第36話
さらなる進化を遂げたゲニラに対し、イチタは思う。
「なるほどな。強くなったのは何も俺たちだけじゃないってことか……」
ここからが、本当の戦いだ。
さっきの話も気になるが、それよりも注視するべきは向こうさんの変化だ。奴の強化された部分から、あらゆる能力、そして可能性を分析する。
手……やや厚みが増したな。先ほどまでなかった鱗も生えている。
触爪……本数は変わっていないが、爪の長さが伸びている。元々自在に伸び縮みできるから、それほど影響はないと見えるが……だとしても要注意だ。
背中……特筆すべきは、やはりここだろう。変貌した部位の中でも、より顕著だ。なんなら、あそこが大部分を占めていると言ってもいい。逆立った強靭な鱗は、軽く触れただけでも致命傷になりそうだ。まるで、殺意の具現化。
「キュシシ……怖いか? ……でも簡単には終わらせないよぉ。キミたち全員をじっくり切り刻んでその口から苦痛の叫声を耳にするまではねぇ」
姿は変わっても、奴の歪心的な嗜好は顕在だ。
「それじゃあいくよぉ~」
宣告するゲニラ。イチタたちは攻撃に備えて構える。
ーーフッ。
「っ!」
遠くで笑みをこぼしていたゲニラが一瞬のうちに姿を消す。奴が消えたことを認識した直後、猛烈な殺気が肌に到達する。
ーーガキンッ。
目の前に現れた時には、奴の爪がイチタの胸元へ伸びていた。爪はあと一歩彼の心臓には届かず、現れた羽虫によって守られる。その後、奴と同等の速度でセリカが迎撃を仕掛ける。ゲニラは触爪を上手く使って迎撃態勢を取る。セリカは向かってくる触爪の動きを的確に読み取り、攻守ともに足並みの揃った素晴らしい立ち回りを披露する。
「いいねいいねぇ……前より戦いのキレが良くなっている。スピードもパワーも増したな……オマケに技を見る余裕もできたようだ……じゃあ、これはどうかな?」
ゲニラは触爪をあらゆる角度から飛ばしてセリカを追い込もうとする。セリカは剣を斜め下に構えると、地面を強く蹴り、大きく身を回転させる。四本の触爪は、セリカの喉元に喰らいつくこと叶わず、すべて叩き落とされた。
反撃に乗じて、セリカはさらに距離を詰める。だが、ゲニラも負けてない。そこまでの動きを既に読んでいたのか、彼女の接近とほぼ同じタイミングで連続して爪を振るった。
「そらそらそらぁっ!」
奴が虚空をひっかくと、掻いた拍子にできた残像が赤黒いオーラをまとってカタチとなり、前方へ放たれた。放たれた無数の爪撃は風を切って猛スピードでセリカを襲う。
「セリカ!」
イチタもたまらず声を上げる。しかし、セリカは回避を織り交ぜつつ、爪撃を剣で相殺していく。攻撃を打ち返しながらさらに距離を詰め、ついに剣先が届くところまできた。そのまま奴の首を落とすことができれば……。
ゲニラは片腕を地面に突き刺す。すると、伸びた鱗が地面から突き出し、盾となって奴の身を守った。セリカの振るった剣が鱗に当たる。カーンと甲高い音を立て、周囲にいる者へそれが鉄壁であることを知らしめる。そこから八の怒涛の連撃が始まった。ゲニラは腕を地面に突き刺したまま、さらに少しだけ深く入れる。セリカは何かを感じ取り、すぐにその場所から離れた。すると、先ほどまでセリカの立っていた場所から鱗が勢いよく突き出した。それは彼女を追うように、次々に地面から飛び出す。セリカは鱗をすべて避けきったものの、せっかく詰めた距離が遠ざかってしまった。
けど、同時に嬉しい知らせもある。自分たちは、まだ戦えているということ。進化したゲニラに対し、真正面からやり合えている。後は、あの鉄壁の防御をどう突破するか……。
背後は鱗に覆われていて、不意打ちを決めるのも困難……かと言って、正面から詰めたところであの腕と触爪に阻まれては……。
けど、何かあるはずだ……あの難攻不落の壁を打ち破るための何かが……。
新しく見せた秘策によって、後退を余儀なくされたセリカだが、めげずに前に出る。彼女に続くように、リュドも並んだ。
「団長……」
「私も続こう……ギルドの長として、国を任された者の一人として……コイツだけは絶対に野放しにしてはいけない」
ギルド長は真摯な眼差しでそう言葉にする。彼の目指すもの、彼の背負ってきたものが今、ここでカタチとなる。
「悪いがここから先、お前の出番はなさそうだ。ガドロック」
突然の離脱命令にも関わらず、ガドロックはニヤりと笑う。
「へへ。そいつぁ残念」
「ミーネアに危害が及ばぬよう、守ってやってくれ」
「任せておけ」
ゲニラを拘束する際、大量の魔力を消耗したせいだろうか。ここに来るまでの疲労も重なり、これ以上の無理は危険だ。まして、奴と対峙するなど、もってのほかだ。
「イチタ君も、今はそこで控えててくれ。君の力に頼るべき時は、しっかりと見極めてある。少々、無理させてしまうかもしれないが、どうかよろしく頼む」
「……分かりました」
何か策があるのだろうか。いや、それよりも今は、二人の戦いを見届けよう。
「セリカ君、準備はいいか?」
「もちろん」
「こうして、キミの剣技を間近で見れることを楽しみにしていた。その昔、私の古い友人に剣に優れた者がいた」
「友人?」
「ああ。今では少し衰えて、ぬくぬく王城の守り人を演じているが。キミを見ていて、当時のことを思い出したよ……っと、昔話が過ぎたな。そろそろいくとしよう」
ギルド長とセリカの共闘。こんな絵は、そうそう見られるものではないだろう。
「何度きたって同じこと。体で覚えねぇと分かんねぇみてぇだなぁ」
そう言って、ゲニラは爪をカチカチと鳴らす。
「私が正面から奴を追い込む。その間、キミは回り込んで奴の弱みを探ってくれ。探りながら攻撃が通りそうな部分があれば、どこでもいい。とにかく、徹底してたたみかけるほかない」
「分かった」
ギルド長は走り出す。剣を振り、まずは一撃を決める。当然、ゲニラは爪を前に出して彼の攻撃を防ぐ。そこからしばらく、二人の攻防が続く。ゲニラの攻撃後に生じたわずかな隙を見て、セリカが追撃を挟む。しかし、通らない。奴が見せる隙らしい隙は、そのほとんどがまやかしだ。
覆われた鱗はもちろん、奴自身が視認していなくとも、四本の触爪は常に監視の目をギラつかせている。ゲニラはむしろ、その仕組みを逆手に取り、あえて隙と思わせて攻撃を誘い、そこから反撃を仕掛けるといった巧みな戦術を見せつける。
それでも、二人の手は止まらない。リュドは大剣の重い一撃を駆使してストレートに攻める。圧のかかった一撃は、それだけで奴の注意を引く。その間、セリカは触爪の付け根、足、腕など、あらゆる部位を狙うが、どれも一筋縄ではいかない。本当に、奴に弱点などないのではないか……そんな気さえしてくる。
攻防が続く中、戦況はまるで動かない。むしろ、戦いが長引くほどこちらにとっては不利だ。弱点をあぶり出そうと、激しく動き回る二人に対して、ゲニラは自慢の触爪を使って悠々と対処する。このままいけば、またじわじわと消耗していくだけ。
本当に……ほんとに何もないのか?
何か……何か……。
いや……ある。
一つだけ……ある。それも、決定的なものが一つ。イチタはそれを知っている。
今まで、どうして忘れていたのだろう。違う……今の自分だからこそ、忘れてしまっていた。
この力……そう、自分の持つ精霊の力こそが、この場において奴を倒すための唯一無二の方法。
前回、奴の体の一部を吹き飛ばした。あの青い稲妻を、もう一度当てることができれば……。
「もしかして、リュドさんはそれを分かってて……」
当然、ゲニラにはこの力の存在をすでに知られている。雑に撃てば、簡単に避けられてしまうだろう。前回は、向こうが油断していたからこそ成し得た。けれど、今回は違う。またあれをぶつけるには、奴の体力をある程度減らした上で、かつあの鉄壁の鎧をどうにかしなくてはいけない。あの稲妻は、そう何度も撃てない。
この予想が的を得ているのであれば、奴が自身の防御を高めたのにも納得がいく。後は、自分次第だ。
そう、イチタは忘れていた。これまでの流れから、イチタは精霊の力を知り、羽虫を従え、それを軸に戦ってきた。羽虫を信頼してきたからこそ、記憶の奥底に置いてきた、この力の存在。
もう一度、呼び覚まそう。もちろん、危険はある。あの力を直で放った場合、自分の体にも相当な負担がかかる。現にそのせいで、イチタはシルヴィの家で長いこと回復を待つはめになった。
次に撃った場合、あれだけで済むのかどうか。何か、もっと効率の良い方法はないものか。
あれこれ考えているうちに、目の前で繰り広げられている戦いは、次の段階に移ろうとしていた。
「もういい加減諦めたらどうだい? そうやってがむしゃらに食らいつくだけじゃいつまで経っても終わらないよ~」
「はああっ」
奴の言葉を無視して、二人は全身全霊でその首を狙う。
「って言っても分からないよねぇ……じゃ、そろそろサヨナラしようか」
両サイドから同時に距離を詰めるリュドとセリカ。その動きを待っていたと言わんばかりに、ゲニラは前かがみでうずくまった。次の瞬間……。
「……ばいばい」
うずくまった奴の背中から、大量の鱗が空に向かって広範囲に発射された。既に奴の間合いに入っていた二人。奴の反撃を見て、二人は即座に防御の姿勢を取る。
「ぐっ……」
二人は剣を盾に鱗の直撃を防いだが、防ぎ切れなかった鱗が何発も腕や脚を掠める。一発一発の傷は浅くとも、総合的なダメージは決して軽くない。二人はゲニラから距離を取り、離れた位置で体を休ませる。しかし、呼吸は少しだけ荒い。
負傷した部分から血が滲む。呼吸を整え、二人は傷を負いながらも前に出た。その時だった。
ーーガクッ。
「「っ!?」」
二人は突然、この状況において命とも言える剣を離し、地面に膝をついた。イチタには、二人の身に何が起きたのか分からない。
「キュシシシシ……効いてきた効いてきた」
これは……。
「どうだ? オイラの毒はすごいだろ? ビリビリくるだろ? ひとたび受けりゃ、速攻で体が麻痺しちまう。けど、安心しなよ。毒で殺すだなんて、そんな卑怯なことはしないさ。オイラは優しいからなぁ……キュシシシ」
ゲニラは空に浮かぶ月を仰ぐと、毒で動けず膝をついたままの彼らに目を向けることなく、触爪を伸ばした。伸びた触爪が二人を襲う。それを見て、ガドロックが二人を救出するべく走り出した。
「いかんっ!」
その光景を見て、イチタも叫ぶ。
「やめろぉっ!」
届くはずのない手を伸ばした。二人を救わなければ……そんな思いだけが、彼の心を満たす。その思いに、彼の力が答えた。
腕輪が光り、羽虫が複数ゲニラに向かって飛んでいく。飛んできた羽虫を迎撃しようと、残った二本の触爪が伸びる。しかし、羽虫は優雅な動きで触爪を躱すと、ゲニラの体にペタペタとまとわりついた。
「あ?」
ゲニラが羽虫の行動に不可解を示した……次の瞬間。
ーーシュ……バァンッ!
「っ!?」
羽虫はゲニラの体に張り付いたまま強く光り輝くと、激しい音とともに爆発した。爆発直後、四本の触爪は背中の鱗もろともきれいに吹き飛び、四方に生えた木々によって受け止められた。
ガドロックはリュドの元に、イチタはセリカの元に向かって走り出す。
「大丈夫か、セリカ」
「う、うん。ちょっとシビれるだけ……」
イチタが手を伸ばすと、セリカは彼の手を掴んだ。その瞬間、青い光が二人の手を包む。すると、セリカは膝をついた状態からスッと立ち上がった。
爆発によって触爪を失ったゲニラは、何が起こったのか分からずその場で棒立ちしていた。だが、復活したセリカを見て、途端に表情を変える。
「あ……あが……なんだ、なんだなんだなんだ……何なんだお前っ!?」
奴の態度から読み取れる感情。それは驚きにも、怒りにも、恐怖にも見えた。壊れてしまった奴に対し、セリカは淡々と答える。
「私はセリカ。今ここにあるのは、その名前……この剣で、あなたを斬る」
すると、ゲニラは大声で笑いだした。
「キュシシ……オイラを、斬る? そんなナマクラ、何度振るったところで変わらない。変わらないんだよっ!」
セリカは大地を蹴り、剣を構えて走り出した。ゲニラは地面に腕を突き刺し、鱗の壁を展開する。それでも、彼女は振るった。その鋭く、美しい白銀の刃を……。
ーーピシッ。
薙いた刃は突き出た鱗を難なく砕き、奴の胴体を斬り裂いた。
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