第2話 オカルティエンス・カンソク

 確か、「absence of evidence is not evidence of absence」だったか。証拠が無いことは無いことの証明にならない、なんてのがこの世界じゃ絶対の法則ルール

 全てのカラスを調べるまでは、白いカラスを否定できない。まあ実際白いカラスは実在する訳だから、例えとしては不適切かもしれないが。


 ともあれ、

 オカルティエンスとルビが振られるこいつは、先述の絶対法則を悪用し、あらゆるオカルトを現実に引き摺り出して利用するのがテーマの学問だ。


 例えば、あんな風に。

 一メートル程の黒い双六角錐がふわふわと浮かび、機械的なアナウンスを響かせながら、お世辞にも広いとは言えない歩道の中央を通る。

『本日二一〇二年□□月□□日、十八時、天気は快晴────』

幽霊ゴースト悪竜ドラゴン暴徒バッドアス、その他実在隠秘存在リアリティフォークロアと犯罪に御注意ください』


 摩天楼の間を繋ぐ無数の空中回廊と、その下に吊り下がった広告、広告、広告、広告、広告……快晴だろうが大雨だろうが、見える景色は大して変わらない。

 生憎、安全技術というモノが年々進化し続けているせいで、現行法では落下の危険性がない吊り下げ式の広告看板を規制する方法はないのだ。

 夜の闇を切り裂いているのが街灯か、それとも広告の光かを知る術はないが、少なくとも星や月でない事だけは確かである。


『また、本日は満月です。一部の隠秘オカルトの使用はお控えください』


 さて。あれは十分に高度な科学技術の産物などではなく、魔法の産物だ。

 十分に高度な科学技術は魔法と区別できないと言うが、そもそも魔法と科学の区別が消えてしまったのでは、かの三原則にも意味はない。

 ……隠秘科学オカルティエンスの産物だから、見方によっては科学なんだけど。


 自立式監視治安維持ユニット、日本古来の呼び名に倣うのならば

 在り方は機械よりも生物に近く、特殊な紙の中にを降ろす事によって稼働する、今の日本に無くてはならない存在だ。

 肉体に紙、精神に神、というのは何も言葉遊びの為ではなく、古来から「式神は紙に降ろすもの」という観測結果があるからだ。

 ホラ、アニメとかで陰陽師が投げてる札、人っぽい形をしたアレだよアレ。


 絶対法則により、隠秘オカルトは否定されなくなった。

 今日は誰も見ていないパイナップルサイクロンドラゴンだって、存在しないという証拠が無い限り、明日には現実のものかもしれない。

 だが、パイナップルサイクロンドラゴンやブレイクダンスメドゥーサの様な荒唐無稽な怪物は、まだ世界に溢れていない。


 何故か?

 誰も信じていないからだ、誰も観測していないからだ。


 誰かが観測して、現実にあるものだと信じて、始めて隠秘オカルトは現実を侵食する。

 ……なので、アメリカには空飛ぶスパゲッティ・モンスターが普通に存在し、カンザス州の守護神と化している。この話は頭が痛くなるよ。なんて面倒楽しそうなんだ、と。


 ◇


 ある人様の私有地に杭を打ち込む。十数センチの黒い物体を黙々とトンカチで打ち付け、コンクリートに傷を付ける様は、正に不審者そのものだ。

 えー、不審者の見た目は黒いコートにくしゃくしゃの黒髪、丸眼鏡、うすらデカくて! なんてね。

 不審者としては百点満点、側に立つアルラも目立つ紫髪で加点ポイント。


 このままでは二人仲良く警察のお世話だが、バックに何故か日本政府が付いているというのが僕らの変な所。

 不逮捕特権付きのちょっとした資格を貰っているから、余程の理由無き大量虐殺でもしない限りは問題ナシ。

 本当、死があまりに軽すぎて、一生命体としては気持ち悪い世の中だ。


 角に一本ずつ、計四本の杭で教会を囲む。

 教会。便宜上教会と呼ぶしかないし、白を基調とした壁にベージュの三角屋根、その奥にドーム屋根……そんな建物を教会以外にどう呼べば良いのか、僕は知らない。

 尤も、宗教的シンボルが屋根から取り外されて百年余りが経っているだろうし、土地と建物の権利者は数十回と変わった事だろう。

 

 神の実在証明の代わりに、奇跡が神の特権で無くなった今の時代。

 宗教の権威は何やかんやあって全体的に増したが、権威の所在に関しては、聖地と呼ばれる様な場所に一極集中してしまっている。

 故に、聖地でも何でもない街の礼拝堂は価値を失い、手放されてしまった訳だ。


 今、この教会を保有しているのはポラリス教団と呼ばれる新興宗教。

 ポラリスことこぐま座α星、一般的には北極星と呼ばれる星を信仰する────というテイで何らかの隠秘オカルトを現実にしようと目論む、立派な犯罪組織だ。


 事前調査で確認できた信徒は十四人。夜になると教会に集まり、北極星へと祈りを捧げているらしい。

 主な教義は「二一〇二年、ポラリスが天の北極に最接近すると共に、世界を滅ぼす」というモノ。

 テレビで見たし、井戸端会議的地域コミュニティーでも話題に上がっていて、国家運営AIサマババアプラスも教団を潰せと言った。間違いはないだろう。たぶん。


「測定完了。結界強度ざっと六割、防音に絞れば完璧かな」


 最後の杭を打ち込み、顔を上げると、直ぐ様アルラが言った。

 

「OK。始めよう」

 

 トンカチをコートの広々とした腰ポケットに入れ、代わりに右手へ握るのは黒黒とした長方形の板。

 表面に約六インチの液晶、トレードマークは裏面に刻まれた望遠鏡のマーク。

 二〇一〇年代スマートフォン風、と言った所か。

 時を同じくして、アルラも自らの左腕に嵌めた腕時計型デバイスを触る。


 しかし、十六桁のパスワードに音声認識も必要とか、咄嗟に起動したい非常事態に不向きすぎるだろう。設計者出てこいよ一発デコピン入れてやる。


「「フォークロア観測函かんそくかん、起動」」


 慣れた手付きで液晶を叩いて、同タイミングで音声認識も突破。

 隠秘オカルトを観測し、現実に固定する者が二人、誕生した。


「『端境結界』観測開始」「『耳なし芳一』観測開始」


 教会がぼやける。四角の膜に包まれて、外と内が断絶する。


 聴覚が潰える。まるで耳が消えたかの様に、全ての音が消失する。

 

 誰かが観測して、現実にあるものだと信じて、始めて隠秘オカルトは現実を侵食する。

 隠秘使いオカルティストと定義される僕らは、フォークロア観測函かんそくかんと呼ばれるデバイスを利用して、人より少しばかり強固に隠秘オカルトを観測できるのだ。

 

 誰が言ったか、現代の魔法使い。であれば、フォークロア観測函かんそくかんは魔法の杖か。


”突入しよう。私が先導する”


 アルラが指で空気をなぞると、緑色の蛍光ペンみたいな軌跡が残る。

 丸っこく、可愛らしい文字だ。まるで本人とは大違い。

 僕が頷くと文字は手でサッと払われ、消えてしまう。残念だ。


 無音の世界で走り出す。革靴がコンクリートを叩く音も、モッズコートが擦れる音も、アルラの軽口も聞こえないのはやはり少し寂しい。

 膜を越え、茶色のドアを蹴破って、目に入るのは十と少しの人影。

 白いローブ、いいや、アレは法衣か? そういえば教会こそ仏教系だが、終末論を除けば教義も仏教の流れを汲んでいた、気がしないでもない。


 数秒後にはゲロに塗れる服なんて、別に何だろうと関係ないが。


 音が聞こえなくとも、脳は音を補完する。

 動作から、状況から、経験から。


「────────────」

 

 声、恐らく発言内容は「『マンドラゴラ』観測開始」だろう。

 生憎と観測する隠秘オカルトの選択も音声認識だ、僕がこの言葉を聞く日は来ない。

 アルラの手から二十センチ程度の黒い箱が放り投げられ、転がる。

 カラ、カラ、カタン。

 奥で手を合わせていた男が僕らの方を見て、口を開け、懐に手を伸ばす。

 

 手を伸ばして、そのまま、後ろへ倒れる。

 ばたり、ばたりと、また一人。

 白目を剥いて、自分の耳を塞ぎ、昼食を吐き出しながら倒れていく。


 マンドラゴラ。

 正確にはナス目ナス科マンドラゴラ属の植物の総称であり、マンドレイクとも呼ばれる昔から実在した植物にして、悲鳴により聞いた者の精神を壊す迷惑生物。

 本来は致死性の神経毒があるだけの植物なのだが、僕ら隠秘使いオカルティストが「マンドラゴラは悲鳴をあげる」という隠秘オカルトを観測すれば、それは現実となる。

 予め聴覚を失っておいた僕らは兎も角、彼らの精神は今頃オシャカだ、哀れなり。


 何故、あの黒い箱がマンドラゴラなのかって?

 そりゃあ、マンドラゴラをそのまま投げたって作動しないからだ。

 マンドラゴラが叫ぶ条件は事。そういう隠秘オカルトを観測している以上、法則ルールは絶対に歪まない。

 

 土が付いている状態で、土の位置が変動して、外の空気に触れる。

 

 土と一緒に箱詰めすれば、箱が転がる度、引っこ抜くの定義を満たすだろう?

 なんて、詭弁だ。前提からして、そもそもマンドラゴラを世界とした天動説……この場合は地動説なのだろうか、考えれば考える程ややこしいし、マンドラゴラ関連は文字通りアルラの畑なんだから僕が考えたって仕方がない。

 どんな詭弁でも、言ったモン勝ちで通るのがこの世界である。

 大切なのはそれだけだ。


”停止した。もういいよ”


 黒い箱を拾って、アルラはまた空間へ文字を書いた。

 液晶を叩き『耳なし芳一』の観測を終える。

 

「じゃあ、追い剥ぎと推理を始めようか。世界を滅ぼすなんて大言壮語、嘘でも真でも恐ろしい」


 自分の声を聞き安心しながら、僕は吐瀉物塗れの地獄へと向かうのだった。


 ────この五分後、僕達は死ぬ。よくある事だ。

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