第10話
薄気味の悪い森の中。一人の少年と、三人の男たちが足場の悪い道を突き進む。男たち三人は額に汗をたらし、随分と不機嫌そうに大自然を闊歩する。三人の後ろをとぼとぼとついていく少年は辺りをキョロキョロと見回し、どこか落ち着かない様子だ。傍目に見ても、和やかな空気でないことは明らかだ。
「くそう。なんだってこんな森ン中……もうだいぶ歩き回ってんのに肝心の村のもんは全然見つかりやしねぇ」
頭にバンダナを巻いた先頭の男がグチをこぼす。
「まぁ、そういうなって。あんまり喋ると余計に疲れるだろ?」
ツンツン頭の一人がバンダナ男に言ってのけた。
「そもそもお前が調子乗って行方不明になった奴を探してやるなんて言わなきゃ、こんなことにならなかったんだ!」
「なっ、俺のせいだってのかよ!」
「ああ、そうだよ! 全部オメーのせいだ!」
「なんだとっ、この野郎! だいたい村人を見つけたら報酬くれるかもなんて浮かれてたのはてめーのほうだろ!?」
「やめろ、二人とも!」
腰に短剣をさした細身の男が、前を行く両者のケンカを止める。バンダナ男は怒気を飲み込んだが、漏れた鬱憤の矛先は最後尾を歩く青髪の少年に向けられた。
「ちっ……おいアルフィン! グズグズするな!」
「は、はい!」
男の一喝にアルフィンは肩をすくめ、荷物を背負い直すと小走りで駆け寄る。
「ん?」
先ほどまで声を荒げていたメンバーの一人が何かを見つける。目を凝らすと、前方に一際目立つ植物が生えていた。幾千もの細長い茎が一本の太い幹をあみかごのように取り囲み、そこから伸び出た茎の先にこぶし大程の果実がなっている。
それを見つけた男たちは上機嫌で走り寄る。
「うっひょ~コイツはついてるぜ。丁度喉を潤したいところだったんだ!」
皮も張りがあって、一口かじれば果汁が溢れそうだ。散々歩き続けた彼らを喜ばすには十分な代物である。そう……たった一つの懸念点を除いては。
そのことにいち早く気づいたのは、あの青髪の少年だった。
「あ、あの! ちょっと待ってください」
「あ?」
大きく口を開け、今まさに胃の中へ放り込もうとしている彼らを呼び止めるのは心臓が止まる思いだっただろう。ただ、これだけは伝えておかねばならないと少年は声を張り上げた。
「その果実、食べないほうがいいかもしれません」
「はあ?」
彼の忠告に、三人の男たちは皆怪訝そうな表情をする。
「いえ、何というか……その、上手く言えないんですが、とにかく食べないほうがいい気がするんです。この森に自生する動植物を把握しきれてない以上、うかつに手を出すと危ない気が……」
アルフィンの言う通り、男たちの手にある果実はまだら模様に青と紫の入り混じった何とも言えない毒々しい色合いをしている。まるで一種の警告色のようだ。普通に考えれば、そう易々と口にしていいものではない。だが、彼の忠告に男たちの声色が変わった。
「おい……テメー、いい加減にしろよ」
「ひっ」
バンダナ男は低い声でアルフィンを威圧する。彼の胸ぐらを掴むとツバを散らす勢いで激しく怒鳴りつけた。
「なんでテメーに指図されないといけねぇんだ!? お望みならさっきの湖でお前を釣り餌代わりにして魚おびき寄せたって良いんだぜ?」
「す……すみません」
アルフィンは涙目に何ながら許しを乞う。流石の男もこれ以上の詰め寄りは無駄と理解したのか、舌打ちをしながら半ば突き飛ばすようにしてその手を離した。
「おやっさんがどうしてもって言うから冒険に不慣れなお前を連れてきてやってんだ。もう余計な口出しすんじゃねーぞ」
「は、はい……」
三人は果実を手に近くの木根に腰かけると、大きな口を開けて果実をほおばる。シャクっと心地良い音色が響く。ムシャムシャと笑みを浮かべながら咀嚼を繰り返す三人の男。
「うおっ、中々いけるぜこれ!」
「少し味が薄いけど、瑞々しくて最高だな!」
そのまま平らげてしまうと、三人は満足そうに息をついた。アルフィンは反対の根に座り、その様子を心配そうに眺めている。飲み水も限られている今、できることならここで補給しておきたいのは事実だ。しかし、彼の奥底に眠る本能的な危機感が目の前の果実を口にするのを拒んだ。
予期せぬ報酬に、身も心もリフレッシュしたバンダナの男は上機嫌で立ち上がる。
「よぉし、んじゃそろそろ出発するか!」
「ん? お前、その肩についてるのなんだ?」
「え?」
短剣男が彼の肩を指差す。見ればバンダナ男の肩から、小さな茎が伸び出ている。
「なんだこれ?」
男は茎を指でつまみ、引き抜こうとするも、しっかりと肩に根を生やしどうにも取り去ることができない。
「どうなってんだこれ……がっ!?」
バンダナ男は苦悶の表情を浮かべると、反対の手で茎の伸び出た肩を押さえた。
「あっ……がっ……」
「お、おい! しっかりしろ!」
仲間が心配そうに声をかけるが、その声は男の耳には届かない。
バンダナ男の目は血走り、悶え続けた結果口から泡を吹く。次の瞬間、肩から芽生えた小さな茎はみるみるうちに成長し、伸びた一本のそれは次々と枝分かれしていく。
「た……ず……げ……」
血管が浮きあがり、徐々にバンダナ男の体が干からびていく。茎は急速に伸びながら男の体を覆い包むように広がっていく。男は救いを求め、必死にもがきながら手を伸ばした。だが、茎はおかまいなし成長し続け、ついに彼の全身を覆い尽くす。
その一部始終を見ていた他の二人は恐怖のあまり声を振るわせる。だが、悲劇はまだ終わらない。
「がっ!?」
「どうした!?……うごっ」
ツンツン頭の若者、そして短剣男も同様、えずくような声を上げ、その身に起こった異常を訴える。
二人の男はバンダナ男と同様、それぞれ腕と首に蔓を生やし、時を待たずして彼と同じ運命をたどった。
最終的には、あの果実を実らせた植物と同じものが三つ、ただただその場に並んでいた。
干からびた胴体はそのまま地面と同化して根に、四肢は幹となって、新たな葉を生い茂らせた。
「あ……ああ」
三人の体は、植物の養分となってあっけなく消え失せた。
たった一人残されたアルフィンは頭を抱え、地面に膝をついて涙を流す。その涙が何からくるのかは分からない。
改めて、森の恐ろしさを垣間見たことによる恐怖か、それとも邪険にされながらも一度は同じ志を持った仲間を失ってしまったことによる悲しみからか……いずれにしろ、アルフィンはこの底知れない異様な森の中を一人で突き進まなければならない。
皮肉にも、彼の絶望とは裏腹に目の前の寄生植物は活き活きとした青紫色の花を咲かせている。
これから彼はどうすればいいのか、疲弊した体をなんとか奮い起こして深呼吸する。
荒ぶる気持ちを落ち着かせ、道を切り開く方法を考える。そんな微かな希望が彼にはあった
しかし、大自然の脅威は彼に休む時間を与えない。
薄っすらと灰色の霧が立つ。アルフィンは周囲を警戒する。
何だろう……この音。
何かを這いずる音。
木々の隙間から、音もなくのっそりと現れる黒い物体。
人手もなく、獣でもない。まるで流動体のようなそれは、カメのような速さでゆっくりと彼に近づく。
脈打つ鼓動。
再び彼の中の本能が呼びかける。
今すぐ逃げろと。
◆
森の中に入り込んだイチタとセリカ。慎重に、かつ綿密に内部を観察する。今のところ、これといった異常はない。今のところは……。
さて、満を持して乗り込んだまではいいが、ひとまずは冷静に村人を捜索する上で手がかりとなるものを探そう。闇雲にただ歩き回って無為に時間を食いつくすのだけは勘弁だ。
目視、におい、音。五感を使って村人の行方をたどる。この場所、前回迷い込んだ森と比較してもこれといった大差は見受けられない。強いて言えば、空気だろうか? こっちの方が幾分かジメっとしているようにも感じられる。
セリカはどうだろう。彼女もまた、注意深くあちこちに視線を送っている。
「イチタ、あれ見て」
彼女が指で示す方向を見る。
「あれは……」
道の先に、荷車が倒れているのを見つける。近づいて確認する二人。
倒れた荷車。車軸は折れ曲がり、車体にはキズがついている。何かのひっかき傷のようだが、厩舎で見たものとは違う。キズとほぼ同じ場所に付着した血の痕。同じだ。
轍は車輪から数メートルのところで消えているも、イチタ達が来た方向に伸びている。おそらく、行方不明になった村人が置いていったもので間違いはないだろう。この森に入るのは村の薬草取りぐらいだって話だからな。
これだけ見たら、村人はこの場所で魔物に襲われ、身の安全を第一にこれを残し逃げていったと推察できる。周囲に遺体が確認できないことからも、そう読み取るのが妥当だ。
けど、なんだろう。この違和感。立てた予想とは裏腹に、本当にそれだけかという疑念。ひしひしと湧き上がってくる。
もっと調査が必要だな。
二人はさらに森の奥へ……。
せっかく見つけた手がかりも、結局ただの痕跡に過ぎない。あれだけではまだ足りない。せめて村人がどっちの方向に向かったのかだけでも知ることができれば……。
「ねぇ、イチタ」
「ごめん、今ちょっと考えてるからまた後で……」
「いや、そうじゃなくて」
「え?」
「足」
「足?」
セリカは目線を下に向け、イチタの足元を指差した。見ると、彼の足首に何か蔓のようなものが絡まっている。歩いている最中に引っかかったのか?
そう思った次の瞬間。蔓の絡みついた左足がグイッと引っ張られる。
「うわああああああっ」
ふわっと浮遊感を感じると、気が付けば天と地が真逆になっていた。
何が起こったのか分からず、必死に視線を泳がせる。直後、自分の視界にフレームインしてきた巨大な口。
獣か……いや、口のように見えたそれはよく見ると五つのパーツに分かれ、その内側の表面には無数の棘がびっしりと生えている。
所謂、食虫植物というやつだ。この場においては、食人植物と言うべきか。開いたのは口ではなく、花弁。ただそれは、花と形容するにはいささか強引ではある。
粘液を滴らせた怪物の口が近づく。
「ぎゃああああああああああっっっっ!!!」
イチタは足をジタバタさせながら脱出を試みるが、無駄な抵抗である。
ーーズバッ。
あと少しで飲み込まれそうなその時、何かを斬り裂く音と共に本日二度目の浮遊感。
地面に衝突することもなく、イチタは真下で待機していたセリカに悠々と受け止められる。後に続いて、バラバラになった巨大植物がボトボトと地面に落下する。
「おかえり」
「た、ただいま」
彼女の腕の中で、仰向けになりながら硬直したままのイチタ。生きた心地がしないとはよく言ったもの。再び歩き始めてからも、しばらく足元から目が離せなかった。
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