第2話 難読和歌の解読

額田王。

生没年不詳。万葉集には、長歌三首、短歌九首が載る。ほとんどの歌は読み方が決まっているが、一巻、九番の歌については、未だ読み方の定説がない。


万葉集1-9

「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立爲兼五可新何本」


 若い頃は、自分が読み方を確立してやる、と燃えたりもしたが、古今の研究者が議論し尽くしても決まらないものを、たかが学生一人が覆せるわけもなかった。日々に埋もれ、いつしか自分自身でも忘れ去ったままになっていた。まさか、また、思い出す日が来ようとは。自分でも驚きだ。

 今やインターネットという武器を手にした自分にとって、わからないことなどもはやないように思えたが、事はそう簡単には運ばなかった。過去の研究や文献にアクセスするのは簡単になったのだが、なかなか新しいものに行き当たらない。

「お、これは昨日見た、新しいやつだ。」

 初めの「莫囂」の二文字、「莫」は「なし」、「囂」は「騒がしい」なので、漢文的訓読で「騒がしくない」「静か」という意味ではないか、という説があった。数人、記述している人が見つかるので、割と支持を得ている説かもしれない。

 この歌が詠まれた時期、都で有馬皇子という皇子が謀反を企て、それを、時の権力者の中大兄皇子が処罰した、という事件があった。謀反を収めたから「静かになった」というのも納得がいく読み方だ。ただ、残念ながら、この説の二句目の読み方は、どの人の読み方もしっくりこなかった。

 検索して分かりそうなのはここまでかな、と思った。この後どうするか。

 …結果、その日は寝てしまった。

 

 次の日も、帰宅してからはいくつか検索してみたが、やはり有用な情報は見つからない。

 昨日はここであきらめたが、今日はさらに強力な武器がある。

 そう、生徒たちからヒントを得た、「チャットさん」だ。

 最近の学校では、いじめアンケートなるものを実施している。その項目の一つ、「嫌なことがあったら誰に相談しますか。」の回答は、以前なら「親、家族」か「友達」と相場が決まっていたのだが(残念なことに「先生」という回答は少数派)、この前のアンケートで、燦然と一位に輝いたのは「その他(AI)」だったのだ。

 話を聞いたら、生徒たちは生成AIに彼氏とのケンカなどを相談するらしい。「チャットさん」とか「ジェミー」とか、相性で呼ぶほど親しまれているようだ。


 前にニュースなどで話題になったとき、アカウントだけ作って放置していたAIのページにアクセスした。「莫囂圓隣歌 読み方」

 おっと、ついスペースを開けてしまった。AIは普通に文章を打ち込めばいいのに、検索の癖がどうも抜けない。ちょっと恥ずかしく思いながら訂正する。

「莫囂圓隣歌の読み方を教えて」

 すぐに答えが返ってきた。

「『莫囂圓隣歌』という表記、ちょっと特殊で文献や辞書に出てこない漢字の組み合わせですね…」

 大したことないなAI、と思いながら、問いを変える。

「万葉集1-9、額田王の歌の読み方を教えて」

「なるほど、引用している『莫囂圓隣歌』の部分についてですね…」

 おお、すごい…前の話の続きで認識するのか。期待しながら続きを見る。

「『万葉集』巻1・9の額田王の歌は、万葉仮名ではだいたい次のような形です:

あをによし 奈良の都は 咲く花の

にほふがごとく 今盛りなり」

 ずっこけた。それは3巻328番、小野老の歌だろうがい。まだ質問の仕方が悪いのか。こうなればとことんやりあってやる。


 その晩から、AIとかなりの時間闘った。悪戦苦闘の日々。だか、負け続けること数日、なんとなくクセもつかめてきた。

 AIは基本的に人間が書いたものを否定しない。そこが相談相手として好まれる理由なのだろう。だが、物事の正誤を判定する場合には、否定されないのは困る。

 考えた末、根拠や正誤の判定を求める場合は検索し、表現が不自然でないかどうかをAIに聞いてみる、と使い分けることにした。


 改めて、検索してもよくわからなかった「大相七兄爪」について考えてみた。

 気になるのは「爪」だ。万葉集で使われる例は少なく、楽器や弓を弾く意味でしか使われていない。縦棒三本の文字なので、何か別の字の写し間違いかもしれない。

 印刷技術がなかった昔の書物は、書き手の写し間違いが含まれるケースがある。読めない場合は、それを疑いながら他の資料の文字と見比べて誤字判定をするのだが、今回はどの資料も「爪」になっている。

 

 …。「爪」は後回しにするとして、次にわかる字を考えよう。

「七兄、と。」

 検索をかけたが、もちろん昔の研究しかヒットしない。「兄」は「せ」で、「あなた」の意味だ。しかしその後に「わがせこが」と三句目が続く。「せこ」も「あなた」。同じ意味の言葉を連続で使うとは考えにくい。

「七、なな、まてよ、ネットでは横書きだけど、本当は縦書きだよな。」

 相の下に七。「く」に横棒…、「心」か?

「相」に「心」で「想」、「兄(せ)」を「想う」のは「妹(いも)」…

「大相七」が「妹」、「兄」が「せ」だとしたら、その下は。

「爪ではなく、山か。」

「山」の字も、縦棒三本と見たてられなくはない。そして「妹背山」なら、現在の和歌山県にある。明日香村から白浜温泉に行くのに、川沿いを通るルートとして組み込めなくはない位置だ。

 そして、額田王が斉明天皇の代読をしてこの歌を詠んだと考えると、地名が入ることはむしろ自然に思える。

「大相七兄爪謁氣」七文字で、「いもせやまゆき」。

 かなりいい感じだ。少し無理がある気もする。

 こういう時こそ、AIの出番だ。

「大相七兄爪謁氣をいもせやまゆきと読むのは不自然?」

「・上代歌では、漢字の象徴的読み+音仮名読みの融合が普通。

つまり、この読み方で「大相七兄山謁氣」は、

 ・音的にも意味的にも、

 ・上代歌として成立する形で「妹背山行き」と理解できる」

 …よし。鼻の穴が膨らんだ。すごいな情報通信技術。そして自分。


 結果、自分の中での読みは、

「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立爲兼五可新何本」は「しづまりし いもせやまゆき わがせこが いたたせりけむ いつかしがもと」。「静かになった妹背山の方へ向かいます。あの人が立っていた厳樫の木の下へ」

となった。白浜温泉から都のある明日香村に帰る時の歌、と思いたい。

 ああ、楽しかった。いつぶりか、なかなか良い時間が過ごせた。満足満足…。


 何度目かの授業の時、生徒が言った。

「先生、前に言ってた万葉集、読めた?」

「……。」

 つい、止まってしまった。解読したら満足してしまって、生徒に伝えるのを完全に忘れていた。

「よくそんなこと覚えてたね。こっちが忘れてたよ。」

「そんなこと言ってるけど、どうせ読めなかったんでしょ?」

 ここは、挑発に乗ってしまおう。

「そこまで言われたら、発表しなきゃならないな!」

ただし、前置きが大事。

「これは先生が勝手に『こうじゃないかな』って思っただけで、本当の正解じゃないからね。」

 と、いうところでチャイムが鳴った。いいところだったのに。

「今日はここまで。次回発表します。」

「気をつけ、礼。」


 教室を出る時、生徒のコソコソ話が聞こえた。

「…絶対読めてないよね。」

「次も忘れたふりするよ。きっと。…」

 絶対忘れないで話してやる、と強く思った。

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