで呆けた僕に、ララックさんは話し出す。
「私はお店を持ってるけど、生憎人手は足りてるの。人手が欲しい知り合いは何人かいるけど、あなたに出来るとは思えないわ」
「で、できます。何でもします」
「読み書き計算は?」
「……いつかは」
「皆はそれが出来る子を探してるの。だからダメなのよ」
望みを失った僕は大きく肩を落とした。やはりダメか。何も積み上げてこなかった僕にはやれることが無い。当たり前じゃないか。何を期待していたのだか。ちょっとだけ愉快になって、自嘲してしまった。
「けどね」ララックさんが言う。
「あなたみたいな子でもお金を稼ぐ方法があるのよ。聞きたい?」
そんな方法があるのか? そんな夢みたいな仕事が。
僕が頷いて答えると、ララックさんは話し出した。
「あなたでも働けるのは肉体労働の仕事よ。大工や鍛冶屋のような職人仕事。生き死にが直結する傭兵稼業。そして私の店のお得意様達がしている仕事……もしあなたもそれに就いてくれるなら、商品の値引きをしても良いわよ」
「何の仕事ですか?」
僕は前がかり気味に尋ねる。
するとララックさんは目を細めて、悪戯っぽい目で僕を見た。
「冒険者、よ」
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