第21話

 教室へ戻った後。イチタは、生徒の一人が持ってきた校内の見取り図を元に、それぞれ調べる場所を決めたグループごとに割り当てていく。


「じゃあ、そっちは一階の資料室を……。こっちは二階の教室と、先生は校舎内に限定していたけど念のため中庭も確認しておこう」

「「了解!」」


 生徒達はイチタの指示を素直に聞き入れ、各々指示された場所へと散っていった。


 ガランとなった教室の中。イチタはふぅとため息をついて、適当な席に座り込む。


「大丈夫? イチタ……」


 カリムが心配そうに声をかける。


「ふぅ。何というか……疲れるもんだなこりゃ」

「本当、大変だよね。何も見つからないといいんだけど……」

「え? ああ、うん。それもあるけど……」

「何?」

「いや、何でもない」


 普段の彼ならば、こんな経験をすることはない。ああやって皆をまとめるというのは、どうにも新鮮で、どうにも手のつけようがない。先頭に立つ誰かを、いつも遠くから眺めていただけの自分にとって、この役目は荷が重すぎる。


 今にして思えば、教師からの指示を跳ね除け、こちらの意を通そうとした自分へのバツのようにも感じる。


「僕たちもそろそろ行こう」

「そうだな」


 休んでなんかいられない。早いとこ、アリアを見つけないと。


 二人は教室を出た。


「僕たちは、どこを見て回ろうか?」

「そうだな……三階を重点的調べるのもいいけど、できればその魔術痕があった場所を見たいな」

「そう言えば、先生に聞きそびれちゃったね。まぁ、聞いたところで教えてはくれないと思うけど」

「とりあえず、手あたり次第調べていこう」

「そうだね」


 二人は駆け出した。


ーー廻りて……参るか……。


「ん?」


 イチタは足を止めた。今、どこかで微かに声が聞こえた。周囲に視線を送るも、誰もいない。


 気のせいか?


 再度、辺りに目を配らせる。しかし、特に変わった様子も、人の気配もない。そうこうしていると、カリムに急かされる。


「どうしたの? 早く行こう、イチタ」

「あ、ああ……」


 気になりつつも、イチタはその場を離れた。


 寮での待機命令が下されている今、三階に人は少ない。二人は目についた空き教室や実習室を片っ端から調べていく。


 しかし、そう簡単に足取りを掴めはしない。入った場所全て、四方隅々に目を通しても、痕跡らしきものはまるで見つからない。


 そもそも、一体誰が何の目的でこんなことをしたのか。こんな面倒事を起こして……何をするつもりだ?


 胸騒ぎが止まらない。とにかく、一刻も早く事態を収めなくては……。


 しばらく後。一通り回って、図書館以外の場所は粗方調べ尽くしたが、特にこれといったものは見つからなかった。とすると、残るは二階か一階……あるいは中庭。いや、待てよ……。


 この学院には東棟と西棟の二つがある。自分達が今いるのが東棟……二階と一階は生徒達が調べてくれているとして……。


「はぁ~」

「どうかしたの?」

「んにゃ、何でもない」


 不覚にも、ため息が出た。こっちの建物を調べ尽くしたとて、学院全体の半分しか終わっていない。こりゃだいぶ骨が折れる。


 この規模の中、教師達はたった数十人ばかしでやろうとしていたのか。通常なら、学院の者総出で事に臨む案件だ。


 となれば、ここはもう一肌脱ぐとしよう。


「カリム、西棟へ行ってみよう」

「西棟? ああ、そうか。校舎はこっちだけじゃないもんね」

「一年で、魔法基礎学を学んでる俺達にはあまり縁がない場所だけどな」


 二人は西棟へと向かった。二階へ下り、西棟へ続く道を駆ける。


「待って!」


 その道中、カリムが強い語気でイチタを呼び止めた。丁度、東棟と西棟を繋ぐ渡り廊下の地点で、二人は足を止める。


「どうしたんだ?」


 イチタが尋ねる。が、カリムは何か一点を見つめたまま彼の言葉を素通りする。まるで耳に届いていないように感じた。


 いつになく真剣な面持ちのカリム。渡り廊下の中心まで歩くとその足元の床を指差した。


「見て、イチタ」


 示された場所に視線を送る。彼の指差す場所には小さな黒いシミができていた。


「ただのシミじゃないか。これがどうかしたのか?」

「僕、魔法の実力はまだまだだけど、知識には自信があるんだ。これは魔術の痕跡だよ。残っているのはとてもわずかだけどね」

「え?」


 こんな、何気ないただのシミが……。にわかには信じがたいことだった。だが、よくよく考えれば不自然なシミだった。これだけ清掃の行き届いた麗しい校舎の中、渡り廊下という学院のシンボル的な場所で、掃除を担当する者がこのシミを見落とすだろうか。


 もちろん必ずしも気が付くとは言い切れない。事実、イチタはカリムに指摘されるまで気が付かなかった。


 渡り廊下の中央に残されたシミ……いや、シミというよりは焦げ跡のようにも見える。


 焦げ跡……。


 その時、イチタの頭に蘇る記憶。


『ただの焦げ跡に見えるけど、確かに感じる……魔物の気配』


 あの時、王都でセリカが口にしたセリフだ。彼女の見立てでは、あれは間違いなく魔術の痕跡と断定していた。その時見たのも黒い焦げ跡……。


 眠っていた記憶と合致する、眼前の事象。我も我もと押し寄せてくる数多の可能性に思考が追い付かない。


 その後のカリムの説明の中で、新たな情報を得る。魔術痕の形態にはいくつか種類があるものの、半数はこういった焦げ跡タイプらしい。今後、痕跡を探す上で大きな軸となる情報だ。


 痕跡があったというとこは西棟で……いや、この渡り廊下で何かあったのかもしれない。


 できれば、何もないといいのだが……。


 心の内でそう思いつつ、イチタは西棟に足を踏み入れた。


 西棟もまた、閑散としている。待機命令が出た以上、残っている生徒がいなくて当たり前か。


 ざっくり下見して、明かな異変がなければ後回しでもいい。東棟が終わった後、皆を連れて再度入念に調べよう。


 二人は適当な教室に入る。そこは東棟の教室とは一風変わっていた。あちこちに並ぶ器具や小道具の数々。どこかシェニの研究室を彷彿とさせる。


「すごい充実した設備だな」

「西棟はほぼ実習がメインだからね。座学も重点的やる魔法学と違って、ここは主に錬金術を学ぶ生徒が使用しているんだよ」

「なるほど。じゃあなおさら、魔法学を選んでる俺らがお世話になることはなさそうだな」

「いや、そんなことはないよ」


 イチタの出した結論に、カリムは反論する。


「というと?」

「二年生から受講する波動魔法基礎では自然治癒力や運動能力を向上させる術を学ぶからね。そこで、魔力の流動を促すための霊薬を作ったりするんだよ」

「へぇ」


 西棟は西棟で、東棟とは違った目新しい部分が多く、色々と勉強になる。しかし、大まかに見た感じでは痕跡らしきものは見つからなかった。


 焦ってこっちを調べに来たのは早計だったか? 東棟を入念に見てからでも遅くなかったのでは……などと思ったりもしたが、西棟へ出向く選択をしなければ、この段階で渡り廊下の痕跡を見つけることはなかったかもしれない。むしろ良い判断だ。


 そろそろお昼だ。調査を開始してから結構な時間が経つ。一度生徒達の様子を見に行くか。







 学院のとある一室にて。数人の生徒が向かい合っていた。


 窓側に背を向け、神妙な面持ちで机上に目を凝らす一人の女生徒。長いおさげ髪に、凛々しさ溢れる眼差し。他の学生と同じ制服を着用していながら、振りまくオーラからは気品と聡明さが感じられる。


 そんな彼女と、机を挟んで相対する生徒二人。部屋の空気はどこか重く、楽しくお喋りといった雰囲気ではない。


「ミレイネ会長……オレ達も行きましょう」


 右隣の男子生徒がそう呼びかける。


「私は……行けないわ」

「どうしてですか? 学院のために我々が今動かなくてどうするんです?」

「学院内では現在、多くの生徒が事件の解決に向けて動いてくれていると聞きます」


 男子生徒の横に立つ女子生徒も合わせて言葉を投げる。


「そのようね……ハァ」


 ミレイネは分かりやすく頭を抱えた。


「なら尚更、オレ達生徒会も向かうべきでは?」

「だめよ」


 その提案をミレイネは一蹴する。


「なぜなんですか? 会長!」


 男子生徒も我慢ならなくなり、丁重であった声色も徐々に強みを増す。


「私達生徒会はこのルストーレ学院の生徒として、常に他の生徒の模範でいなければなりません。先生方から詳しい話を聞くまで、私はここにいます」

「会長は、学院の生徒の中でも特に優れた魔法の腕をお持ちです。あなたがその気になれば、今回の騒動の解決に飛躍的に近づきます。それでもあなたは、行かないというのですか?」


 身を乗り出して机に両手をつき、ミレイネに詰め寄る男子生徒。しかし、そんな彼の熱い心意気も虚しく、ミレイネは彼から目線を逸らして己の変わらぬ意を示した。


 彼女の確固たる意思を読み取り、男子生徒はため息をつくとそのまま部屋を後にした。去り際、「会長がそこまで頑固者だとは思いませんでした。失礼します」と言い、部屋の外に出る。


 部屋に残された女子生徒とミレイネ。ミレイネは生徒会長として、正しい選択をしたつもりでいたが、彼が去った後もその表情はどこか物憂げで、迷いがあるようにも見えた。


 

 東棟に戻ったイチタとカリム。渡り廊下からそのまま手前の空き教室から順に彼らの様子を見て回る。気のせいか、前より人が増えているような……。


 廊下ですれ違う生徒を見ながら、そんなことを考える。


 教室に入ると、複数人の生徒がいた。イチタに気づくと皆駆け寄ってそれぞれ報告。


 彼らがチェックした限りでは、痕跡らしきものはなかったという。その後も、同じように二階を担当していた他の生徒にも聞いて回ったが、問題ないみたいだ。


 これで東棟の二階も異変らしきものは見つからなかった。本当に問題がなかったのなら、それでいい……。ただ、何か大きな見落としをしていたとしたら、気づいたときには後戻りできなくなっているかもしれない。


 そう言えば、中庭の方はどうなっているだろう。念のため調べておくように言っておいたけど、やっぱり杞憂だったか?一階の前に、先に様子を見に行くか。


「カリム。先に、中庭の方を確認したいんだが……」

「うん、それでいいよ」


 中庭まで行く途中、空き教室前で話し込む生徒の会話がふと耳に入った。


「ホントだって~」

「まっさか~」

「ウソじゃないよ。実際に見たって人が何人もいるんだよ。廊下を歩いてるとどこからともなく声が……」


 イチタは足を止めて振り返る。


「声……?」

「イチタ?」


 突然足を止めた彼を見て、カリムも思わず立ち止まる。


 吸い寄せられるように、イチタは二人の生徒のところに行く。


「もぉ~信じてよぉ」

「イマドキそんなの流行んないって」

「ちょっといいかな?」

「わわっ、びっくりした!」

「おう、大将。こっちも念入りに調べたけど、特になんもなかったぜ」

「え? ああ、ありがとう。それより、さっきの話」


 二人の生徒は顔を見合わせる。


 片方の女子生徒から、その謎の声についての情報を聞き出す。


 聞けば、それは学院の七不思議の一つのようなものらしい。夕暮れ時の校舎の中を歩いていると、どこからともなく声が響く。声に誘われるまま進んでいくと、忽ちその者は姿を消してしまうという。


 何とも単調で、この類の話にしてはどこの世界でもあるようなベタな内容だ。でも……でも万が一。


 それがただの七不思議ではなく、本当にある出来事だとしたら……。


 単調でごくありふれたもの……そんな垣根など簡単に取っ払えるだろう。


 イチタはその現象に出くわすための条件や方法がないかを尋ねた。


 だが、女子生徒が知っているのは、あくまでそう言う話を聞いたということだけで、それ以上のことは分からないそうだ。


 それでもなお食い下がり、せめてそのに関連がありそうな話を他に知らないかどうか尋ねた。


 女子生徒はしばらく唸っていたが、突如何か思い出したように顔を見上げた。


「あっそうだ! アレがあった」

「アレ?」

「これも学院に伝わるお話なんだけどね。言葉遊びに沿って導かれた通りに進むと、その人の望むものが手に入るってやつ」

「あっ、オレも聞いたことあるぜ。その手の話が好きな先輩に付き合わされてさぁ。こっちは全然興味ないってのに」

「その言葉遊びって、どんなの?」

「えっと確か……」



 『水面に映りし、月の影』


 『羅針が示すは叡智の方舟』


 『西の故郷へ思いを馳せて』


 『凪のゆりかご、夢見て導く』


 『虚の門へと手を伸ばし』


 『旅路の果てに、廻り合う』



 ……ふむ。


 パッと聞いた限りでは、何のことやら……。後で一文ずつ解読する他ないな。


「それが願いを叶えるための道標になると?」

「ただの言い伝えだけどね」


 これが三階で聞こえた声と関係しているかは分からないけど、試してみる価値はある。


「そう言えばここ、前より人が増えた気がするんだけど」


 こうしてやり取りしている間にも、背後には多くの生徒が行き来している。


「あっ、そうそう。オレ達がこっちで頑張ってるって話を聞きつけて、寮で待機してた奴らも駆けつけてきてくれたんだよ。おかげで調査がより捗るぜ」


 男子生徒が嬉しそうに教えてくれた。


「そうだったのか」

「ねぇ、イチタ」

「おっと、ごめん。今行く」


 話し込んでいたせいで、カリムを待たせてしまった。遠くから子犬のように見つめてくる。


「ここももうすぐ片付くから、終わったら下の方を手伝いに行くよ」

「よろしく頼むよ。あっ、いろいろ教えてくれてありがとう。それじゃ」


 生徒に礼を述べ、中庭へと急ぐ。

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