第31話

 十三区域に蔓延っていた問題の数々。ついに大元の原因と思わしきものを突き止めた。この連中が絡んでいたと考えればすべて納得がいく。何が目的でここに集っているのかは不明だが、とにかく今の自分たちにできることはただ一つ。


 ここで奴らを打ち倒し、祭壇の前で悠々と佇むアイツから情報を洗いざらい聞き出すこと。少々手荒にはなるだろうが、それは向こうさんも同じのようだ。その手に蓄えた魔力をいつでも放てると言わんばかりに、腕にまとった不気味な光はバチバチと音を立てている。


 戦いの火蓋は、ユーゼットの一言により切られた。


「行くぞ!」


 三人はそれぞれ、向かい合う灰装束たちと交戦する。ユーゼットはその長いリーチを活かした槍撃で敵を一網打尽に、アイシャは持ち前の身のこなしで敵の攻撃を丁寧にかわしながら、着実に拳を叩き込む。そして、イチタ。灰装束と向き合ったまま、その場から動くことなく、ただ目の前の相手を見つめる。確かめるために……。


 奴らとは、二度目の遭遇。以前は怯えるばかりで、セリカに守ってもらうことで切り抜けることができていた。けれど、今はどうだ? ああ、そうだ。こうしてまた、相対したからこそ分かる。今ここにいる自分は、以前の自分とは違うということ。自分でも不思議なくらい、怖くない。まぁ、これまでやり合ってきた相手を考えれば、当然か。


 頼む。また力を貸してくれ。精霊羽虫。


 イチタがそう心の中で唱えると、腕輪の石が光る。その明瞭な変化に、この場にいる全員の視線が彼に注がれた。


 ユーゼットにアイシャはもちろん、灰装束までも彼のもたらした変化に反応を示した。光が放たれて間もなく、羽虫たちは精霊の力に誘われて彼のもとへ集う。


 羽虫はイチタの周りを優雅に旋回する。それはどこか、主との再会を祝福しているようにも見えた。イチタが己の真価を発揮して以降、灰装束らの敵意がすべて彼に向けられる。それはまさに一瞬だった。彼と向かう合う灰装束たちは手を伸ばすと、内に秘めた魔力を一斉に解き放った。手から放出した魔力は迷うことなく、イチタへ飛んでいく。


 言葉なき連携によって生み出された強力な一撃。空気を裂くように突き走る魔力の波は、順調な勢いでイチタに襲いかかる。まともに受ければ、致命傷は避けられないだろう。それでも、イチタは動かない。


ーーピシュッ。


 その必要がないことを、知っている。


 奴らの放った魔法は、彼に直撃する寸前にはじかれ、上空で散り散りとなった。仮面の下のツラは拝めないが、さすがの奴らもこの事実に動揺の色が隠せていない。


 それでも、信じたくないのか。続けて魔法を撃ち続ける。が……すべて無駄。放たれた攻撃すべて、同じくして打ち返される。イチタの周りでは、相変わらず数匹の羽虫たちが泳ぎ回っている。


「イチタ君!」

「きゃはっ」


 後ろで見ていた二人も、驚嘆の声を上げる。


「遅れを取ってすみません。ここからは、もう大丈夫です」

「さすが、団長が見込んだだけのことはある」

「アタシたちも負けてられないね」

「おうよ」


 息の合う二人の掛け合いに、イチタの心も鼓舞する。変化する風向き。三人はそれぞれ、己の強みを駆使しながら灰装束を圧倒していく。


 イチタも防御を固めながら羽虫を飛ばして応戦する。その怒涛の攻撃によって、こちらを取り囲んでいた十五人の灰装束を撃破した。


 そして残るはただ一人……。祭壇の前にいる、アイツを倒せばすべて終わる。


 灰装束のリーダー格は祭壇の上からイチタたちを見下ろすと、無言のまま背を向けた。そして何か呪文のようなものを唱え始める。


「一体何を……」


 祭壇の炎が揺らめきを増す。奴が両腕を上げると、宙に亀裂が入り、そこから膨大な量の魔力が流れ込んでくる。亀裂は広がり、やがて巨大な門が開かれた。門の中から何かが這い出てくる。


「なんだこいつは……」


 門を掻き分けるように出てきたその魔物は、思いつく限りの生物を乱雑に組み合わせたような姿をしていた。とても、自然界に存在するものではない。山のような甲羅から伸びた三つ首。それだけ見れば、蛇やトカゲの類を彷彿とさせる。目は退化しているのかこちらをハッキリ視認できてはいないようだが、頭はしっかりとこちらを向いている。ただの偶然であること願いたい。


 恰幅の良い体躯から大木のような脚が生えている。背中の甲羅といいその重量感たるや、並大抵の攻撃では押し切れないだろう。


ーーフッフッフッフ。


「おいっ待て!」


 リーダー格の灰装束は魔物を召喚した後、霧に紛れて姿を消した。ユーゼットの声は届くことなく、あとに残されたのは目の前の怪物のみ。


ーーキュリュリュアアアアアッッッ!!!


 灰装束に代わって相手となる魔物は、不協和音を奏でる。未知の敵を前に、さすがのイチタたちもしりごみする。けど、ここまで来たらやるしかない。


「仕方ない。気を抜くなよ、二人とも」


 コイツは絶対に外に出してはならない。王都の中枢に入り込めば、さらなる混乱を招くことになる。ここで必ず食い止める。ユーゼットを先頭に、アイシャ、そしてイチタも続く。


 挨拶がてら、ユーゼットは槍を二度大きく振った。槍から放たれる衝撃波が魔物に飛びかかる。


ーーキュアアアアアッッ。


「っ!?」


 魔物はユーゼットの撃ち出した衝撃波に素早く反応を示すと、口を大きく開け不可視の超音波のようなものを発した。衝撃波は魔物に傷を負わせることなく、超音波によって相殺される。


「まだ、終わりじゃないさ。アイシャ!」

「はーいよっと!」


 奴の攻撃が終わって間もなく、既に動き出していたアイシャが別方向か連撃を繰り出す。拳を一つ打ち込む度に、魔力によって生み出された拳閃が放たれる。


 上空から打ち出した金色の拳閃はまるで流星のごとく走り、その全てが奴の胴体に命中する。不意の猛襲に、魔物は少しひるんだように見えたが、致命傷には至らず。すぐに体勢を立て直し、反撃の構えに入った。


 三つの首はアイシャに狙いを定めると、それぞれ口を開く。開いた口の奥がほんのりと光る。その仕草は、喉奥で何かを溜めているように見える。頭がぷるぷると震え、そして。


ーーバシュッ。


 予想した通り、魔物は口から溜めこんでいたものを吐き出した。激しく波打つ空気の塊。その周りを流れる雷。三つの頭から連続して放たれる。弾の速度は大したものだが、アイシャは容易に躱してみせる。


 探りを入れながらの攻撃を経て、なんとなく見えてきた。奴の本質。見たところ、相手の技の一つ一つは思ったほど驚異的ではない。二人の実力があれば容易くいなせる範疇だ。


 ただ、今の二撃。ユーゼットは直接頭を狙い、その後アイシャは胴体を狙った。内容は違えど、結果は同じ。奴のその体躯から、薄々感づいてはいたが、やはりこの魔物は相当防御面に長けているようだ。様子見で繰り出した技とはいえ、彼らはアスターの精鋭たちだ。並の者とは技の質が根本から違う。コイツは、それに耐え得るだけの力がある。


 それが分かった以上、まずは、この防壁をどう突破するかが重要だが……首と胴体を直接狙っても期待は薄そうだ。


 イチタは考える。このまま手数で押し切るか、新たな有効策を模索するべきか。いずれにしろ、何らかの糸口はあるはずだ。イチタは三つ首の魔物を注意深く観察する。



「ん?」



 上から下までじっくり目を通してみると、あることに気が付いた。魔物の体。丁度、首の根元あたりで、渦巻いているもの。光か、靄か……。はっきりとは分からない。よく見れば、時に炎のようにゆらめく小さな渦の中心に、模様のようなものが見える。




 あの模様……どこかで。




 首の根元以外にも、同じような渦が数か所、魔物の体に張り付くように揺れ動く。あれは一体……。


「イチタ君」

「はい!」


 思考をかき回す寸前、ユーゼットから呼びかけが入る。


「どうやらコイツは、生半可なやり方で押し切れそうにない。短時間で一気に決める。行けそうか?」


 ユーゼットの信頼に満ちた眼差し。イチタの返答は決まっていた。


「もちろんです。いつでも行けます」

「よし。アイシャも今のでおおよそ分かったはずだ。三人でとことん攻め立てるぞ」


 そこからは、これまで以上に荒れ狂う交戦が繰り広げられる。ユーゼットの鋭く苛烈な一撃。アイシャの華麗かつ重い連撃。イチタの堅実で機転ある立ち回り。今の自分には、彼らのようにパワーとスピードをバランス良く織り交ぜた大胆な動きには出られない。防御を絶対的に固めつつ、制御できる範囲でひたすら攻撃を繰り出す。


 魔物は首を大きくうねらせると、頭の位置を変え、それぞれ三人に目掛けてお得意の超音波をお見舞いする。技が単調であることと、一発の威力がそれほどに大きくないのがせめてもの救いだが、奴の持つタフさがその不足の部分を上手いこと補っている。これだけ膨大な技を休みなく続けて撃ちだしておいて、一向に疲弊する気配を見せないのはなぜだ……? まるでどこからかエネルギーを供給され続けでもしているのか?


 供給……っ!


 そんな時、直前の思考が舞い戻る。そう、観測の結果。イチタが目を付けた奴の謎、からくりの一つ。魔物の体に張り付いた小さな渦。改めて、確認すると己の思考にまた新たな判断材料を与えてくれた。


 攻撃を繰り返す奴の体にまとわりついた渦。先ほどは炎のゆらめきのようだったが、今見ると激しい雷雨のような動きをしている。渦の乱れは魔物が技を披露すればするほどに加速し、まるで濁流にのまれた水車のごとく、狂騒、乱痴気の雨あられ。


 ならいっそ、その馬脚をここで露わしてみせようじゃないか。この予見かウソか誠か。ここが勝負の枝分かれだ。


「ユーゼットさん! アイシャさん! 奴の体にまとわりついたあの渦を狙ってください」

「渦……しかし」


 魔物の鉄壁をかいくぐりながら、ピンポイントで狙うことは容易ではない。言葉に詰まるユーゼットとアイシャ。しかし、それでもイチタは念押しした。


「三つ首は全部、俺が注意を引きます。お二人はその隙に」


 イチタは自身の防御の手を緩め、まとった羽虫を開放する。放たれた羽虫は三つ首の鼻先まで近づき煽るようにその周囲を旋回する。その間、魔物の意識は完全にユーゼットたちを見失った。イチタの覚悟を肌で感じたユーゼットは、無言で相槌を打つと大声でアイシャの名を呼ぶ。


「アイシャ!」

「いけるよ、ユーゼット!」


 呼応するアイシャ。それ以上の言葉はいらない。防壁の剥がれ落ちた奴の砦に侵入した二人はここぞとばかりに、小さな渦目掛けて自身の技を目いっぱい思うがまま打ち込んだ。


 技が一発当たる度にギィンと音が響く。魔物はその衝撃により徐々に体勢を保てなくなる。


ーーキュアアアアアアッッッ。


 体にまとわりついた渦をすべて破壊すると、魔物は咆哮を上げながら地面に倒れた。


「終わった……のか?」


 渦が消えると、うっすらと見えていた模様が浮かび上がる。それは、まだ記憶に新しくこの場にいる三人はしっかりと覚えていた。


「これは……」


 魔物の体に記されていたのは、民家の外壁に記されていたあのなぞの印であった。一瞬動揺したユーゼットであったが、すぐに自分の中で消化できたようだ。


「なるほどな……この印のおかげであそこまでの力を……いや、コイツの生命そのものを維持できていたというわけか」


 意味深な発言に、隣で聞いていた二人も反応する。「どういうこと?」と、すかさずアイシャ。


「俺たちの攻撃は、何一つ魔物の体に届いちゃいない」

「それって……」

「あの渦は、魔物の命そのものではない。何者かによって、外部から付け足されたものに過ぎないのさ。まぁ、結果的に繋ぎ止めるものではあったが……」


 ユーゼットの口ぶりから、おおよその話の筋道が見えてくる。どんな仕組みかは分からないが、あの渦がなければ、魔物は自分たちを攻撃するどころか、動くことすらできなかったということだ。


 皆、感情が騒ぎ出したのだろうか? 自然と生まれた沈黙に身をゆだねつつある。与えられた時間を貪った後、ユーゼットが切り出した。


「今すぐここを出よう」


 その意見には、おおむね賛成であった。しかし、アイシャは不満の色を見せる。


「で、でも……この場所は」

「俺たちに見つかった以上、今更奴らがここに固執することもないだろう。それに、王都の方も心配だ」

「それは……そうだけど」


 彼の話を聞いてもなお、アイシャはどこか納得のいかない様子でいた。実を言うと、その気持ちは何となく分かる。


 根拠はない。ただ、もう一人の自分が自分に問いかける。本当にこれで終わりか? これで十三区域は解放へと導くことができるのか……。考えすぎなのかもしれない。けど、今はこれしか言えない。現状、目に見えるものに沿って進む以外の道はない。


 三人は来た道を戻り、地上へと出た。


 魔物の気配は……ない。肌にこびりつく感覚も、異様な空気も。


 これにて解放……解放だ。そう言い聞かせながら、ユーゼット、そしてアイシャ。頼れる仲間たちと共に、堂々と正規の入り口から十三区域を抜けようとした。


ーーピリッ。


「え?」


ーー背筋に走る感覚。


ーーわずかに揺らいだ世界。


ーー異様すら凍り付く空気。 


ーー静止した時。そして……


ーー心臓にまで伝わるその狂気。


 ああ……そうか。そういうことか。


 どうしてだろう……すっかり頭から抜け落ちていた、奴の存在。


 覚悟していたはずなのに、恐れているはずなのに。


 分かっていたはずなのに……。


 後戻りなんて、できないこと。


 そうだろう?


 振り返ったその先に、奴はいた。


ーーゴアアアアアアアアアッッッッッ。


 発達した二本の前足。刃さえ通せそうにない強靭な体。


 覇者の風格漂う逆立った黒々とした毛。


 天をも貫く程の二本角。


 足元にはいつしか、例の『霧』が立ち込めていた。霧を背景にたちはだかるは、あの『魔獣』の姿だった。

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