古典を読み解く ~万葉集、難読和歌に隠された予言~

リョウチャン

第1話 難読和歌との再会

「次の時間は、この歌のどれでもいいから、一つ暗唱してもらおうかな。」

 教室が少しざわめいた。ネガティブな空気感。

 一人が、

「こんなの覚えても意味ないじゃん、やめようよ、先生!」

と、言ったのをきっかけに、次々に反対意見を口にする生徒たち。

 チャイムが鳴った。

「時間になったから、振り返りは後で書いといて。じゃ、終わり。」

あきらめの声をもらしながら、日直が小声で号令をかけた。

「気をつけ、礼。」


「覚えても意味ない、か。」

 確かに、万葉集の歌の読み方を覚えていても意味はない、というのもわかる気がする。そもそも古典自体が、「社会に出てから役に立たない教科ランキング」では常に一位、二位を争っている。ライバルの「漢文」も広い意味では古典の一部なので、つまり常に役に立たない教科一位だと言ってもいい。

 それはさておき、特に万葉集の歌は特殊だ。平安期以降の和歌とは違い、漢字のみの表記。読み方は、研究者が後からつけたもので、読まれた当時にどう読まれていたのか、タイムマシンでもない限り知る由もない。研究者によって読み方が違う歌も多く、今だに有力な読み方が決まってない歌だってある。

 暗唱は、なんとなくできてればよしとしようかな。廊下を歩きながら、そう思った。

 でも、懐かしい。学生の頃、一度難読和歌の解読にハマった。次の授業で、ちょっと振ってみようか。誰か、解読してくれたりして。


 「前の時間に言った通り、暗唱をやります。ペアになって選んだ和歌を暗唱しあってみて。」

 意外にも、生徒たちは乗り気だった。この前のネガティブな雰囲気は微塵もない。とはいえ、全部暗唱できる生徒は少なく、途中まで言って交代し、やり直しをしながらなんとか上の句を暗唱し、他の歌の下の句と混ざり…。笑い合いながら。

 まあ、話を聞いてノートを取るだけの授業よりは楽しいのだろう。

 この時間の学習内容は別にあるので、タイマーをかけ時間を切った。

 生徒の中から、

「先生、次の時間は全部覚えてくるよ!」

「俺、今日のやつ全部覚えた。」

と、声が上がった。よし、ここが話の振り時。

「実は、万葉集の和歌は、みんなが覚えたのとは違う読み方もあったりするんだ。」

 タイミングには自信があったのだが、生徒たちの反応は微妙だった。何言い出したの、という感じ。だが、ここまで言ったら後には引けない。

「全部漢字で書いてあるから、学者さんがみんなで読み方を考えたんだ。だから、今だに読み方がわからないやつもあったりする。」

 反応は薄い。こういう時は普通に授業を始めるに限る。そう思った時、

「はい!」

自由発言が多い学級で、珍しく挙手。

「今でも読み方がわからない和歌ってどんなのですか?」


 来た!待ってました、その反応。

 教師用端末で早速検索。確か、9番、額田王の歌が難読で有名だったはず。

 検索結果はすぐに出た。ラッキー。まだ読みの定説は定まっていない(とwikiが言っている)。

 「めっちゃ難しい漢字が並ぶけど、書いてもいい?」

 書く気満々で生徒に聞く。頷く生徒、もう全然別の私語をしている生徒。反応を良い方に受け取って、黒板に文字を書いた。

「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立爲兼五可新何本」

「何それ。」

 みんな笑った。私語をしていた生徒も、黒板を見て笑った。

「読めねー。」

「二文字目、なにあれ。」

「知らない字あるし。」

 よしよし、思った通りの反応。

「これさ、三句目から先は読み方あるんだ。初めの二句の読み方がわからないの。」

「先生なんでそんなの知ってんの?」

「今、調べた。」

と、教師用端末を見せる。

「それと、学生の時、古文の専攻だったからね。」

 生徒の一人がぼそっと言った。

「無理矢理でもいいから、読んでよ。」

 そういえば、学生時代も無理矢理でも読んでやろうとか考えてたな。でも、今は大人だから。

「うーん、いい加減なこと言って、みんながそれ覚えちゃったら大変だから、やめとくよ。みんな、覚えるの得意そうだからな。」

と、適当なことを言って、この話を終わりにした。

 その後の普通の授業では、生徒のテンションはダダ下がりだったが、いつも通りに戻っただけなので、気にしないことにした。


 読めない和歌。黒板に書いたのは、有名な万葉集九番、額田王が詠んだ、通称「莫囂圓隣歌(ばくきょうえんりんか)」とか呼ばれる歌。

 原文は、

「幸于紀溫泉之時額田王作歌

莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立爲兼五可新何本」

 最初の十二文字は、歌の説明。「紀の温泉に行った時、額田王が読んだ歌」というような意味で、その後が和歌の部分になる。その読み方については、多くの学者・研究者がいろんな読み方を主張しているのだが、今一つ定まっていない。おそらく短歌なのだろうということと、第三句以降のおおよその読み方は定着している。

「○○○○○ ○○○○○○○ わがせこが いたたせりけむ いつかしがもと」というのが一番有力なものだ。

 初めの二句は五、七音が基本。その部分の漢字の文字数も五、七文字なのですんなりいきそうに思えるが、漢字の音読みが一文字一音にならない文字ばかりでどうもうまくいかない。


 家に帰って、早速検索をかけてみる。学生時代と違って、重たい本を奥から引っ張り出してこなくても調べられるようになったのは素晴らしいことだと思う。ネットの威力には感服する。

「万葉集 九番 額田王」

 色々な検索結果を読み漁った。ブログ系には、作成者の推しの読み方が色々出てくる。wikiには、研究者の名とともに、その人の読み方が載っている。有名な人が多数。本居宣長、賀茂真淵、上田秋成、水戸光圀も。学生時代にこれを知った時ちょっと笑った覚えがある。「黄門様、勉強してる!」って。

 昔はなかった読み方が見つかった。「莫囂圓隣之」を「しずまりし」と読む。なるほど、「莫囂」は「莫」が「ない」という否定、「囂」が「さわがしい」という意味の感じなので、つなげると「騒がしくない」という意味の漢語になる。なかなか納得できる読みだ。

 …こういうことしている時間は、やはり楽しい。学生時代もそうだったな。

 その後も、かなりの時間、夢中になって調べた。それはもう、翌朝はとても眠たかったのなんのって。生徒には「夜遅くまで動画見てないで寝なさい」とか言ってるくせに。



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