第15話 聖夜に向けて ―帝王切開の日程確定と準備―

 病室の窓辺に、冬の気配が忍び寄っていた。

 外の木々はすっかり葉を落とし、白い息を吐く人々が病院の前を行き交う。

 カレンダーには、もう十二月の文字。

 その日、莉緒は診察ベッドの上で、医師の穏やかな声を聞いていた。


「赤ちゃんたちも順調ですね。五人とも元気に動いていますよ」

「ほんと……よかった」

 モニターに映るエコーの影が、ぽこぽこと動く。

 莉緒は胸の奥が熱くなった。

 小さな命が五つも、彼女の中で育っている。

 それは信じられないほどの奇跡だった。


 隣で瑛士が息を詰めたように画面を見つめていた。

 白衣の袖が揺れるたび、彼の肩も同じように小さく動く。

 かつて無表情で職務に徹していた男が、今は柔らかい顔で「父親」の眼差しをしている。


「……先生、出産の日程はいつ頃に?」と瑛士が尋ねた。


 医師は穏やかな笑みを浮かべ、カルテを開く。

「母体と赤ちゃんたちの状態を考えると、早めの帝王切開が望ましいですね。

 予定日は――12月24日にしましょうか。」


「……クリスマスイブ……?」


 莉緒と瑛士が同時に顔を見合わせた。

 部屋の空気がふっと柔らかくなる。

 まるで、運命が静かにその日を選んでくれたようだった。


「特別な日に、五人が生まれてくるなんて」

 莉緒は微笑みながら、丸く膨らんだお腹をそっと撫でた。

「イブが、家族の記念日になるんだね」

「……そうだな。最高のクリスマスプレゼントだ」

 瑛士の声は、少し震えていた。

 普段は冷静な彼の表情が、今はまるで少年のように照れている。


***


 診察が終わり、病室に戻ると、二人はベッドの上で手を取り合った。

 窓の外では、粉雪がちらちらと舞っていた。

 その光景を見ながら、莉緒がぽつりとつぶやく。


「……寒くなったね」

「うん。冬って、こんなに長かったっけ?」

「でも、もう少しで五人に会える。そう思うと、ちょっと怖いけど……楽しみ」


 瑛士は優しく微笑んだ。

「大丈夫。俺がついてる。

 どんなに不安でも、君が頑張る分、俺も全力で支えるから」

「うん……ありがとう」

 莉緒の声が少し震える。

 それを感じ取った瑛士は、彼女の手をきゅっと握り返した。


***


 数日後、帝王切開の詳細を伝えに医師が再び訪れた。

 手術の流れ、麻酔の説明、家族への連絡事項――

 現実的な話が次々と並ぶたびに、莉緒の心臓が小さく跳ねた。


「旦那さん、手術中は分娩室の外でお待ちいただく形になります。

 終わり次第、お母さんと赤ちゃんに面会できますからね」


「はい……必ず、ここで待ってます」

 瑛士の声は低く、しかし揺るぎなかった。


***


 その日の夕方。

 病室に戻ると、瑛士はスマホを取り出していた。

 買ったばかりのスマホをまだ少し不器用に操作しながら、連絡を打っている。

 莉緒がくすっと笑う。


「ねえ、そんな真剣な顔して誰に連絡してるの?」

「……君の両親と、うちの父に。ちゃんと報告しないとと思って」

「ふふっ、真面目だね」


 しばらくして、“既読”が次々とつく。

 スタンプが飛び交い、絵文字付きのメッセージが次々届いた。

 「楽しみ!」「頑張れ」「五人一度に抱っこできるかな!?」――

 瑛士は画面を見て、思わず笑った。

 こんな風に家族からの言葉を受け取るのは、初めてかもしれない。


「……あったかいね」

「でしょ?」

「うん。スマホって、すごいな」

 莉緒が笑いながら、「ようやく慣れてきたね」と優しく言った。


***


 翌日、手術の準備リストが病院から渡された。

 ベビー服、肌着、ガーゼ、哺乳瓶――

 その一枚の紙を見て、瑛士の顔が固まる。


「これ……全部必要なのか……?」

「五人分だからね」

「五人分……」

 額に手を当てて天井を見上げる瑛士。

 だが、次の瞬間、深く息を吸って立ち上がる。

「よし。やるしかない。全部揃える」


 その日の午後、彼はパパ友の日向と合流し、買い出しに出かけた。

 穏やかな冬の陽の下、二人の会話はどこかのんびりしている。


「五人ってすごいなぁ。オレなんて双子でひぃひぃ言ってたよ」

「……双子でそんなに大変なんですか?」

「いやもう、寝不足が常習。ミルクもおむつも二倍。

 でも、笑う瞬間は全部が報われる」

「……なるほど」

「お前もきっと、そうなるよ。五倍だな」

「……覚悟、しておきます」


 二人は笑いながら、山のようにベビー用品をカートに詰め込んだ。

 哺乳瓶もガーゼも、すべて「×5」

 店員に驚かれ、他の客に二度見されながらも、瑛士は真剣そのものだった。


***


 夕方、病室に戻ると、ベッドの上に荷物の山が積まれた。

「ちょ、ちょっと待って……! 何この量!」

「必要な分を買っただけだ」

「五人分だからって……これ、ミルクの缶、何個あるの!?」

「……十五個」

「三倍買ってるじゃん!!」


 莉緒が笑い転げると、瑛士も照れくさそうに笑った。

 その笑い声が、病室に暖かな光を灯した。


***


 夜。

 照明を落とした静かな病室で、二人は寄り添っていた。

 窓の外には、白い月と街のイルミネーション。

 クリスマスが近づいている。


「……もうすぐだね」

 莉緒が小さくつぶやく。

「五人に会える日が、近づいてる」

「うん。イブなんて、運命みたいだ」

 瑛士は莉緒の手を包み込み、静かに言葉を重ねた。

「怖くてもいい。泣いてもいい。俺がずっと、そばにいるから」

「ありがとう……瑛士」


 その瞬間、お腹の中で小さく動く感触があった。

 まるで五人が「聞いてるよ」と答えるように。

 二人は顔を見合わせ、同時に微笑んだ。


「ねぇ、瑛士」

「ん?」

「この子たち、どんな顔してるんだろうね」

「……きっと、君に似てる」

「ふふ、じゃあ可愛いね」

「間違いない」


 そんな何気ない会話が、夜の静けさに溶けていく。

 五つの命が鼓動を刻む音が、静かに流れていた。

 やがて瑛士が、莉緒の髪を撫でながら囁く。


「この冬が、俺たちの人生の季節の変わり目になるんだな」

「うん……そうだね」


 二人はそのまま、互いのぬくもりを感じながら目を閉じた。

 窓の外では粉雪が舞い、月の光が静かに降り注いでいた。

 ――もうすぐ、聖夜。

 五つの命とともに、新しい家族の物語が始まろうとしていた。



【次回第16話】

「五つ子の名前を考える夜」や

「家族が集まり、出産前の準備を進める章」

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