マジックバッグ管理センター ~裏方最前線~
幻の菱形
第1話 路地の一方通行
この日、この路地裏で、私の人生は動き出した。
路地は荷車で塞がっていた。
「どけろ!」
「武器工房が先に運び出す規定のはずだ!」
今にも殴り合いが始まりそうな二人の親方。
「時間がない!」
「こっちにだって搬出の期限があるんだ!」
「遅れたのはそっちだ!」
肩ふたつぐらいの狭い路地。
工房から搬出される荷車が向かい合い、渋滞を起こしていた。
私は荷物運びの日雇い冒険者として、今日1日の現場に派遣されていた。
朝の集荷馬車が出発するまであと2時間。
それまでに荷物を積み終えられなければ、今日の日当はもらえない。
日当は銀貨6枚。
生活を切り詰めても、なんとか2〜3日分にしかならない。
ポケットに手を突っ込むと、触れたのは銅貨5枚だけだった。
私は恐る恐る口を挟むことにした。
「あの、作業が進まないので――」
「うるせぇ! 冒険者はすっこんでろ!」
親方はこちらを一瞥しただけで、聞く耳も持たなかった。
私は動かない荷車の列から離れ、路地の中央に出た。
見渡せば、あちこちの「詰まり」が目に飛び込んでくる。
地形、荷車の配置、人の動線、時間のロス。
あそこはこうして、ここをこうして――と、路地の中を線で結んでいく。
私の視界にだけ、最短の道筋が引かれていた。
「――それで、用水路に向かって一方通行に流せば、完璧だ……」
私は狭い空を仰ぎ見た。
口から力なく息が漏れた。
「それいいじゃない。やってみたら?」
「!?」
驚いて横を見ると、すらっと背の高い女性が立っていた。
紺のスーツを身にまとい、胸元に着けた青いバッジが目を引いた。
どうやら、さっきまでの独り言を聞かれていたらしい。
「そんな、そんな。やってみろと言われましても」
私は愛想笑いしながら、手をひらひらと振った。
「任せといて」
そう言うと、女性はツカツカと喧騒に割り込んでいった。
「マジックバッグのブロード商会、ベルです。みなさん、出荷まであと2時間ですよ!」
視線がベルに集まった。
胸の青い商会章が光ったのを見た途端、親方たちの顔色が変わった。
先程までの喧騒が、一瞬にして沈黙に塗り替えられた。
ベルは胸を張って、勢いよく私を指差した。
「そこの彼の指示に従って出荷を急いでください!」
親方たちはいぶかしげに答えた。
「ん? 誰なんだ?」
「納品が遅れれば、こっちが損するんだぞ。どこぞの冒険者に任せられるか!」
ベルは一歩前に出て、胸を叩いた。
「いいわ。彼の指示に従って、損失が出た時には、我々ブロード商会がその責任を負いましょう!」
この冒険者にそこまで賭ける理由があるのか――皆が驚いているのが、肌で分かった。
理解が追いつかなかったが、視線だけはベルから離すことができなかった。
「そこまで言うのなら……」
親方たちは互いに顔を見合わせ、一本の道ができた。
そこにいる全員の視線が私に注がれた。
私がこの現場を仕切るのか?
さっきの妄想はただの机上の空論ではないのか?
背筋が強張り、視線が泳いだ。
その中心に立つベルと、視線が一瞬交わった。
ベルは笑顔で私に頷いた。しかし、その眼差しは鋭かった。
――やるしかない。
私は息を大きく吸い込み、仕事に取り掛かった。
集荷の締め切りまで、迷っている暇はもうどこにもなかった。
手始めに、入口と出口にロープを張った。
「荷車は一方通行です。用水路沿いの道に回ってください!」
すぐに荷車の列が、軋むように動き始めた。
遠回りを命じられた荷物運びたちは、私を睨みつけながら、荷車を引いていった。
思わず肩が持ち上がった。
それでも止まるわけにはいかない。
外で行われていた積み替え作業が、路地をさらに狭くしていた。
「工房の中にスペースがありますよね。荷物はそこで積み切ってください」
職人は「は?」と口を開きかけたが、背後のベルに気付くと、渋々荷物を工房内に運び入れた。
それだけで、荷車の回転は目に見えて良くなった。
ざっと数えると、荷車1台の通過に8分かかっていたのが、3分ほどまで短くなっていた。
「すげぇな」「この道ってこんな広かったのか」
ぽつぽつと職人たちが呟くのが聞こえてきた。
私を睨んでいた荷物運びが通りがかりに、「悪かったな」と小さく声をかけてきた。
思わず、私は手をぐっと握りしめた。
残り時間は1時間を切った。
――まだやれる。
どこかに決定的な詰まりが残っている――そう思って出荷ラインを目で追っていくと、その正体はすぐに分かった。
梱包後の検品待機列だ。
私は親方のところへ駆け寄った。
「検品待機列が、いちばんの渋滞原因になっています。抜き取り検品を採用できませんか」
「計量さえ徹底してくれればいい。好きにしろ」
親方は仏頂面で、横を向いたまま答えた。
事前計量と抜き取り検品を指示してから、しばらく。
待機列に並ぶ荷車は1台も残っていなかった。
10分を残して、両工房の出荷物は全て集荷場に移動された。
そこにいる全員が安堵の息を漏らした。
胸の奥が高鳴ったまま静まらない。けれど、それがなぜか心地よかった。
その後、工房内の手伝いや、昼・夜の荷物運びで時間は過ぎ去っていった。
「お疲れ様でした!」
「おう」
親方は結局、礼も言わなかったが、文句も言わなかった。
代わりに、私の肩を一度だけポンと叩いて、工房へと戻っていった。
あまりにあっという間の1日だった。
10年間、誰も私を必要とはしなかった。
剣も魔法も使えない冒険者ができたのは、ただの荷物運び。
口を挟めば邪魔者扱いされ、依頼外の仕事は決して評価されない。
それでも、今日だけは違った。
この手で路地を動かした。
この頭で詰まりをほどいた。
初めて自分の価値を証明できた気がした。
私は足取り軽く、工房を出た。
夕日に染まる路地を歩きながら、私は小さく笑った。
明日からも、日雇いの日々が続くのだろう。
それでも、今日の手応えだけは、誰にも奪えない。
「ねえ、あなた! 名前はなんて言うの?」
突然、横から声をかけられた。
振り向くと、親方と商談を終え、一足先に工房から出ていたベルだった。
「れ、レジナルドです」
「そう、レジー。あなた、ブロード商会で働いてみない?」
この時、10年分行き詰まっていた私の人生は、ようやく流れ始めた。
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