2 だれにも代われない役目があるから
「う~~~~~~さむっ」
放課後の、体育館。
きちんと扉が閉まってるはずだし、エアコンも、ついてるはずなのに。
広さのせいか、足もとから、じわじわと冷えがのぼってくるんだ。
木の床を踏むたび、うわばきがキュッと鳴り、広い空間に、かわいて響く。
放課後、窓の外では、夕暮れの空が、冬らしい群青色に変わりはじめていた。
授業が早めに終わったから、演劇部の練習に一番乗りかなって思ったけど……ちがった。
肩を落としたようすは、まるで大きな荷物をせおってるみたい。
わたしが体育館に入ってきたことに気づいてないみたいで、一人でぶつぶつとつぶやいている。
その横顔は真剣で、真剣すぎて、ちょっとこわい。
――3年生が引退したとき。
演劇部の新しい部長に選ばれたのは、予想どおり、水夏だった。
もともと、副部長だったから、すんなりと決まったし、演劇部の活動も、うまくいってる――と思う。
だけど、あのようす。水夏自身は、そう思っていないのかなあ……?
「水――夏っ!」
わたしは近くにいって、声をかける。
「ひゃっ! ……ってアスカ、驚かせないでよ!」
水夏は、わたしに気づくと、キッとまゆをよせて、いつもの強気な顔になる。
「べつにかくれてきたわけじゃないよ。ふつうに体育館を横切ってきたよ?」
「そうなの? ……ごめん、ちょっと考え事してたから」
水夏はそう言って、ふか――く、ため息をつく。
「もう。部長になったからって、そんなに気負わなくていいのに」
わたしは、ぽんっと水夏のせなかをたたくと、そのまま水夏の近くの床で、ストレッチをはじめる。
水夏が、まゆを上げたまま、わたしを見おろしてくる。
「アスカは、そんなふうに言うけどっ! いままで
なんて水夏が言っている間に、わたしは両足をおおきく開いて、ぺたんと上体を前に倒し、床にあごをくっつける。
「――あいかわらず、体がやわらかいね、アスカは」
そりゃ、柔軟性は、基本だからね。
役者としても――――怪盗としても(っていうのは、水夏は知らないけど)。
それにしても、やっぱりだ。
そんなことを考えて、思いつめてるんじゃないかって、感じてたんだ。
「水夏っ!」
わたしは、ガバッと体をおこすと、あぐらを組んで、水夏を見あげる。
「な、なに?」
水夏が、びっくりした顔をしている。
「水夏は水夏。幸村先輩みたいに演技でみんなをひっぱっていったり、加瀬先輩みたいにふだんの練習でも舞台の上でも気配りできる人だったり――そういうタイプではないね!」
わたしがキッパリと言うと。
水夏はショックを受けたように目を見ひらいて、それから、どんどん顔が下がっていく。
「…………そうだよね……やっぱりわたしじゃ……」
ゆかに視線を落としたまま、力のない声で水夏がつぶやく。
一方、わたしはすくっと立ちあがった。
「そうじゃなくてっ! 水夏は水夏! 水夏には、幸村先輩とも加瀬先輩とも、ちがう力があるでしょって、わたしは言ってるんだよ!」
わたしははっきりと、すみずみまでとおる発声で、言いきった。
これは、水夏といっしょに、演劇部で訓練をしてきたから、できるようになったことだ。
「先輩たちとはちがう、力……?」
一方、水夏の声は、すごくよわよわしい。
練習中だったら、「もっと、おなかの底に力を入れてっ!」っていうところだ。
「水夏には、だれよりも演劇への情熱があって! 練習に熱心で! その熱意でみんなをひっぱっていけて! さらにすごいのは、部のみんなを主役みたいな気持ちにして舞台に送りだせる! それが、水夏部長のいいところだって、わたしは思うよ!」
大きく両手を広げて。
わたしは、言葉に力をこめて、伝える。
――演劇部の中で、水夏のいいところを一番わかってないのは、水夏自身だ。
部員のだれにきいたって、みんなそう言うと思う。
「……そうなの?」
いまもほら、信じられないって顔をしている。
「もう。自分のことになると、水夏はほんとグラグラしちゃうんだから。水夏らしくもない」
いつもは、自信満々にわたしのこと怒ってるくせに。
「だって、それは……」
水夏は言いかけて、
自分でも、わかってるのかも。
でも、自分の考え方のクセって、なかなか自分1人ではなおせないものだよね。
「だからさ! 水夏が不安になったら、いつでもわたしに言ってよ。いくらでも、わたしがかわりに、水夏のいいところを言ってあげるから!」
わたしはニカッと大きく笑ってみせる。
ぽかんとした顔で見かえした水夏の顔が、やっと小さくやわらいだ。
「なんかアスカに『たよる』なんてシャクだけど………………お願いするかも」
ぼそっと水夏が言う。
「うんっ!」
わたしは、いきおいよくうなずく。
よーし、この調子で、しばらくは、水夏をほめ倒そうっ。
実力はあるくせに、こんなに自信がない新部長なんだもん。
それぐらいで、ちょうどよさそうだよね。
「こんにちはーっ」「ちはーっ」
そうしてる間に、次々と部員が集まってくる。
すると水夏は、さっと「部長」の顔になって、部員のまんなかにむかった。
うん、よかった。力になれた……かな。
わたしは、残りのストレッチをこなしつつ、少し前のことを思いだす。
――加瀬元部長が引退するとき、じつはわたしに「副部長にならないか」って声をかけられていたんだよね。
でも、断っちゃったんだ。
水夏のことは友だちとして支えたいし、演劇部の副部長っていうのも、やりがいがいありそうだって思った。
やってみたい気持ちは、しょうじき、あった。
だけど、それは――演劇部に専念できるなら、だ。
わたしには、「怪盗レッド」っていう、だれにも代われない、大切な、大切な役目がある。
副部長になることと、怪盗レッドの活動とを、両立できないのはわかってた。
あれもこれも全力でやろうとすれば、きっとどちらも中途半端になる。
それはダメだって、思ったんだ。
ケイみたいに、いろんなことを同時進行で考えたり、複雑な段取りを組めるほど頭がよかったらべつなのかもしれないけど。
わたしには、あれもこれも同時になんて、できっこない。
その「瞬間」に集中して、全力を出す。
それがわたし――紅月アスカの「能力」なんだって、わかっているから。
だから、副部長の「役目」はことわったけど、友だちとしての水夏の相談相手を、全力でやる。
そして――なぜだろう。
いまは、あのとき以上に「この選択をしてよかった」っていう、確信があるんだ。
毎日の――「いつもどおり」の、学校生活。
これからも、わたしたちの学校生活は、少しずつ変化しながらも、つづいてく。
……はずなんだけど、ね。
胸の奥に、ずっと重たい不安があって、消えない。
ケイからもまだ、「なにかがおこる」って伝えられてるわけじゃないのに、だよ。
その正体が、なんなのか。
なにが理由なのかは、わたし自身にも、わからない。
ただ――
こういうときのわたしのカンって、外れたことがないんだ。
体育館のすみに、夕暮れの冷たい影がのびていく。
「嵐の前のしずけさ――か」
おもわず口に出してつぶやきながら、わたしは立ちあがって、演劇部のみんなのところに、かけていった。
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