平穏な日常

 私がバルコニーの手すりに乗り出して下へ視線を向けると。

 そこには壁際に追い詰められている小柄な水竜族の男の子が、三人の同じ水竜族に囲まれていた。


「やーい、弱虫トリス!」

「悔しかったらやり返してみろよ!」

「なんでお前みたいな弱虫が、巫女の従者なんだよ!」


 三人のうちの一人が肩を思い切り強く押して、小柄な水竜族の男の子は押されるままに尻もちを着いた。

 ────アイツらっ!

 私の体はとっくに手すりを乗り越えて宙を舞っていた。

 私はテラスから飛び降りて、スタッと地面に着地しながらいじめっ子達の背後を取ると代わりに答えてやる(ん? 足は大丈夫かって? 身体に魔力を通せば、二階から飛び降りるぐらいへっちゃらよ)。


「トリスはアンタ達みたいなくだらないことをしないからよ」


 急に背後に現れた私の存在に三人はバッと振り向く。

 小柄な水竜族の男の子──トリスを取り囲んでいた水竜族のいじめっ子達に睨みを効かせる。


「な──、シャスカ様!?」


 途端にいじめっ子どもが狼狽した様子を見せるものだから私はせせら笑った。


「あら、私には敬意を払うのね? なら、私の従者のトリスにも敬意を払ってくださる?」


 ロマ仕込みの嫌味を炸裂させる。こういう時ロマのやり口を真似すると大体いい感じになるのだ。

 正論をネチネチと並べ立てて論うの(私だってロマの言ってることが正論だってことは分かってるわ!)。


「おい、まずいって」


 狼狽してるいじめっ子どもはお互いにオロオロと顔を見合わせてばかりで、どうするかを決めあぐねてるみたいだった。

 でも、お生憎様。貴方たちにかかずらっていられるほど暇じゃないの。


「何がまずいのかしら? もう式典も始まる頃だし時間もないし、──とっとと失せなさい」


 声音に思いっきり棘を込めて言い放つと三人の顔は一斉に青ざめた。


「──っ! おい、行くぞ」

「くそっ」


 そんな捨て台詞を残して、三人は散り散りになるように走り去っていった。その小さくなる背中を私は遠慮なく睨みつける。


「『くそっ』はこっちの台詞よ」


 こんな言葉遣い、ロマが聞いたら「なんて口をきくんですか! 慎みなさい!」って絶対怒るだろうけど、いないから無問題だ。

 それにロマだってこんな場面に出くわしたら私よりもっときっと怖い。

 嫌味ったらしいけど、多勢に無勢なイジメを許すような竜じゃないことぐらい一緒に暮らしてるから知ってる。


「シャスカ……、ごめん」


 いじめっ子はいなくなったっていうのに、トリスはまだ表情が晴れないままで。

 トリスに謝られるものだから私は驚いてしまう。


「なんでトリスが謝るのよ」

「僕、従者なのに。弱虫で」


 そうそう、アイツらも言ってたけどトリスは私の従者なの。ええと、なんでも普通は巫女には近衛騎士がつくならわしなんだけれども、お母様が早くに亡くなって幼くして巫女になった私のためにロマが特例で同い年の水竜族の男の子を従者につけたんだとか。

 それがトリス。

 けど、大人しいのがいけないのかなんなのか、トリスはよく同じ水竜族の同年代の奴らに因縁をつけられてる。

 その度に私が追い払うのがいつものことなの。


「言われたこと気にしてるの? 言わせとけばいいじゃない」


 あんなの、ただの僻みやっかみよ。

 トリスが私の従者に選ばれたことが羨ましいだけ。


「でも、僕も思うから。もっと他の人が従者の方がいいんじゃないかって」


 だけど、私の言葉にもトリスはまだ元気をなくしたまま尻餅をついたまま俯いている。

 確かに、トリスは特例の存在だから気にするなって言われても急には無理なのかもしれない。色々考えちゃうことがあるのかもしれない。

 けど、それなら私は主人として伝えないといけない。


「そんなことないわ」


 私の否定の言葉にトリスは俯いていた顔を上げた。


「だって、トリスはいつも側にいてくれるもの」


 そう、トリスはいつだって側にいてくれた。

 それはトリスが従者に選ばれたからだけれど、だとしても。


「勉強の時も巫女の修行の時も一緒にいるのなら、仮に強くてもあんな意地悪な奴らより、優しいトリスの方が私はずっといいわ」


 さっきの面々の顔を思い浮かべる。

 気に食わないからって三対一で詰め寄るような奴らと、自分は従者に相応しくないのかもしれないって思い悩んでるトリス。

 うん、断然トリスの方がいい。

 私の心からの本音だった。きっとロマだってそう思ったからトリスを選んだに違いないわ。

 私はニッコリ微笑んで座り込んでいるトリスの手を取った。

 その手に手を重ねる。


「ね? 私の従者はトリスじゃなきゃ嫌。逆にトリスは私が主人なのは嫌?」

「嫌なわけないよ!」


 トリスは私の言葉に慌てるようにブンブンと首を振りたくって、その勢いがあまりにすごいものだから私は吹き出しそうになるのを堪えた。

 トリスはすっごくいい子なのだ。


「なら、今のままでいいじゃない」


 トリスの返答に笑みを深めながら私は繋いだ手を引いた。


「ほら、立って」

「ありがとう」


 トリスは私の手を借りて立ち上がると、お礼を言ってズボンの土汚れをパッパっと払った。


「うん、やっぱり言われるならごめんよりありがとうの方がいいわね」


 もう大丈夫そうだと判断した私は胸を撫で下ろして安堵の息を吐いた。これにて一件落着。

 …………あ。


「シャスカ?」


 私が微妙な表情を浮かべてることに気がついたトリスは首を傾げる。

 私はあることに気がついてしまったのだ。

 うん、トリスは悪くない。

 私も、いじめっ子を追い払ってただけだし、アイツらが悪いってことにならないかな? 

 ……ならないよねえ。

 なんて、思ったところで。


「シャースカー! どこにいるのです! いないじゃないですか! もうとっくに時間過ぎてますよ!!」


 ロマの声だった。声にイラつきが混ざってる。

 うん。とっくに十分は過ぎてる……でしょうね。

 頭に過った不安はそのものズバリで的中した。きっとお小言は免れない。

 私は肩をすくめてペロっと舌を出して見せるとトリスはクスッと笑った。ま、トリスが笑ってくれるならいいや。


「行きましょ。意地悪ロマにまたネチネチ言われちゃうわ!」

「うん!」


 元気になったトリスは勢いよく頷いてくれて。

 私とトリスは手を繋いで一斉に駆け出した。


 ……この時までは。

 今日もいつも通り巫女としての務めを果たし、ロマとなんやかんや口喧嘩しながらも時間が経ってなあなあにして、トリスにロマのお小言の愚痴を聞いてもらったり、いじめっ子を追い払ったりして、そうしてまた次の日も巫女としての務めを果たしていく──。

 そんな日常がいつまでも続くんだと、この時はまだ思っていたのだった。

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