No.2「妖寄せ」
和の国――
前回の騒動を経て、青い髪の青年・
霧の薄い森の小径。凪は両の掌を合わせ、拝むように頭を下げながら、並走――いや、必死に食らいついていた。
「ねえ、聞いてる!? 私の目的を手伝ってくださいってば!」
懇願の声。だが、返ってくるのは森の静寂よりも重い沈黙。辛は無言のまま、一定の速度で歩き続ける。その歩幅は広く、凪は小走りでなければついていけない。
「ちょっ――! 無視しないでよ!」
凪は堪り兼ねて、その背中に飛びつくように前に回り込んだ。
「おおおおお願い! 私一人で家を飛び出したものの、さっきみたいなことがあると無力なの! か弱い乙女なの!」
「……」
「私は、人を探してるの。どうかお願いします! 何でもはしませんけど!」
“何でもします”ではなく、“何でもはしない”。
この期に及んで自分の安売りはしない。それが凪という少女のちゃっかりした強情さだ。
それでも辛は、路傍の石でも見るような目で凪をかわし、歩を緩めない。
交渉決裂か。凪が唇を噛み、最後の一手――なけなしの切り札を放つ。
「あんみつ! 奢るから!!」
――ピタリ。
辛の足が、地面に縫い付けられたように止まった。
表情は彫像のように硬いままだが、その歩みが止まった理由は明白だ。
(……え、止まった? マジで? あんみつで?)
凪は半信半疑のまま、引きつった笑みを浮かべる。
最強の異能者の買収価格が、あんみつ一杯。安い。安すぎるが、賭けには勝った。
◇
ふたりは肩を並べて森を抜ける。梢の間を抜ける風に、辛はひそやかに目を細めた。
(……妖の気配が、至る所に。異常な密度だ)
辛は“妖と人の間”に生まれた忌み子。気配に敏いのは生まれながらの呪いのような
だが妙なことに、それらの気配はこちらへ向かってこない。まるで、別の何かに吸い寄せられているかのように。
やがて視界が開けた。峠の開けた場所に、古びた茶屋が一軒、ひっそりと佇んでいた。
「おお、茶屋発見! 私の鼻に狂いはなかった!」
凪が指を伸ばして喜ぶ。だが辛は、無言で屋根の縁、そして店の周りを一瞥し、警戒心を強めた。
軒先には、円錐形に盛られた白い山がいくつも置かれている。
盛り塩にしては、あまりに量が多い。まるで結界のように店を囲んでいる。
「これ、塩? 盛り塩的な? ずいぶん気合入ってるね」
凪が不思議そうに首を傾げ、指先でその山を突こうとする。
「……」
辛が目で制した。
「そんなことより、あんみつ食べよう! あ・ん・み・つ!」
凪は忠告を流し、きらきらした目で暖簾をくぐる。
そのとき、軋んだ音を立てて戸が開いた。
「いらっしゃい」
現れたのは若い店主の男。
白に近い水色の髪に、十字を模した奇妙な髪飾りが揺れている。
「あんみつ二人分ください! 特盛で!」
凪は縁台に腰を下ろし、まだ突っ立っている辛を手招きする。
「ほら、座りなよ。奢るって言ったでしょ」
しかし、店主は注文を通すことなく、氷のように冷たい視線を辛に向けた。
「……申し訳ないんだけどさ」
店主の声は平坦で、商売人の温かみなど微塵もない。
「そっちの人から、少しだけ“妖気”を感じるんだよね」
凪が目を瞬く。店主は淡々と、しかし明確な拒絶を込めて続けた。
「今すぐ立ち去ってもらえるかな? ボク、妖が嫌いなんだ。“悪魔”の次にね」
凪の頬に、カッと血が上る。
「はあ!? 何よそれ! お客さんに向かって失礼じゃない!? 差別反対!」
憤慨する凪をよそに、辛は静かに視線を逸らした。
「……行こう。こうなるとは思ってた」
その声には、怒りよりも諦めが混じっていた。
慣れているのだ。この扱いには。
ふたりはあんみつを諦め、再び歩き出す。
凪は何度も振り返り、店に向かって舌を出した。
「なんなのあの店! 感じ悪すぎ! ……でも意外。辛、甘いの好きなの?」 「……別に」
「ふーん。ま、いいけど」
凪は歩調を合わせ、辛の横顔を見上げた。
「……それより、さっきのあんたの話。聞いてみたくなった」
辛が唐突に口を開く。
「話?」
「オレも、人を探しているから――」
辛の目的は、連れ去られた弟・
凪の目的は、母を殺した犯人と、奪われた“平穏”。目的は違えど、どちらも失った半身を追っている。
「ただ、オレといたら、あんたも嫌われるぞ。さっきの店主みたいに」
辛の忠告に、凪は鼻で笑った。
「だったら尚更、私は必要よ!」
彼女は人差し指をぴしりと立て、商談をまとめる商人の顔になる。
「私があんたの分も聞き込みをする! 顔役は私。戦闘はあんた。
私は“治療”はできるけど戦えない。あんたは強いけどコミュ力がない。
私達“仲間”でしょ?」
辛は答えず、ただ前を向く。だが、その沈黙は拒絶ではなかった。
「んんん? 反応がない! “仲間”って言葉、早すぎた?」
凪が頭をガシガシと掻いたその時――
「おーい! こいしちゃん、参上!」
茶屋の方から、小柄な影がドタドタと駆けてきた。
額に×印の絆創膏、店主とお揃いの十字の髪飾りを揺らす少女だ。
「間に合った~! さっきはごめんね、うちの兄が失礼なことしたでしょ? これお詫び、饅頭! 持ってって!」
差し出されたのは、湯気の立つ温かい饅頭。
「え、いいの?」
「うん、あんみつじゃなくてごめんね!」
少女――こいしは、ふと辛を見上げ、大きな瞳を細めた。
「お兄さん、妖の血でも混ざってる? ……あー、なるほどね」
ひとり得心したように頷き、あっけらかんと言い放つ。
「うちの“しおにぃ”、生まれつき“妖寄せ”なの。妖を呼んじゃう体質でさ、昔から大変で――」
その言葉と同時だった。
辛の視線が鋭く凍りつく。
森に散っていたおびただしい気配が、一本の線で結ばれ、収束する。
――ズズズ、と地面が低く唸った。
茶屋の屋根の上。空間が歪み、巨大な黒い影が実体化する。
「きゃああ! しおにぃいいい!」
こいしの悲鳴。
泥のような不定形の妖が、茶屋の屋根を握りつぶそうと腕を振り上げる。
辛は迷いなく地を蹴った。
左掌から銀色の粒子が溢れ出し、瞬時に鋭利な金属の刃を形成する。
跳躍。
――ザンッ。
一閃。空気が裂ける音と共に、妖の巨体が真っ二つに崩れ落ちる。
ドサドサと黒い残滓が雨のように降る中。
店主――しおは、腕を組んだまま、軒先で冷ややかにその光景を見上げていた。 まるで、日常の些事であるかのように。
「しおにぃ~、無事!? なんだねその態度は!」
「……うるせぇ」
兄妹の何気ないやり取りを背に、辛は着地し、刃を消した。
凪はへたり込みながら胸を撫で下ろす。
「いや~、死ぬかと思った……ありがと、お兄さん!」
こいしが無邪気に礼を言う。
辛は短く、ぶっきらぼうに答えた。
「……饅頭の礼」
そこへ、しおが無言で歩み寄る。
手にはお盆。その上には――
「はい、“お礼のお礼”。助けろなんて言ってないけど。食ったらさっさと帰れ」
ドンッ、と乱暴に突き出されたのは、みずみずしいあんみつだった。
勢い余ってシロップが跳ね、凪の頬にべちゃりと張り付く。
「つめたっ……え?」
戸惑いつつも、凪は器を受け取った。
辛にももう一つ、強引に押し付けられる。
なんだかんだで甘味を平らげたふたりは、追い出されるように道へ戻る。
「じゃあね! ご馳走さま!」
凪は口元の黒蜜を舐めとり、明るく手を振った。
辛もまた、小さく会釈をして背を向ける。
◇
背後でこいしが「バイバイ~」と大きく手を振っている。
その足元――魔除けの盛り塩の陰から、どす黒い腕が“ぬっ”と伸びた。
死んだはずの妖の残骸だ。こいしの足首を狙い、爪を立てる。
「どうだった?」
誰にともなく、こいしがたずねる。しおは振り返らなかった。ただ、指先を軽く鳴らす。
――サラサラ。
妖の黒い腕が、一瞬にして白い粉へと変わり、崩れ落ちた。
塩だ。妖そのものが、塩の結晶へと変換されたのだ。
「たいしたこと、ないな」
しおは肩をすくめ、退屈そうに吐き捨てる。
「所詮、人間レベルの能力者だし」
こいしがニコニコとした表情を変えずに答えた。
「あーあ。どこぞの“
しおが口もとに手を持って行き言った。
風が吹き、妖だった塩の山をさらっていく。しおはその白い粉を見下ろし、ふいに膝をついて頭を抱えた。
「ああ……クソッ、何故“砂糖”じゃないんだ!」
「そこ?」
甘党らしい悲痛な嘆きに、こいしが苦笑する。そして、遠ざかる凪の背を目で追いながら、ぽつりと呟いた。
「でも、あの女の子。どこかで見た気がするんだよね――」
◇
茶屋から離れ、里道を行くふたり。
凪は両手で頬を挟み、「あっ、あの兄妹に情報聞きそびれた! ま、いいか!」とすぐに立ち直った。
辛はその騒がしい横顔を見つめ、口の中に残るあんみつの甘さを反芻する。
表情は、やはり能面のように動かない。
笑うことも、緩むこともない。けれど、常にその身に纏っていた氷のような鋭い殺気だけは、今は嘘のように消え失せていた。
並んで歩く背を、山風が押す。“妖を寄せる者”がいる土地。盛り塩の白、散った黒、そして甘いあんみつの記憶――すべてが、この国のどこか深い場所で繋がっていることを、二人はまだ知らない。
辛は胸の奥でひとつ名を呼ぶ。
丁。
彼を追う旅は、まだ始まりにすぎない。
戦う者と、癒す者。 出会うべくして出会った二人は、同じ方向を見据えて歩き出した。
――因みに、辛もかなりの甘党である。
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