第4話:山登り
まんぷく亭へとふらりと立ち寄る。
今日も相変わらずの人の多さだ。
同様に彼らの表情はまずい飯によってすこぶる悪い。
必死に笑みを取り繕ってまで愛想を振りまこうとする。
その姿を、京志郎は健気とは思わない。実に愚かだ、と本気で思った。
「は~い、今行きまーす」
「……閻魔大王の娘がまさか給仕をしているとは、誰も思わないだろうな」
遠目から京志郎は見守った。
「あ、いらっしゃい京志郎さん」
屈託のない笑みを浮かべる愛華。
生意気さは鳴りを潜め、明るい少女を演じている。
(さすがと言うべきか。かなりの演技力がある)
京志郎はひそかに感心した。
「今日はなにか食べていきますか?」
「いいや、遠慮しておこう。これから少し仕事があるからな」
「そうですか。それじゃあまた来てくださいね」
「そうさせてもらおう」
「では」と、京志郎はそそくさとその場から離れた。
愛華が作る料理は壊滅的なのは、もはや語るまでもない。
恐るべきは、彼女自身がまずいという自覚がこれっぽっちもないということ。
妙な自信だけがたっぷりとあるだけに余計に質が悪い。
(金輪際、あいつの作る飯だけは絶対に食わないようにしよう)
違う意味で地獄にいきかねない。京志郎はそう固く誓った。
「おや京志郎はん」と、突拍子もなく大五郎が現れた。
「大五郎か」
「まずは先日の一件、お疲れさん。せやけど、あの報告はどういうことや?」
途端に怪訝な表情を浮かべる大五郎。
人斬り源八は鬼だった――案の定、信じてもらえるはずがなかった。
京志郎は「ありのままの事実だ」と、それだけ返した。
証拠は一応ある――源八の大太刀。仕手を失ってからすぐに刀身はひどく錆びつ
き、刃毀れも異様に目立ってしまう。
「確かにあの大太刀は源八のものや。せやけど、あんなぼろぼろの刀で人をほんまに
斬れたんか?」
「事実、あいつの傍らには死体があった。おそらく、斬れたんだろう」
「……上層部もこの件に関しては懐疑的や。せやけど、そこはヤタガラス最強の暗殺者。ほんまやったとしてワテの口から改めて報告しておくわ」
「そうしてもらえると助かる」
「――、さてはて。話は戻すけど、また仕事の依頼ですわ」
人相書きを前に京志郎は「またか」と、もそりと呟いた。
命令があれば断る道理もなければ権利もない。
ただ愚直に完遂させるまで。京志郎は肩を小さく竦めて人相書きを手に取る。
「今度の相手は破戒僧の
「これを対処しろ、ということだろう。承知した」
「ほな、よろしゅう」
大五郎と別れてからすぐに京志郎は屋敷へと戻った。
比叡山までの道のりはそう遠くはない。
だが、道中なにが起きるかわからないのが旅だ。
準備を整えるべく帰宅した彼の下に――
「次の相手がどこにいるのかわかったの?」
と、愛華が広間でごろごろと寝転がっていた。
自宅でもないのに、我が物顔で呑気にくつろいでいる。
「店はどうした?」
「もう閉めてきた」
「そうか、あぁそのほうがいい」
あれ以上犠牲者を出すのはいただけない。京志郎はそう思った。
「……おそらくだが、獄卒の一人は比叡山にいる海燕という僧に取り憑いている。突然豹変したという点が怪しい」
「ヤタガラスからの依頼が獄卒を見つける鍵になるかもしれない……京志郎の思ったとおりね」
浄玻璃鏡はあくまでも亡者……人の善悪を区別するためのもの。
獄卒に憑依された人間は、すでに人ではない。しかし獄卒でもない。
双方が融合したそれを、地獄では魔人と呼称する。
「比叡山……かぁ」
嫌そうな表情をする愛華。
「なにか嫌な思い出でもあるのか?」
「だって、山ってことは虫とかがたくさんいるから」
「聞いた俺が愚かだった。阿呆なことを言っていないでお前もさっさと支度するなりしろ」
「ちょっと! 余閻魔の娘だからな? それわかっててその態度って不遜極まりないが!?」
「ならもう少し敬われるような振る舞いをしろ」
愛華はどう見ても生意気な小娘にしか見えない。
猛抗議する愛華を背に京志郎はさっさと自室へと向かった。
身支度を手早く整えていると――
「へぇ~ここが京志郎の部屋なんだ」
と、愛華が物珍しそうに物色し始めた。
「人の部屋に勝手に入るのはどうかと思うぞ」
「ふっ……余の物は余の物。京志郎の物も余の物。つまり、そういうことだ!」
「どういうことだ――おい、勝手に物に触れようとするな」
「だってぇ、興味あるんだもん」
「…………」
つくづく閻魔の娘とは思えない。
外見相応な言動から、誰も彼女をすごい存在とは思わない。
かわいらしいじゃじゃ馬娘もいいところだ。
あちこちを物色する愛華を、京志郎は窘めた。
一応、閻魔の娘だからそれなりに気遣いはする。
「ねぇ京志郎」と、不意に愛華が口火を切った。
視線は周囲からある一点をジッと凝視している。
腰に帯びた刀を興味深そうに見つめていた。
「それ、ちょっと見せてもらってもいいか?」
「これか? どうしてだ?」
「ん~なんとなく。それで本当にあの源八……憑依した獄卒を斬ったのか気になったから」
「構わないが、壊したりするなよ?」
「壊すか」
京志郎は鞘ごと抜いてそれをひょいと手渡した。
愛華が手にした途端――
「ふぇっ!?」
愛華の右手がぐんと下がった。
目を大きくぱちぱちとさせて激しく驚愕する愛華。
「お、重い!? な、なんなのこの重さ……!」
「特注品だからな」
京志郎はよく刀を壊すことで有名だった。
技の練度によるものではない。刀が京志郎に適応できなかった。
如何なる名刀もよくて三振りすれば、粉々に刀身が砕け散る。
「そこで伊勢國の名匠に打ってもらったのがこの刀だ。よく斬れて何度振っても折れない、おまけにあの時は呪われているかもなんて思っていたからな。廃寺で見つけた金剛杵も溶かしてそこに混ぜた。その結果がこれだ」
愛華が落とした愛刀を京志郎は難なくひょいと拾い上げた。
その傍らでは、愛華がぎょっと目を丸くしている。
「……よくそんな刀を振るっていられるなぁ」
「この重さがしっくりと来ていいんだ」
京志郎は愛でるようにそっと優しく愛刀を撫でた。
相変わらず愛華はいぶかし気な顔で彼をじっと見やっている。
こいつ正気か、と今にもそう言いそうな表情だった。
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