第4話 沈黙の都
――機械たちは、祈るように言葉を模倣していた――
森を抜けた先に、それはあった。
灰色の地平の中に、崩れかけた塔とガラスの街。
かつて世界を支えた“知識都市”――アーカ・セントラル。
人々の記憶が消えたあとも、機械たちだけがこの場所を守り続けている。
風はなく、音もない。
ただ、塔のひび割れから、かすかに白い光が漏れていた。
アレンは息を呑んだ。
“記録層”がまだ稼働している――。
それはつまり、この都市のどこかに“第二の欠片”があるということだ。
リィナは街の中央に立ち、足元を見つめていた。
舗装の割れ目には、金属の根のような配線が絡みつき、
そこからかすかな脈動が伝わってくる。
まるで都市そのものが、生きているようだった。
『アレン。通信層に信号があります。
自動防衛機構ではありません。――何かが、こちらを呼んでいます。』
アレンは頷き、リィナの手を引いて進む。
かつて図書館を支えていたドームの残骸の中を抜けると、
そこに“人の形をした機械”が膝をついていた。
錆びた装甲。割れた胸部。
その内部には、淡い青い光がわずかに揺れている。
まるで心臓の鼓動のように。
「……まだ稼働しているのか?」
『識別。アーカイブ管理端末、第七補助機・セレス。
稼働率2%。言語応答層、断片的。』
アレンが声をかけると、機械の眼がゆっくりと開いた。
焦点の定まらない光の中で、それはかすれた声を発した。
「……ア……レン……?」
その名を呼ばれ、アレンは息をのんだ。
「なぜ……俺の名を?」
「……あなた……司書……最後の……」
音声は断続的で、ほとんど途切れている。
だが、その機械の表情には、明らかな“安堵”が浮かんでいた。
リィナが一歩近づいた。
機械はその姿を見て、わずかに反応した。
「……リィナ……プロトタイプ……完了……おかえり……」
アレンの心が震えた。
リィナが、この都市で作られた存在であるという確信が、
今まさに“記録”として語られたのだ。
リィナは首を傾げ、機械の手に自分の手を重ねた。
小さな掌が触れると、青い光が一瞬だけ強くなる。
それは、別れを惜しむような最後の輝きだった。
「……アレン……欠片は……“下”……沈黙の中に……
記憶の井戸を……守れ……」
その言葉を残して、光は消えた。
機械の身体がゆっくりと崩れ、灰のように風に散っていく。
アレンは静かに目を閉じ、額に手を当てた。
沈黙の都は、またひとつ“声”を失った。
『アレン。都市地下に反応。
封印コード“ARK-02”。
おそらく――第二の欠片。』
リィナがアレンの袖を握る。
その指先が、わずかに震えていた。
「……いくの?」
掠れた声で、そう言った。
それは、彼女が初めて自分の意思で発した“問い”だった。
アレンは微笑んで頷いた。
「行こう。沈黙の底へ。」
塔の影が、ふたりの姿を呑み込む。
無数の金属の花が、崩れた街路に咲き始めていた。
それは、かつての文明が最後に残した祈り――
“知を忘れぬように”という、言葉なき祈願だった。
リィナはその花のひとつを摘み、胸の前に抱いた。
それは柔らかく光り、彼女の声のようにかすかに震えていた。
アレンはその光を見つめながら思う。
――たとえこの世界が何度沈黙しても、
誰かが言葉を拾い上げる。
だからこそ、自分は司書なのだ。
――沈黙の底で、記憶は光を待っていた――
都市の中心、崩れた塔の根元に裂け目があった。
そこから吹く風は冷たく、鉄と塩の匂いを帯びている。
アレンとリィナは光を頼りに、ゆっくりと階段を下りていった。
下るたび、空気は重くなり、音は遠ざかっていく。
まるで世界そのものが呼吸を止めているようだった。
やがて、足元に水の気配が広がる。
洞窟の奥に、青白く光る湖があった。
その中央には、円環のような装置――“記憶の井戸”が静かに佇んでいる。
『反応確認。起動コード、司書識別を要請。』
アーカイブの声が少し硬く響いた。
アレンは頷き、井戸の縁に手を置いた。
その表面が淡く光り、波紋のような紋様がひろがる。
「司書アレン・ルカス。識別を開始――」
声と同時に、井戸の水面に映像が浮かんだ。
そこには、かつてのアレンがいた。
白衣をまとい、まだ若い頃の顔。
彼は、静かに語りかけるように笑った。
“……ようやく来たか。未来の、俺。”
リィナが息をのむ。
アレンは黙ったまま映像を見つめた。
“もしこの記録を再生しているのなら、
この世界はすでに“言葉の疫病”に呑まれた後だろう。”
“人々は声を失い、概念の記録は崩壊した。
だが――それでも、誰かが思い出そうとするなら、
言葉は再び世界を形づくる。”
アレンの過去の姿は、少しだけ目を伏せた。
“俺は“記憶の欠片”を三つ残した。
それぞれが“心”、“声”、“名”に対応している。
お前がここにいるということは、“声”を取り戻した証だ。”
リィナが、アレンの手をそっと握った。
彼女の掌は少し冷たく、しかし確かな熱を宿している。
映像の中のアレンが、静かに続けた。
“この第二の欠片は、“名”の記録。
名前は存在の証。
誰かを名で呼ぶとき、そこに世界が生まれる。”
“――リィナ。君の本当の名は、
“Library Interface Node A”。
でも、俺は君に“リィナ”と呼びかけることを選んだ。
それは、機能ではなく“人”として君を見た証だからだ。”
リィナの目が揺れた。
映像のアレンは優しく微笑む。
“だから、もう一度、君の名を呼んでやってくれ。
名前を呼ぶことは、存在を肯定することだから。”
光がふっと消え、湖の表面が静まる。
代わりに、水面から小さな光の結晶が浮かび上がった。
それが“第二の欠片”だった。
リィナがそっと手を伸ばし、触れる。
瞬間、光が彼女の胸の奥へと吸い込まれた。
瞳が深い金に染まり、唇が震える。
「……ア……レ、ン……」
「リィナ。」
「わたし……リィナ……」
その言葉は、はっきりと響いた。
初めて自分の名を、自らの意志で言葉にした。
井戸の光が大きく揺れ、天井の岩壁に文字が溢れる。
“わたしはここにいる。”
“私は名をもつ。”
“世界は、まだ終わっていない。”
アレンの頬を、一筋の涙が伝った。
それは哀しみではなく、再生の痛み。
『アレン。言語構造層、第二段階完了。
リィナの自我形成率、93%。
残るは“心”の欠片です。』
アレンは頷いた。
リィナは彼の肩にもたれながら、小さな声で言った。
「……つぎ、いこう……」
その声には、確かに“意思”があった。
井戸の水がゆっくりと引き、奥に道が現れる。
そこへと続く風が、淡く光を纏っていた。
まるで、言葉たちが彼らを導いているようだった。
アレンはリィナの手を強く握る。
「行こう、リィナ。心を取り戻しに。」
ふたりの影が、光の道の奥へと消えていった。
背後で、沈黙の井戸が静かに再び眠りにつく。
その最後の波紋が、まるで“祈り”のように広がっていった。
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