第2話
底知れぬ恐怖を感じながら、オレは灯りの先を目指す事にした。恐らく村や集落があるはずだ。周囲を警戒しながら歩く。
手には不思議に輝く「竜の涙」が握られていた。竜の言葉を思い出す。竜はオレを何処に飛ばしたのだ…恐らくオークや竜を襲った奴らの土地だろう。「風」とは…。
この道は、とても硬い。体の重さが足に跳ね返ってくる。すぐ膝が駄目になりそうだ。それと、この無表情な灯り達――炎の瞬きが少しもない。誰がこんな高さまで火を付けているんだ?
周囲への警戒は、いつのまにか観察と違和感で途切れた。思考に意識が向い、シーフ自慢の危険予知は疎かになっていた。
気がつくと、後ろから光に照らされていた。先に見つかるとは…なんたる不覚。
オレは振り返った。二つの光を見た。何て眩い。手で目を覆う。そいつは恐ろしい速さで向かっているのが分かる。
――ヤバい、ヤバいぞ!
そして、どんな鳴き声にも聞き覚えのない低い唸りが響いて来た。光と音が、真っ直ぐオレの方に向かって来ていた。飛んで回避しなければ…
しかし、体がいう事を聞かない。なんて事だ。ドラゴンシーフがすくんで動けないとは! オレは死を覚悟した。
「危ない!」
後ろから声がしたかと思うと、腕を引っ張られ草むらに倒れ込んだ。
――どうやら誰かが助けてくれたらしい。
「――いや、これは助かった。ありがとう…」
起き上がりながら、礼を言おうと相手を見た。
それは、眩い美しさだった。息を呑む。
「ひかれるところでしたね! 大丈夫ですか…」
たくさんの女を見て来たが、これほど惹かれる者は見た事が無かった。女の言葉が耳に入って来ない。しかし何処かで会ったような…
「…どこか頭を打ちましたか?」
心配そうにオレの目を覗き込む。その瞳は、ダイヤの輝きそのものであった。光や見る者で輝くのではなく、永遠の輝きを秘めている美しさであった…
「すまない、少しぼうっとしてて」
我に返り、答えた。
「だいじょうぶなら良かった。道路の真ん中にいたんで…」
「ああ、すまない…あれは何て言う…村はここを歩いていけば良いのだろうか?」
女は、目を見開きオレを見た。
「村…ですか? はい、住宅街ならちょっと行った所ですよ」
「ありがたい、実は道に迷ってしまって困ってるんだ。その…」
女は、つま先から頭のてっぺんまでオレを眺めた。
「面白い格好をしてますね。どこから来たんですか?」
何だって? 自分の服装を確認した。どこもおかしくは無い、破れてもいない。
女は笑った。あたふたと服を触るオレを見ていた。
「大丈夫ですよ。――似合ってますよ」
どうやらここは、オレの住む所とは全然違う土地らしい。女の服も見た事がない装いだ。
「オレはタクネットから…って分かるか?」
女は首を横にふる。まあ、そうだろう。ここは異国の土地だ。とにかく案内人がいる。
「礼はするので、村を案内して欲しい」
人に助けを求めるのは、いつ以来だ…ましてや女に。しかしこの状況、オレは案内人がいなければ道さえ歩けない。
「ちょうど私もそこに行く所なので、良いですよ。でも…ナンパでは無いですよね?」
「ナンパ?…意味はわから無いが、心配しているのは分かる。心配しないで良い」
こんな夜道で女が独り歩き。そもそも危険すぎる。さっきの恐ろしい唸る奴もいるのに、お互い警戒しながら歩く方が良い、とオレは考えた。
「わかりました。それじゃ行きますよ」
話はまとまり、オレは女についていった。
「ところで、さっきのアレ…アレは何ていうヤツなんだ?」
オレはこの土地で警戒するべき点を聞いた。
「さっき車で轢かれそうになった事ですか? あんな道の真ん中で…轢かれちゃいますよ」
「車? 車輪が付いている乗り物か…」
オレの国では、馬や牛に引かせるヤツだが、そんなの見なかったぞ…? オレは思った。そう言えば、オレに向かってきた“車”は、殺意が感じられなかった。どうやら、ここはオレの国と、人の技が違うらしい。竜を攻撃した武器を思い出した。
しばらく歩くと、道の灯りはどんどん増え始め、昼間の様な明るさの集落にたどり着いた。何て事だ。この国では夜がないのか…人の技が夜を支配する。
「さあ、着きましたよ。ここで大丈夫ですか?」
女は振り向き言った。
「ああ、ここで大丈夫だ。恩にきるよ。これはお礼だ」
オレは革の袋から金貨を取り出した。案内料としては多いが、危ない所を助けてくれたからな…。国は違うが金の価値は、万国共通だろう。
「…これは何ですか? え、重たい」
「どうした? 金貨だ。遠慮なく受け取ってくれ」
女はオレを見返した。
「道案内しただけで、お礼なんて受け取れませんよ。それに…これ、本物?」
「金貨が珍しいのか。いや、待て…金貨はあるよな⁈」
オレは、女の態度の素っ気なさに不安になった。普通の村人なら喜んで飛びつく。
「金貨はありますけど、持ち歩いたりしませんよ…本物ならしまってた方がいいですよ」
どういう事だ? こっちの国では、どうやって物を買っているのだ?
「オレはこれしか持ち合わせがないのだ。金貨はたくさんあるが、これを使える所はないのか?」
焦ったオレは、懐事情を教えた。見ず知らずの女なんかに!
女は金貨を摘むと、目を輝かせて観察した。それは金貨の真偽を確かめている目ではなかった。
「わかりました。とても良い物をお持ちですね。何とかしましょう」
そう言うと、オレに金貨を返した。
「この金貨を少し質屋に入れ、現金に換えましょう。いいですか?」
「よくわからないが、ここで物が買えるように便宜を図ってくれるわけだな」
「まあ、そういうことです」
女は笑った。
オレの国では、見たことのない街であった。色鮮やかな明かりがともり、旅人達を魅了する。建物は巨大で、通りを埋め尽くしていた。
通りは、“車”が凄まじい速さで動いたり、止まったりを繰り返していた。一体みんな何をしているのだ?
女の言う「質屋」に着いた。女がオレに代わって店番と交渉する。店番はオレの姿をゆっくり眺めた。黒縁メガネの奥から鋭い眼つきで品定めをする。面倒だな。
会話の節々から察するに、どうやら売るには「本物の確認」がいるらしい。ここは魔法使いが変装して悪さをするのか? でなきゃ、一体誰が本物か認めるんだ?
女に言われ、金貨を出した。気難しい顔の店番は、顔の筋肉がほころび、驚きの表情となった。顔を金貨に近づけ、メガネを外した。
「おお…これは、素晴らしい…」
そこからは女の番であった。店番は金貨から目が離せなくなり、女の言い値で即決した。
女は店から出ると、紙の束を渡した。これがこの国の「金貨」らしい。こんな紙切れで物が買えるなんて信じられなかった。
「何とお礼を言って良いのやら。これを少し持っていってくれないか?」
紙の束を半分渡そうとした。
「私は要りません。大丈夫ですよ、お気持ちだけで」
キッパリと断る。親切な女だ。
「それでは、オレの気が済まない。この恩を何かで返したいのだ」
見ず知らずの女に命を助けられ、金まで工面して貰う。これほど恥ずかしい事は、かつて無い。オレの仲間達も、大笑いするだろう…
「それでは、私の仕事を手伝ってくださいな」
「わかった。オレにできるのであれば、手伝おう」
オレは快諾した。この女は、何故だか信用出来る。「風」の情報も、この女を通じて探れるような気がした…
「申し遅れたが、オレはミズリという名だ。そなたは…」
「私はレムナ。どうぞよろしくお願いしますね」
レムナ――名の響きが頭の中を駆け巡った。今朝の夢、夢に出てきた女…。
オレは不思議な竜の導きを理解した。この女、レムナに付いていけば、「風」に辿り着けるのではないか…
そう考えると、何だか空腹を覚えた。金も手に入ったし、何か腹に入れたい。
「レムナ、すまぬが腹に入れる物を何処かで手に入らないだろうか?」
レムナは、オレを見た。その瞳は、輝きに満ちていた。
「お腹が空いていたのですね! ごめんなさい、気付かなくて。さて…夜のこの時間なら、何があるかな」
レムナは周りを見渡した。そしてひときわ明るい建物を向いて、言った。
「あのコンビニに行きましょう。あそこには、何でもありますよ」
オレはレムナとコンビニとやらに入った。
とにかく店の中は明るかった。店の白い基調が、目に刺さった。何と言うか、太陽や火の自然の光ではない。オレは目を細めて、店の中を見た。
レムナは食べ物の棚から、いくつか取ると店の者に支払いを行った。
「金ならあるぞ…」
オレは焦って言った。
レムナは頷くと、
「この街にきたお祝いに、ご飯をご馳走しますよ」
と、外に出ながら返したのだった。
「はい、どうぞ。これは(おにぎり)って言うの。お口に合えば良いのだけれど…」
レムナはガサッと音がする薄い袋から、三角形の物を渡した。
透明な包みを見た。中が透けているのか…何て技だろう。オレは驚嘆した。レムナが包みの解き方を教える。なるほど、簡単だ。
オレは(おにぎり)を口に入れた。迷いは無かった。穀物と微かな塩の香りが、美味しさの予感を期待させたからだ。
何と柔らかい…まるで乳児の食感だ。口の中で広がる穀物と塩っぱさが、胃へ早く送り込めと急がせる。美味かった。
三つは食べた。喉が詰まり、レムナから水をもらった。細長い容器で、文字が書いてあった。全ての物には、それぞれの名前と身分証明が刻印されていた。この国は、誰かに存在を証明してもらわなければいけないらしい。
「…いや、美味かった。初めて食べた。ありがとう」
水で喉を流し、ようやく声を出せた。
「お口に合えて良かった。もう大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だ。その手伝いとやらに向かおう」
オレはレムナに連れられて、ある建物にやって来た。そこは、周りのギラギラとした灯りとは違う、火のともし火を感じさせる場所であった。オレはオークに会う前の、焚き火を思い出していた。
「ここです」
そう言いながら、壁に手をかざすと扉が勝手に開いた。もう人の技なのか魔法使いのそれなのか、わからない。
「どうぞ…入ってください」
オレは言われるがまま中に入っていった。さっき会ったばかりの人間を、これほどまでに信用している事に驚いた。もう、警戒も緊張も無かった。ドラゴンシーフの辞めどきだな、オレはニヤけそうになった。
レムナが通ると天井の灯りが付き、いくつか家具が見えた。レムナは長椅子を指差し、座る様促した。前にはガラスの机があり、箱が置かれていた。
「コーヒーを淹れますねー」
オレは頷いた。何かはわからなかったが、多分良い物であろう。やがて水が沸騰する音と、それを何かに注ぐ音が聞こえてきた。そして何とも言えない焦がした香りが漂ってくる。良い物に違いない!
レムナはゆっくりと、二つのカップを持って来た。そしてオレの向かいの椅子に座った。
「さあ、召し上がって下さい。熱いから気をつけて」
オレは礼を言うと、カップの耳を持ち、ゆっくりと口に近づけた。思わず目を瞑る。良い香りが鼻をくすぐった。唇が熱い焦がし汁に触れ、舌先に流れ着く。苦さを感じた瞬間…美味い。今まで飲んだ事の無い味であった。
目を開けると、レムナが笑いながら見ていた。
「お味はどうですか?」
「美味い。コーヒーと言ったか?」
「お気に召して良かった」
部屋にはコーヒーの香りが満ち、長椅子の感触の柔らかさが、恐ろしいほど落ち着きを与えてくれた。酒で酔うのとは違う良さだ…
「さて、手伝いとは何だ? まさかコーヒーの試し飲みではないだろう。結果は美味い、だ」
レムナは微笑み、オレの前の箱を指差した。
「これは、あなたの世界から送られて来た物です。これは何なのでしょうか…教えて欲しいのです」
それは古い木箱であった。どこか見慣れた懐かしさを感じた。…今、“オレの世界から送られて来た”と言ったか。異国に来たのではなく、異世界に来たと言うことか! 今まで感じていた違和感に納得がいった。
「そう、あなたの住む世界と、今いる世界は違うのです」
レムナは、俯いて言った。曇った表情を初めて見せた。
「なるほど、こっちのヤツらがオレ達の世界に喧嘩を売った、と言うわけか」
「ま、まあ、そんな感じですね」
レムナは苦笑した。オレは木箱を開けた。
箱の中は、輝きに満ちていた。それはオーブであった。おお、美しい…これは高い値がつくぞ…いや、待て、そうではない。
光のオーブ…昔聞いた事があった。それはいにしえの話。昔、二つのオーブがあった。それは地獄や魔界の入り口を開くと言われ、封印された。神話の話であった。このオーブはもしかして…
「これはどうやって手に入れた?」
「ある日、あなたの様に突然来たのです。いつも何か来る時は、意味があるのです」
オレは、オーブの伝説を話した。レムナはそれを聞いて、輝くオーブを見つめたのだった。
「その話のオーブがこれ…」
瞳はオーブの輝きを映し、もう一つのオーブを宿していた。
「これはここの金庫で保管しておきましょう。あなたがここに来た理由と関係あるのでしょう」
レムナはオーブの箱を閉めて言った。オレはここに来た経緯を話した。村の話。ドラゴンシーフ、竜とその涙。そして傷ついた竜。
レムナは、異世界の話を目を見開いて聞いていたが、竜への襲撃のくだりでは、眉間にシワを寄せた表情になった。
「その襲撃者達は、“黒の機関”。私の世界を裏で操っている組織。私達は黒の機関を監視しているのです」
「ヤツらの目的は何なんだ?」
レムナはオーブの箱を少し見つめ、オレの顔を見た。
「恐らく、竜を倒し、あなたの世界も支配しようと企んでいるのでしょう」
オレは傷つき、翼の中に包まる竜を思い出した。
「世界が二つある事は、遠い昔から知られていた事でした。そして二つは影響し合っています。双子の様な、磁石の両極の様な関係です。ここを支配する黒の機関は、全てを支配するつもりなのです」
オレは竜に託された意味を理解した。黒の機関を止めなきゃな。
「しかし、異世界に兵士たちを送り込むほど、技術があるとは…」
レムナは立ち上がり、別の机に置いてあった黒い鏡を取った。黒い鏡は瞬時に絵が描かれた。
「ああ、これですね…タブレットと言って、本みたいな物です」
驚く表情のオレを見て、レムナは言った。本で何かを調べているらしい。
オレは考えた。敵はオーブを狙い、扉を開けようとしている。今度はもっとたくさんの兵士をオレ達の世界に送り込む気だ。オレはオーブの片方を探さねば。しかし何処に…
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