第23話
リーゼリア。不思議な人だった。端麗な容姿かつ清廉な持ち味。そして何より、あの瞳。
あの部屋にたどり着いた時から感じていた。彼女には、一体どこまで見えているのだろう。知りたいような、知りたくないような。
彼女と同じ時を過ごすことで、己の全てが際限なく解き明かされていくような、そんな感覚。あまり深入りしない方が良いと、本能的に感じる。扱いを間違えれば、返ってやけどすることになる。
夢見の魔術師……か。その意味も含め、最後の最後まであの人のことはよく分からなかった。類稀な力を有していることは確かだ。ここだけは、期待してもよいのだろう。
また、あの紅茶を飲みたいものだ。
思ったよりも時間がかかってしまった。もう一階と中庭も調べ終わっている頃合いだろう。すぐに向かわなければ。
「イチタ!」
丁度、正面の通路からカリムがやってきた。イチタの元まで来るや、息を荒立て、なにやら青ざめた様子でいる。
「おー、おつかれ。今そっちに行こうと……」
「大変なんだ! 皆が……皆が……」
「え?」
カリムの話を聞き、イチタは急いで中庭へと走った。
中庭へ着くと、信じがたい光景が広がっていた。庭の至る所に倒れ伏す生徒達。皆、意識がなく後からやってきた生徒が倒れた人達を介抱している。
「ど、どうしてこんなことに……」
「中庭を調査中、皆急に倒れだして……」
生徒達の危機に、イチタはただ棒立ちしたまま、黙って見ていることしかできなかった。頭が真っ白になる。
「お、俺は……」
一時的とはいえ、みんなをまとめる立場を引き受けておきながら、この有様。
なんとか……自分が何とかしないと……。
動き出そうにも、何をすべきなのかが分からない。眼前には、慌てふためく生徒達の焦燥に満ちた叫びが聞こえる。
「ダメだ! 意識が戻らない」
「誰か、こっちに来てくれ!」
「回復魔法が使える奴はいないのか?」
「おい、しっかりしろ!」
早まる鼓動が、自分を急かす。何とかしろ。何とかして皆を救えと。それでもなお、イチタは動けない。
もはや自分ではどうすることもできないのだと、ただただその光景を見つめ続ける。
「お、俺は……」
「なんの騒ぎです!」
その時、ピシャリとした声がこの場にいる皆の注意を引く。
「誰だ?」
校舎から出てきた二人の女子生徒。前にいる一人は、その面構えや雰囲気からして一般生徒という感じではない。見るからに生真面目そうで、いかにも才色兼備な優等生といった印象だ。
「せ、生徒会長……」
「え?」
横にいたカリムがボソッとそう呟く。あの人が学院の生徒会長。それを聞いて、イチタは納得する。なるほど、最初に見えた印象通りの肩書きだ。
生徒会長は自前のおさげを揺らしながら、スタスタをこちらに歩み寄る。教師とはまた違う威厳。彼女もまた学院の権威を携えし者の一人だ。距離が縮まるにつれ、その身は多少なりしりごむ。
イチタの前を素通りすると、会長は目の前の生徒に指示を出す。
「治癒魔術の心得がある者は倒れた生徒を医務室まで運びなさい。残った生徒はすぐに教室へ戻ってそのまま待機」
「「は、はい!」」
生徒会長の言葉を受けて、生徒達は指示通りに行動する。介抱に徹していた生徒は倒れた者を背負って医務室へ、後から来た生徒や詳しい状況を把握していない者はきびきびと教室へ戻った。
あっという間にして、中庭はいつもの平穏さを取り戻す。状況を見て、瞬時に的確な指示を出すその様は、生徒会長の名に恥じぬ行動である。素直に「かっこいい」の一言が湧き出た。普段から彼女の背についていれば、心酔の域に達すること必然であろう。
「あ、あの……」
呼びかけると、生徒会長はくるりとこちらに振り返る。
「あ、えと……す、すみません!」
謝罪と合わせて、深々と頭を下げる。
「なぜあなたが謝るの?」
会長にしてみれば、当然の疑問だ。いきなりの謝罪。分かるはずもない。けど、今だけはこれが何よりも先に出た言葉だった。後追うかたちで理由を説明する。
「俺が、悪いんです。寮に戻る指示を無視して、皆を引き連れたんですから……」
生徒会長は頭を下げたイチタを見つめたまま、何も言わない。彼女が何かを言う前に、カリムも前に出て謝罪する。
「ぼ、僕の方こそ謝ります。最初に彼を連れて先生の元へ願い出たのは僕ですので!」
二人そろって頭を下げる。そこまで見せると、生徒会長はやれやれといった様子でため息をついた。
「頭を上げて」
会長にそう言われ、二人は頭を上げる。見上げた拍子に映った会長の表情は、怒りや悲しみなどとは、ほど遠いくらい安らぎに包まれていた。
「そういった経緯があるにしろ、あなた達が頭を下げる必要はないわ。いえ……むしろこうした状況で何もしないというのは我慢し難いことよね。本当なら、私が先生方と話をしなければならないことなのに……」
予想外の返答に、二人とも顔を見合わせるしかない。彼女が生徒会長として背負っているものは、もはや学生の範疇を超えているのだと、直感で察した。
「あなた達、名前は?」
生徒会長は初めて笑顔を見せると、二人に名を尋ねる
「イチタです」
「カリムです」
「イチタにカリム……ね。私はミレイネ。さっき、先生から連絡がありましたの」
「連絡?」
「ええ、学院内に仕掛けられた危険な魔術。その根源とも言える場所を突き止めたと」
「ほ、ほんとですか?」
ミレイネはこくりと頷く。
「その時にあなた達二人の名前を聞いたわ。協力して欲しいのです」
「協力?」
「二人はもう知っているでしょう? 学院で数人の行方不明者が出たこと」
二人はそれを聞いて強く反応を示す。
「もちろんです。元々、俺達はそのために動いたようなものなので」
「なら、話は早いわね。今から私についてきてちょうだい」
校舎へ戻り、東棟の三階まで一直線に駆け上がる。待機している生徒達と合流するのかと思ったが、ミレイネは教室へ向かうことなくそのまま四階へと上がった。そう言えば、普段の生活で行くことがなかったせいか、四階を調べることはまったく意識していなかった。
四階に着くと、そこは妙な雰囲気が漂っていた。何というか、空気が重い。一見すると、下の階と変わらないはずなのに。この重さは、明らかにただ事ではない。
ミレイネは廊下を歩きながら、ここで起きていたことを詳しく話す。
「先生たちは今、屋上にいます。そこが術式を紐解いた末に見つけ出した。根源たる場所です。ですが、当初の見立てでは違いました」
廊下を歩いて、一番奥のドアを開ける。外から見れば、ただの空き教室のようだが、ドアを開けた先の様子を見てイチタとカリムは驚愕する。
「な、何だこりゃ?」
蜘蛛の巣のように張り巡らされた魔法陣が教室の至る所に青い六芒星が展開されている。まさに、厳重に厳重を重ねた結果だ。
「過剰とは思いますが、念には念を入れてということで。とはいえ、元々ここにかけられていた術式はニセモノだったのです」
「ニセモノ?」
「ええ。大方、私達の目を欺くためのオトリというところでしょうか。それでも何が起こるか分からない以上、こうして対策を施しています。現在、先生方は屋上に仕掛けられた本物の術式を滅却するために力を尽くしてくれています。校舎の中に仕掛けられた術がニセであると判明した今こそ、行方不明になった人達を見つけるために動く時なのです」
ミレイネは強い口調で言い放つ。教師との話の中で出た結論として。十中八九、今回の起きた魔術による学院内の騒動と、生徒行方不明事件は完全に繋がりがある。それは事件が発生した時期を照らし合わせてみれば納得がいく。もちろん、イチタもそれは薄々感づいている。
しかし、一体何をどうすれば……。
悩んでいると、ミレイネは即座にその方法を示す。手順としてはまず、フェイクの術式に残留する術者の魔力をあぶり出す。その後、行方不明者の所持品、もしくは本人の情報から探ることのできる意識の痕跡が、先ほどあぶり出した魔力系統と合致すれば、後はそれを元に追跡すればよい。
これらは追跡魔法と呼ばれ、基礎魔法の中でも最上位魔法とされるらしい。通常の魔法よりも繊細で、術者の神経をすり減らすほどに難易度の高い魔法。そんな魔法を使える彼女のすごさを思い知った。
ミレイネは空中に手をかざす。小さな魔法陣を生み出すと、ゆっくりと教室内を歩き回る。時折手を動かしながら、満遍なく。しばらくして、魔法陣が消える。微量ながらも、魔力の採取は完了したらしい。次は、こちらの番だ。
必要なのは本人と結びつくもの。爪や髪の毛、あるいはその人の所持品。
所持品か……。
二人は懐やブレザーのポケットをまさぐり、彼女から譲り受けたものがないか探す。
「あっ」
イチタは懐に硬い感触を感じた。取り出すと、それは一本のペンだ。先端に小さな羽のついた、可愛らしいデザイン。これは、彼女に文字を教えてもらう際に、渡されたもの。
「これでどうですか?」
受け取ると、ミレイネはまじまじとそのペンを見つめた。そして、静かに微笑むと一言「十分よ」と述べ、早速準備に取り掛かった。
三人は教室を出ると、捜索を始めた。例によって小さな魔法陣を手の中で展開すると、空間に漂う微量の魔力系統の中に彼女の意識が残されていないか探す。これでようやくアリアを見つけることができる。そう、期待に胸躍らせていた時だった。
ここまで快調に事を運んできたミレイネは困り顔で腕を下ろすと、手中の魔法陣を打ち消した。
「どうかしたんですか?」
「痕跡が……途絶えているわ」
「えっ……」
「やっぱり、魔力の量が足らなかったようね」
「足りない?」
「この魔法は、回収した魔力量に応じて探索範囲を広げることが可能なのだけれど、あそこで回収した分はほとんど残りカスみたいなものでしたから……どこかで別の魔力痕跡が見つかればいいのだけれど、あそこ以外で思いつく場所なんて……」
打つ手が分からず、焦りばかりが募る。打開策に向けて悪戦苦闘していると、後ろにいたカリムの助言が、目の前を塞いでいる壁を破る。
「渡り廊下……」
「え?」
「そうだよ、イチタ。渡り廊下で見たあの痕跡なら」
その言葉を聞き、イチタもやっと思い出す。そうだ、どうして忘れていたんだ。痕跡なら、あの場所にもある。二人はミレイネに内容を話し、急いで二階の渡り廊下へと動き出した。
渡り廊下まで来た三人。先を行くカリムがミレイネに具体的な場所を伝える。だが……。
「あれ?」
きれいな床面。あの黒い焦げ跡らしき痕跡はまるで見当たらない。どうして……誰かが気づいて痕跡を除去したのか。当然、その理由はイチタにも分からない。ミレイネはカリムから教えてもらった場所に行くと、その場でしゃがみ、再びあの魔法陣を展開し、床面にかざした。
途端に、ミレイネの表情が変わる。小さな声で「見つけた……」と呟く。その声は確かに後ろにいたイチタ達にも聞こえた。
立ち上がるミレイネ。彼女を信じ、掴んだ痕跡を辿る。
待ってろ、アリア……。
イチタ達はミレイネの後に続いた。東棟へ戻り、二階を下りて一階に向かう。そして、続く先に見えた景色は……。
「ここって……」
なんと、着いた場所は中庭。まさか……。そんな予感だけがざわざわと胸をかき乱す。
ミレイネは歩いて中庭の中央まで行くと、噴水の前で立ち止まる。
「痕跡は、この下に続いている」
間違いない。彼女の言葉により、それは確かな事実として証明された。同時に、胸のざわめきが一層激しさを増す。
そんな……だってここは……この下は……。
嘘であってくれという思い。イチタは一歩一歩、若干震えた足取りで噴水まで歩む。そして、地面に手をついて叫んだ。
「アリア……おい、アリア! 聞こえるか? 返事してくれ!おいっ!」
取り乱すイチタ。ミレイネはそんな彼を優しい声色で落ち着かせる。
「大丈夫よ。少し下がっててくれる?」
素直に言葉を聞き入れ、噴水から即座に離れる。何をするつもりなのか。ミレイネは噴水に向かって手を伸ばし、魔法陣を展開した。
「か、会長」
「すごい……一目しただけでは分からないけど。幾重にも複雑に結界が張ってある。でも、時間をかけて落ち着いてやれば必ず……」
ミレイネは自身の魔法を最大限に発揮し、結界の破壊を試みる。だがその尽力も虚しく、その結界はまるで意思を持つかのように、自分達の侵入を拒んだ。
ーーバチッ!
「うっ!」
「会長!」
背後で見守っていた二人は、ミレイネの元に駆け付けた。何を食らったのか、ミレイネの手元で突然火花らしきものが弾けると、彼女は後方に吹き飛ばされた。
下が芝生でよかった。イチタはミレイネの背を抱えて上体を起こす。
「大丈夫ですか?」
「ええ、平気よ。それにしても……」
これほどまでに強固とは……。一筋縄では突破させてはくれないか。今の現象を目の当たりにして分かる。あそこにかけられているものは、こちらが思っている以上に強力だ。とても回数で押し切れるものではない。
じゃあどうしろと……。ここへ来てまた後回しにするのも癪だ。
……とにもかくにも、まずは彼女を休ませるのが先だ。軽傷とはいえ、放置すれば後々響く。
「カリム、肩を貸してくれ。会長を医務室まで連れていく」
「う、うん。分かった」
だが、二人の心遣いが届くことはなかった。
「会長……?」
ミレイネは一人で立ち上がると、再び噴水の前に向かった。
「何をしてるんですか? 会長」
「私は……生徒会長として、常に生徒の模範であるべきと。ですから、今回の騒動に関してもずっと出過ぎることのないよう、正しい姿勢をとってきたつもりでした」
「やめてください。会長!」
「けれども、本当は違います。私はただ臆していた。ただ怯えていただけです。これまでずっと……」
再び噴水の前に立つミレイネ。
「けれど、今は違います。いえ、今だからこそ……学院のために尽くす時なのです」
そう言って、噴水に手を伸ばした。次の瞬間……
ーードゴォンッ!!!
「「っ!?」」
突然、頭上で鳴り響く爆音。見上げると、校舎の屋上から黒い煙が吹き出ている。
「な、なんですの?」
「なんだ!? 今の音」
「あれは……そんな……」
音の影響で、一時的にたじろいでしまったが、この爆発が何を意味しているのかはすぐに分かった。
三人は顔を見合わせると、それぞれ頷く。そして、急いで屋上へと走り出した。道すがら、教室から出てくる生徒達が目につく。皆、何事かと、音のする方を見続けている。ミレイネは立ち止まり、声を響かせる。
生徒達に退避命令を出した後、脇目も振らず四階へ。そこから屋上へ続く階段を上った。しかし、既に手は回されていた。
ーーバチンッ!
「「うわっ」」
いきなり、見えない壁に激突し、前を走っていたイチタとカリムは吹き飛ばされる。
「なんだ?」
「ここにも結界が……」
ミレイネは魔法で破壊しようとする。……が、噴水と同様、ここに仕掛けられているものも厳重そのものだ。ここを突破できなければ、上の様子を確認しようもない。
ここまでなのか……。あと少しだというのに。
結界は紫がかった半透明で、その先が透けて見える。その事実、見えているのに届かないという、どうしようもない絶望感をイチタに植え付けた。我慢ならなくなり、イチタは助走をつけてその身で体当たりする。
「開けろぉ!」
体が結界に当たる。結界はバチンとノイズのように波打つばかりで、三人をその先へ通すことはない。それでも諦めず、イチタは何度もぶつかる。カリムも途中から加勢するが、まったくもってビクともしない。
ミレイネは床に膝をつき。弱々しい声で「ごめんなさい」と言った。
ーーコツコツ。
「ふぎぃぃぃ」
ーーコツコツ。
「……!?」
何度も体を打ち付け、必死に結界を突破しようとしている彼らにその音は届かない。しかし、後ろで静寂の殻に閉じこもっていたミレイネには、ハッキリとその救いの靴音は馳せ参じていた。
「あらあら、まったく騒々しいですこと……」
ミレイネはゆっくりと、振り返る。場にそぐわない優美な声色は、ようやく彼らの耳にも入る。ミレイネに続きイチタ、カリムも声に誘われた。
「あ……」
そこに現れた人物を見て、イチタは声を漏らす。三人の前に現れた人物。青みがかった銀髪に半透明の豪華な羽織りもの。
そう……彼女は……。
「リ、リーゼリア!」
喜びと驚きの入り混じった声が、四階の通路に響き渡る。
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