プロローグ 第二二話
友達が出来たら、学校に行く強制力になるのではないか。
わたしは、空き部屋の窓から見える校庭を、ぼんやりと眺めながら、そんなことを考えていた。もし、わたしを「普通」の輪の中に引き戻してくれるような、温かい手を差し伸べてくれる友達ができたら。そうすれば、わたしは、この空き部屋から出られるかもしれない。
そんなことを考えていた、二月の終わり。中学二年生になる直前。
母が、職員室から戻ってきて、わたしに少し興奮した声で言った。
「美和ちゃん、聞いた?新学期から、何人か転校生が来るんだって」
「転校生?」わたしは、ドリルから顔を上げた。この特例校は、不登校の子を受け入れるための学校だけれど、年度途中で外部から転入してくる生徒は、珍しいことだった。ここに来る子は、たいてい、わたしのように、どうにもならなくなってから、親に連れてこられる子ばかりだ。
「そうなの。普通の学校で、何かの理由で上手くいかなかった子たちが、この学校の環境を求めて転入してくるみたいだよ。美和ちゃんのクラスにも、女の子が一人来るってきいた」
一瞬、わたしは希望が見えた気がした。もしかしたら、その子は、まだ「普通の子」の空気を纏っているかもしれない。ここでの生活に染まっていない、わたしを元の世界に連れ戻してくれるかもしれない。
しかし、直ぐにここは「普通じゃない子」が来る場所だと思い出した。きっと、わたしのクラスに来る女の子も、わたしと同じように、どこか壊れてしまった「普通じゃない子」なのだろう。
「ママ、わたし、ここにいるのが辛いよ。みんな、わたしを『普通』にはしてくれない。ここに来ても、わたしは、ますます普通じゃない子になってく気がする」
母は、わたしを抱きしめた。
「美和ちゃん……」
母の温もりは、安心を与えてくれるけれど、その温もりは、わたしを「普通ではない、母に依存する子」という、現実から引き離すことはできない。わたしは、母の腕の中で、自分の「普通じゃなさ」を、より一層痛感するだけだった。
希望はシャボン玉のように脆くて、綺麗で、掴もうとすると自分で壊してしまうものだ。それなのに、わたしは、懲りずに掴んで、壊して、壊して、わたしは傷つく。友達というシャボン玉を、わたしは、もう何回割ってしまったのだろう。
今月、三月の中頃には、学校旅行がある。強制参加ではないけれど、普通の子になるための最後のチャンスとして、わたしは頑張ってみることにした。旅行の行き先は、生徒たちの話し合いで決めることになっていた。
わたしは、話し合いには参加できなかったけれど。
旅行に参加する人は、みんな参加しているけれど、わたしはどうしても参加できなかった。
◇
当日、バスの外から母が見送っている。わたしはバスの座席に座り、キーホルダーを強く握りしめた。バスが走り出した途端怖くなって、引き返せないことがもっと怖かった。
これは、あの、四年生の時から続いている恐怖と似ていた。学校に行かなければならないという強迫観念。
同じ部屋になった四葉と理香は人当たりが強くて、二人で仲がいい。もう一人の美々子は暗くて、わたしは来たことを後悔した。自己紹介が終わると、四葉と理香は、露骨にわたしと美々子に冷たくなった。二人は、終始、自分たちだけの会話を楽しんでいる。
わたしは美々子と仲良くなることも出来なかったから、勇気を振り絞って、四葉と理香の会話に入ろうと、頑張った。パンフレットを指さしながら「あの、これってどういう意味?」と、無理に笑顔を作って尋ねた。
けれどすぐに会話からはじき出されて、わたしは理解した。わたしは、こんな普通の子じゃない子たちの中の集団、「不登校児」というくくりの中でさえ、一番普通じゃない、浮いた存在なのだ。孤独は、場所を変えても、わたしを離してはくれなかった。
わたしは、学校旅行に来たことを後悔した。何一つ、楽しいことも、普通の子になれるきっかけも、見つからなかった。ただ、自分の「普通じゃない度合い」を、再確認させられただけだった。
中学一年生の最後の学校旅行で、わたしは「友達を作る」という希望を打ち砕かれて絶望の中で春休みを過ごした。それでも、時間は容赦なく過ぎ、わたしは中学二年生に進級した。
わたしは「もう、友達作れないかな」と暗い気持ちのまま、新学期の転校生との交流会に出た。空き部屋から、みんなのいる教室へ入るのは、いつだって地獄だったけれど、「友達という希望」は、わたしを立ち上がらせる唯一の力だった。
自己紹介が始まって、わたしのクラスの転校生の女子が、挨拶する。
「わたしは、まゆと言います!緊張してますけど、友達が出来るといいなって思ってます」
彼女は、ここに来た時点で普通じゃないけれど、それでも、他の子よりは明るくて、声もハキハキしている。わたしは、暗い顔で椅子に座り込んでいる周りの子たちとは違う、「普通の子」の光を、まゆに見つけた気がした。
わたしは、「この子となら」と、期待した。まゆなら、もしかしたら、わたしをこの孤独から救い出してくれるかもしれない。わたしの壊れたシャボン玉を、もう一度膨らませてくれるかもしれない。わたしは、そっと、キーホルダーを握りしめた。
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