第30話
長い階段を降り進むと、異質な空間にたどり着いた。ところどころが地上の作りとわずかに違う。レンガの質感、内部の構造……。元からここにあったものとは思えない。アイシャは指先から放った魔力を照明代わりに地下内を照らす。
全体の重々しい雰囲気もそうだが、何といっても目を引くのはその広さだろうか。とても鬱屈とした十三区域内に広がる景色には見えないが……。
この奥に何があるのか……ひとまず、三人は慎重に先を進んだ。靴音だけが響く地下道。まだそれほど歩みを重ねていない中、ユーゼットが足を止めた。
「ユーゼットさん?」
「どうしたの?」
「……魔物だ」
ユーゼットは低い声で呟くように言った。それを聞いた二人はすぐに前方に視線を向ける。立ちはだかるそれは、のそりと余裕を見せながら三人の行く手を阻んだ。発する鈍重なうめき声から、絶対にこの先へは行かせないという意志を感じる。
数は一体。だが、地上で相対したものよりもさらに凶悪な姿をしている。異常に発達した二本の牙。体の厚みはそれほどでもないが、その分一段と長さに磨きがかかっている。八本の脚を器用に動かし、地面を強く踏み込んでは三人を威嚇する。
「フッ。随分と手厚いお出迎えだな。俺たちがここに来ることを分かっていたみたいじゃないか」
睨み合う両者。ユーゼットは槍先を魔物へと向ける。彼の静かなる戦闘態勢に乗じて、アイシャも動く。
「アタシも。こんなところでもたもたしてられないしね」
「あまり派手に暴れるなよ。地上とは勝手が違う」
魔物はじっと二人を観察しながら、しきり音を鳴らしている。何かの警告か? それとも……。
奴の様子を見て、イチタはある違和感を覚えた。
なぜだ……?
なぜ……どうして動かない?
一向に襲ってくる気配のない魔物。大きな顎をバクバクと動かすだけで、こちらに攻撃をしてくるような動きはない。金属をすり合わせたような音は相変わらず鳴らしている。その音も、段々と大きくなっている。
「随分と余裕だな。来ないんなら、こっちから行かせてもらう!」
「痛いの食らわせちゃうよ!」
そんな奴を見て、ユーゼットとアイシャが一気に先手を打った。イチタはすかさず二人を呼び止める。
「え?」
二人が同時に振り返った……次の瞬間。
ーーキュイイイイイイイイッッッッ。
「うっ」
「ぐっ」
「なっ、なにこれぇ……」
今まで静に徹していた魔物がこれまでにない金切り音を上げる。音は地下内を共鳴し、激しさを増す。三人は咄嗟に耳をふさいだ。
音を吐き出して間もなく、魔物は大きな口を開けながら天井に吠えると、力なく地面に倒れた。そしてそのまま、完全に動かなくなってしまった。
見ていた三人にも、分からない。この一瞬の間に、この場では即座に判断しきれない何かが起きた。三人は少しの間、ただ呆然と、倒れた魔物を眺めることしかできなかった。
あまりに理解不能な出来事に、その場で硬直する三人。そんな中、最初に口を開いたアイシャが少々震えた声で言った。
「なっ……え、どういうこと? 何が、どうなって……」
「絶命した……のか?」
合わせるように、ユーゼット。わずかに静止した空気が、三人にこの結果を受け止めるための時間を与えた。それでも、完全に理解するには程遠い。
「はっきりとは言えませんが、あの魔物。何か、苦しんでいるようにも見えました……」
このわずかな時間の中での感想を、イチタは簡潔に告げる。
「苦しんだように……か。原因は不明だが、無駄な戦いは一つ避けられたな」
「でも、どうして急に息絶えたんだろう……」
流れるように、アイシャが疑問を投げる。
「もしかして、既に手負いだった……とか」
イチタが可能性の一つを示す。
「どうだろうな……見たところ、コイツに外傷らしき外傷は見当たらないが……考えてもしょうがない。先を急ぐぞ」
この問題はひとまず置いておき、三人は地下道をさらに進む。
地下に降り立って早々の面倒を回避し、次の地点へ……が、その先で見た光景は異常そのものだった。
「なんなんだ……これは」
「嘘でしょ……」
目の前にある事実を知った今、その反応は当然のものだった。地下道の少し開けた場所。その四方に積み上がる魔物の死体。なぜこのようなことが、街のすぐ真下で起きているのか。ユーゼットは真っ先に駆け出し、近くで魔物を調べる。二人も、動き出したユーゼットの後に続いた。
亡骸を間近で観察した後、ユーゼットはゆっくりと立ち上がり、二人の方を向く。
「何か分かったの?」
「分かった……ことで言えば、さっきと同じだな」
「同じ?」
「ああ、ここにある死体もさっき絶命した魔物も、どちらも目立った外傷がない。激しい戦闘で力尽きたという訳ではなさそうだ」
「そう……」
「もう少しゆっくりと調べることができれば、また何か見えてくるやもしれないが、時間がない。ここも後回しだな」
「うん」
そしてまた、次の場所へ……そう気持ちを切り替えた。
ーーサレ。
頭に直接響くような声。この感覚、どこかで……。
考える時間もないまま、それはやってくる。向かいに見える出口。丁度イチタたちが次に目指す場所へ繋がるその地点に三つの白い霧が出現した。霧の中から、いつぞやの灰装束が現れた。数はこちらと同じ三人。
先頭にいる一人の灰装束が右手を前に出す。伸ばした手は、イチタに向けられていた。そしてもう一度、頭の中に声が響く。
ーーハイジョ、スル。
灰装束の手から、つぶての混じった水しぶきのようなものが放たれる。それが自分に深い傷を負わせるものであることに気づいた時には、既に回避不能なところまで迫っていた。だが、同時に吹き荒れる突風がそのしぶきを見事に弾き飛ばした。しぶきは無に帰され、宙に飛散する。
「ユ、ユーゼットさん」
いつからか、槍を構えたユーゼットがイチタの前に立っていた。その表情は、一段と険しさを増している。
「不意打ちのつもりなのだろうが、まだまだ遅い。そんな程度じゃ、俺たち三人の命を誰一人として奪えないし、奪わせない」
静かな口調に、彼の怒りが見て取れる。だが、灰装束はそんなこと気にも留めていないように見えた。
ーーハイジョスル。ハイジョスル。
その文言をひたすら繰り返し、再び右手を前に出すと、今度は後ろの二人も同じ構えで加勢し始めた。人数が加わったことで、放たれるしぶきは一層その威力を増す。
撃ち出したしぶきはうねりを上げながら、イチタたちを狙い撃ちする。
「はぁっ!」
ユーゼットは槍を払い、再度しぶきを打ち返した。アイシャは拳を鳴らし、迎撃の際に生じた隙を利用して一気に距離を詰める。軽快なスピード感でもって奴らに接近すると、彼女の強烈な一打が炸裂する。灰装束は一直線に吹き飛ばされ、壁に激突する。灰装束は壁にもたれたまま動かなくなった。
「……終わったか。しかしこれは……」
言いかけた言葉を閉じる。いや、この場合は詰まったというべきか。それほどに、処理しきれない事柄が連続している。だからこそ、イチタはここで口を開くべきだと感じた。
「ユーゼットさん。ちょっといいですか?」
「ん?」
「俺、この連中に見覚えがありまして……」
「何?」
それを聞いて、ユーゼットの目の色が変わる。知っている情報は少しでも話すべきだと、イチタはさらに続けた。
「詳しく話せるほどじゃないですけど、アズー村の先の森で一度遭遇したことがあります。今回と同じように、出会って早々こちらに攻撃を仕掛けてきました。使う技に違いはありましたが、その敵意は変わりません。身なりもほぼ一緒ですし……組織的な何かがこの近くでうごめいているような気がするんです」
「アズー村の先で……か。ということはあれも……」
イチタが説明するや、ユーゼットは小声で何かを呟き、そのまま一人の世界に入ってしまった。
「ユーゼットさん?」
「ああっ、すまない。いや、とても重要な情報だ。ありがとうイチタ君。君の言う通り、こいつらの件はこの地下内で収まる話ではないだろう。これからもっと念入りに深掘りしていかなければ……」
◆
中枢区に立ち並ぶ家屋の屋根上にて、アルフィンとラシムが顔を合わせる。
「うし、兵器の設置はこれで十分だろう。あとは本当にここへ現れっかどうかだが……」
数こそ城壁のものより劣るが、こちらはこちらでまた別の種類の兵器や道具でその面を補っていることが分かる。いざ魔物が現れれば、相応の役目を果たしてくれることだろう。彼の言う通り、あとは肝心の魔物が現れるのか否か。ここに関しては、アルフィンも無視できないところだ。
正門付近の防御を削ってまで、こちらに人員と物資を回したのだ。何もなく終われば、ただ向こうを手薄にしただけの愚策に過ぎない。この作戦は成功してほしい……しかし、それは同時に中枢区への魔物の進軍を肯定してしまうことにもなる。彼の心境はまさにその板挟みの中にあった。
どうにも持って行きようのないこの気持ち。心に圧迫感だけが強まる。行き場のない空気は、またため息となって外に出た。
「おい」
「はっ、はい!」
「ちゃんと周囲に目配らせろ。そんなんじゃ魔物が出てきても見逃しちまうだろ」
「す、すみません」
「ったく……しかしまあ、なんだって魔物は急に中枢区に現れやがったんだか。索敵にかからねぇ個体なんざ聞いたこともねぇが……」
ラシムの純粋な疑問に対し、アルフィンはおそるおそる返答する。
「あの、ラシムさん」
「あん?」
「僕、王都に来る前はここよりずっと遠くにある辺境の村に住んでいたんです。各地を冒険して、世界を知って、そしていつか強大なドラゴンをも倒せるくらい、強くなりたいって……」
「……」
「ただ、時々思い出すんです。故郷の事、まだ外の事を知らずに一人部屋の中にいたあの頃の事……」
「ふーん。それで憧れの外に出て、何を思った? 今の王都を見て、何を感じる。失望でもしたか?」
「いえ、憧れの外の世界は、僕の理想のまま、素晴らしい世界でした。王都にはいろんな人たちがいて、自分の知らないことがたくさんあって……確かに、楽しいことばかりではないですけど。でも、新しいことに出会う度に思うんです。もっともっと知りたい、繋がりたいって……なので、僕は僕の理想を目指し続けます。今までも、これからも……」
「……そうかよ」
ラシムは彼の語りに茶々を入れることもなく、目を背けたまま静かにそう言った。
「あ、すみません長々と。実は、言いたかったことはそれじゃなくて……故郷の村にいた時、家の書庫でたまたま見つけた本に書いてあったことなんですが……」
「本?」
「はい。村にいた時はやることもなくて、家の中でずっと本を読んで過ごしていました。ラシムさん。さっき、どうして王都に突然魔物が現れたのか、疑問に思っていましたよね?」
「だったらなんだ?」
「その時、読んでいた本にこう書いてあったんです。魔を通して見えるものだけが、魔物ではない……と。魔物とは、魔を基準に、目、耳、肌……あらゆる感覚でもって判断すべきだと」
その話を聞いてもなお、ラシムは理解を示したようには見えない。むしろ、精鋭の視点ならではの反論が返ってきた。
「あのなぁ、魔物っつーのは魔力の塊みてーな存在だぞ。魔法で感知できなきゃなんだってハナシになる」
「で、でも本にはそう……」
「けっ。寝言言ってねーで向かいの屋根にいる監視をよく見てろ。もし魔物がいれば、あの魔法士がその気配を察知してくれる。姿を目にする前に、合図を送るよう指示している。大体、そんな魔物がそもそもいることすらまだ……」
「うわあああああああああっっっ!!!!!」
「「っ!?」」
小言混じりの指示を聞いていると、それを打ち破るかのような悲鳴が街中に響き渡った。さすがのラシムも、慌てて話を切り上げ、声の下方向に目を向ける。それはアルフィンも同じだった。二人して、目を向けた先の光景にあったもの。それは……。
「うっ……」
「バカなっ……」
屋根上から地上を覗き込むと、そこには数多の魔物で溢れかえっていた。信じがたい事実に声を詰まらせた。ラシムは急いでその場にいる団員に指示を伝える。
「お前らっ今すぐ配置につけ! 魔物を一か所に集め次第、タイミングを見て斉射しろ! 拘束網はオレが指示を出すまで待機!」
「は、はい!」
ラシムは背中の刃を引き抜くと、アルフィンの方を向いた。
「オメェの言うこと全部信じた訳じゃねぇ……が事態が事態だ。ここで待ってろ、すぐに終わらせてくる」
そう言うと、ラシムは屋根から飛び降り、魔物を倒すため地上に降り立った。
地下道の奥へ、さらに進むイチタたち。たどり着いた場所は、今まで一番大きな空間であった。そこもまた、これまでと同様に異様な空気に染まっている。
特に気になるのはあちこちに点在する檻。入口が開けっ放しのものもあれば、錆びた枷が乱雑に置かれているだけのもの、鉄格子の奥から小さくうめき声が聞こえてくる檻もあり、どうにも近寄りがたい印象だ。
そして、部屋の一番奥。青白い灯が照らされた祭壇のようなもの。円形の大きな台座が二つと、その後ろに大釜がいくつも並んでいる。
「この張り詰めた感じは……」
「なによこれ……いっそぶっ壊しちゃおっか」
「待て待て……気持ちは分かるが、これも大事な手掛かりの一つだ。調べもせずに破壊するのはダメだ。とはいえ、安易には近づけないな。さて、どうするべきか……」
例によって、ユーゼットは部屋の観察から入る。イチタも同様に、少しでも多くの情報を得ようと周囲をよく見渡してみる。
複数の檻、謎の祭壇、並んだ大釜……よく見ると、天井から何かが鎖でぶら下がっている。生物のような、そうでないような……。見て分かることは、せいぜいこのくらいだろうか。
「二人とも、ここで待っていてくれ。やっぱり、あの祭壇は見ておかないと……」
祭壇に向かって歩き出すユーゼットの背を見ていると、またあの声が聞こえてきた。
ーータチサレ。
「っ!」
ーータチサレ。
声が聞こえてすぐ、まとまりのある黒い霧が複数現れ、案の定奴らが姿を現す。ユーゼットの前にも一段と大きな霧が出現し、祭壇に近づこうとする彼の行く手を阻んだ。
集まったのは、総勢十六人の灰装束。特に祭壇の前に現れた一人に関しては、他の灰装束とは見た目も雰囲気も違う。身にまとう衣装のベースは同じだが、襟の部分が大きく特徴的であり、中心に謎の赤い宝石がつけられている。おそらく、あれがこの集団の親玉と見て間違いないだろう。
三人は背中合わせとなり、それぞれ自分たちを取り囲む目の前の敵と対峙する。
「そう簡単には行かせてくれないか」
「どっちでもいいよ。コイツらさっさと片付けて、早いとこ終わりにしよ」
ユーゼットは槍を、アイシャは拳を、そしてイチタは腕輪をはめた右手を前に……ただし、この閉鎖的な空間の中、力の制御がまだ完璧でないイチタでは、どこに影響を及ぼすか分からない。が、状況が状況なだけにそうも言ってられない。いつまでも二人に頼りっぱなしのままでは……。
「俺も戦います! ここに来るまでに身に着けた力、お二人にも披露したいので」
「そいつは楽しみだな、イチタ君。よし、じゃあお互い派手に行こうか!」
力が暴発しないことを願い、イチタも戦闘態勢に入る。
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