第16話 名前を考える夜

 夜の産院。

 カーテンの隙間から、月明かりが細く差し込んでいた。

 静まり返った病室の中で、機械のリズム音だけが、規則正しく鳴っている。

 莉緒はベッドの上で丸くなりながら、膨らんだお腹をそっと撫でていた。

 その横で、瑛士がノートを広げて座っている。


「なあ、莉緒」

「うん?」

「そろそろ……名前、考えといた方がいいんじゃないか?」


 莉緒は目を細めて、微笑んだ。

「やっぱりそう思う? 私もね、今日、助産師さんに言われたの。

 『そろそろ候補決めておくといいですよ』って」

「だよな。だって……五人だもんな」

「ふふ、そう。五人分の“最初の贈り物”」


 ベッドの上のノートには、まだ何も書かれていない。

 瑛士はペンをくるくる回しながら、どこか緊張した表情をしていた。


「……改めて思うけど、責任重大だよな」

「うん。名前って、一生ものだもんね」

「たとえば、俺がふざけて“ドラゴン丸”とか言ったら、一生残るんだぞ」

「絶対ダメ!」

「冗談だって」

「本気で考えてよ?」

「もちろん」


 二人は顔を見合わせて笑った。

 その笑い声に、お腹の中の五人が反応するように、ぽこん、と動いた。


***


「じゃあ、順番に考えようか」

「そうだな。1人目、2人目って感じで」


 瑛士がページの左上に「①」と書く。

「この子はね、一番最初に見つかった子」

「うん。エコーで一番元気に動いてた」

「そう。検査の先生も笑っちゃうくらい暴れてたよね」


 莉緒はお腹をなでながら、遠い目をした。

「この子ね、なんだか“太陽”みたいな子だと思う。

 明るくて、人を照らしてくれるような」

「太陽か……いいな」


 瑛士は少し考え、ノートに漢字をいくつか書き出した。

「“陽”“暁”“晴”“光”……」

「“陽”って、やっぱり温かいよね」

「うん。俺もそれ好きだ。

 “陽”って字には、“人を照らす”って意味があるんだ」

「へぇ……そうなんだ」

「だから、1人目には“陽”をどこかに入れたい」


 莉緒がゆっくり頷いた。

「うん。お日さまの子だね」


***


 瑛士はページをめくり、次の欄に「②」と書く。

「じゃあ、2人目は?」

「この子はね……一番静か。

 でも、定期検診のとき、心音がすっごく力強かった」

「なるほど。静かだけど芯があるタイプか」

「そうなの。私の予想、将来は“まとめ役”」

「兄弟の中でしっかり者か」

「うん」


 瑛士はまたペンを走らせた。

「“誠”“律”“慎”“和”……」

「“和”っていいね」

「うん。“和やか”“調和”“平和”。

 この字って、争いを嫌う子になりそうだ」

「優しい雰囲気もある」

「“陽”と“和”。いい流れだな」


 莉緒は微笑んでうなずいた。

「1人目は太陽、2人目は穏やかな風……みたい」

「いいね、それ」

「“陽”と“和”がそよぐ兄弟」

「詩人かよ」

「えへへ、ちょっとロマンチックでしょ?」


***


 ページの余白に、瑛士はメモのように書き添える。

 ──“陽”:光・明るさ・人を照らす

 ──“和”:穏やか・調和・優しさ


 莉緒はベッドに背を預け、ゆっくりと目を閉じた。

「こうやって意味を調べながら考えるの、楽しいね」

「うん。まるで未来を作ってるみたいだ」


 ふと、モニターの音が少し跳ねた。

 五つの心音が、どこかリズミカルに重なって響く。

「ねぇ……聞こえる?」

「ああ。まるで返事してるみたいだ」

「“名前、気に入ったよ”って言ってるのかも」

「ふふ、そうかもな」


***


「3人目は?」

「うーん、この子はね……食いしん坊かも」

「もうわかるの?」

「だってね、私が甘いもの食べた時、いっつも動くんだもん」

「なるほど……じゃあ“甘党担当”だな」

「もうっ」


 二人は笑い合いながら、ノートに「③」と書き加える。

「“実”“穂”“結”とかどう?」

「“結”いいね。“むすぶ”っていう意味もあって」

「“人と人を繋ぐ子”って感じがするな」

「うん、可愛い」


 瑛士は、指でその字をなぞりながら小さく言った。

「“陽”“和”“結”……並べると、家族の形みたいだ」

「ほんとだね」

「光があって、穏やかさがあって、つながりがある」

「ねぇ瑛士、それってもう“家族”じゃん」

「……そうだな」


 二人の視線が合う。

 瑛士は莉緒の手をそっと握り、笑った。

「ありがとう。

 こうして話してると、五人の顔が浮かぶ気がする」

「うん……私も」


***


 時計の針が、静かに午前零時を指した。

 病室の外は、冬の風が窓をかすかに鳴らしている。

 眠ることを忘れた夫婦は、五つの命のために、ページを増やし続けた。


「ねぇ、瑛士」

「ん?」

「このノート、あとで子どもたちが見たら、どう思うかな」

「“うわ〜パパとママ、マジメすぎ”って言うかもな」

「ふふっ、でも、それでいい」

「うん。ちゃんと考えてるって伝わればいい」


 莉緒はお腹に頬を寄せ、囁くように言った。

「ねぇ、みんな。

 パパとママ、今ね、君たちの名前を考えてるんだよ」

 五つの命が、ぽこん、ぽこん、と順番に反応した。

「……聞こえてる」

「ほんとに?」

「うん。ちゃんと返事してる」


 その小さな動きが、五つの未来への合図のように思えた。


***


 夜が更け、最後のページに書かれた文字。

 “使いたい漢字”のリストが、並んでいる。


① 陽

② 和

③ 結

④ 心

⑤ 空


 瑛士がペンを置き、ゆっくり言った。

「……全部、優しい字だな」

「そうでしょ。どの子も、優しくてあったかい子になるよ」

「莉緒の願いがそのまんまだ」

「えへへ」


 二人はノートを閉じた。

 五つの鼓動が、また静かに響く。


「次は……漢字の組み合わせを考えよう」

「うん。1人ずつ、じっくりね」


 瑛士がベッドの灯りを落とす。

 暗闇の中でも、二人の笑みは柔らかく浮かんでいた。

 それは、まだ見ぬ五つの小さな命に向けた、最初の“贈り物”の始まりだった。



【次回第17話】

両家はそれぞれ「これから生まれてくる五つ子へのプレゼント」を持参し、初めは緊張しながらも、最後は笑顔と涙で終わる温かな時間に仕上げています。

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