第6話 ボタン
「……なあんだよ、嬉しいこと言うじゃん!」
「わ、わっ」
少し恥ずかしくなりながらもなんとか最後まで紡いだ瞬間、晴間さんががばっと勢いよく抱き着いてきた。
クヌギさんはにこにこ顔を緩めながら私たちを見ている。
「もー、そんなサークルやめちまえ、今すぐ! 怖いに決まってんだろそんなん! 成人の自覚持ちやがれ!」
「あ、えっと、一応あのあと抜けはしたんですけど……でも、サークル入るの怖くなっちゃって」
おずおずとそう言うと、クヌギさんが牛乳を飲み干したコップをからんとテーブルに置く。
「別に無理に入らなくてもいいんじゃない? 気になるところがないなら。俺だってサークルどころか部活も入ってなかったし」
「そーだそーだ、サークルなんかひとつも入ってないやつだっていっぱいいるだろ」
晴間さんは私から離れると、マルゲリータピザをとりあげて勢いよく嚙みついた。
「でも、あの……私は、その、サークルは、入れたらいいなって、思っていて」
「なんで?」
「なにかやりたいこととかあるの?」
二人の声が揃う。
私を見る、丸い綺麗な黒い瞳。
「そういうわけじゃないんですけど――なんかこう、大学生っぽいこと、というか」
空になったコップをきゅっと両手でくるんで握りしめ、私はまた、言葉を探す。
話すのが、下手だ。
ふとそう思った。だって今まであんまり、人と話してこなかったから。
これからの四年間で、どれだけ友達ができて。
私はどれだけ、自分のことを話せるようになるんだろう。
「あの、私、今まで部活とか入ってこなくて……普通の中学生とか、高校生がやるようなこと、できない――しようとしないまま、ずるずるここまで来た、というか。なんというか、想像通りにいかない、思い通りにいかない――みたいな」
憧れていた高校があった。
どうしても、その高校に入りたい、と思っていた。
そこに入って、友達もたくさん作って、部活も勉強も毎日が充実して、そうして、キラキラした青春を送りたいって。
そのために中学時代は三年間ずっと帰宅部で、イベントも遊びもろくに楽しまないまま縋りつくように必死に勉強する日々だった。
合格したときは、両親も私も泣いて泣いて喜んだ。
だけど。
だけどいざそこに入ってみたら、「なんか違う」が、だんだん、喉の奥に刺さったさかなの骨みたいに、ちくちくと刺さって。
最初はそんなに大したことはなくて、我慢したり、無視していたそれが、ひとつふたつと増えるたびに、どんどん胸を圧迫して、ずきずきと酷く痛んで。
楽しいこともたくさんあったけれど、それをいろんなものが顔を出して塗りつぶしていく。
なにか大きなズレというより、小さなストレスだったり、予想と違うな、とふと思った気持ちが積み重なって、しんどくて。
「第一志望の高校が、イメージと違ったんです。それであんまり、楽しめなくて……大学受験のときもそれがトラウマというか、もし、この大学も入ってみたら想像してたのと違った、ってなったらどうしよう、みたいな、そういうことを考えたら、全然集中できなくて……結局、今通ってるのは滑り止めで受けてたところなんですけど。でもやっぱりあんまり楽しくなくて、人とかも合わなくて、第一志望受かってたら、ちゃんとできてたら、もっと違ったのかな……って、やっぱり思っちゃって」
かけ違えたボタンみたいだ。でも、どこから違ったのかわからない。
戻る場所も、戻し方も、なにひとつわからないまま歩いてきた。
ここまで、ずっと、ずるずると。
「もしも、どこかで何かが違っていたら」。
私の人生は、それが食い込んでできている。
その「もしも」が、今も頭や心臓から離れなくて、楽しみたいはずの今を、何ひとつ楽しめない。
それが、苦しい。
「せめて……せめて大学生活は満喫したいというか、こう、中高でできなかったこと、やり逃したことが思い返してみたらすごく多くて。部活入ってたらよかったなとか、文化祭もうちょっと頑張れたなとか」
一回間違えた選択は、もうどうにもならない。仕方ない、なんて思えないけど、今更それは変えられるものじゃなくて。
だけどなんにもしないまま、ぼんやりと四年間過ごして、卒業したあとでああやっぱりあのとき、と思うくらいなら、そうなってしまうかもしれないのなら、それよりは。
「だから大学ではそれがないように、大学でしかできないこと……それこそサークルだとか、せめて大学っぽいことは、しておきたいなって気持ちがあって」
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