選べなくともさいわいを

虫原商会

選べなくともさいわいを

 サンタクロースの実在を、信じたことはない。

 私がリアリストかぶれの早熟な子どもだったわけではなく、ただただシンプルに、我が家にサンタクロースは存在しなかった。それだけの話だ。トナカイのひくソリで空を飛ぶ、赤い服に白い髭のおじいさんの話は、いつだって誰かの語るお伽噺だった。クリスマスもクリスマスイブも「祝日にならない行事の名前」で、私にとってはずっとただの「12月24日」と「12月25日」でしかなかった。


「うわあ……」

 絶句した様子の友人を、グラスの氷を適当にかき回しながらたっぷり3秒は眺め、魚返おがえり八代やしろは嘆息した。まあ、予想していた通りの反応ではあるけれど。

「さすがのユリちゃんでも引いちゃった?」

「ちょっと、……いやだいぶ?」

 神妙な調子の声に「でしょうね」と返す。

 しかし、言葉にすると殺伐とした幼少期を過ごしてきたように聞こえるが、実際のところはそうでもない。十二分に教育を受ける機会を与えられていたし、日々の暮らしに困った記憶もない。人並みに豊かに健やかに育てられたはずだ。

 ただ、後々周囲と比べてみると、『よくある世間のイベントごと』にだけ不気味なほどに無関心な家庭で育ったらしい、というだけで。

「なんか……ごめんね。へんな話しちゃって」

 アイスコーヒーを口に含む。無闇矢鱈に口にする話でもないが、話したところで八代自身はどうってことないのだ。由梨花ゆりかにそんな(不味くもないが美味くもない複雑かつ微妙すぎる味わいの何かを口にいきなり突っ込まれて飲み込むか吐き出すか迷っているような)顔をさせてしまっていることが、かえって申し訳なくなる。

「や、そもそも私が話振っちゃったからだし」

 大丈夫、とカフェオレを一口飲み込んで、由梨花は頬杖をつく。

「でもやっぱ、やっちゃんにも選んでもらったもののほうが、私は喜ぶと思うんだよね」

 彼女はスマートフォンをこちらに向け、軽く振って笑った。待ち受け画面は、由梨花と、由梨花の幼い息子が満面の笑みで映る写真。

 ――うちの子のプレゼント、一緒に選んでくれない?

 事の発端は、由梨花からの何気ないメッセージだった。

 この時期ならば、きっとクリスマスのプレゼントだろう。彼女の幼い息子もそろそろ物心つく頃だろうし、何か無茶なものを頼まれて困っているのかもしれない。

 もちろん、と返そうとした指は、動かなかった。

 八代と由梨花は旧知の友人だ。交友関係は極めて良好であり、過去に大きなトラブルがあったわけでも、わだかまりを抱えているわけでもない。彼女からの頼みとあらば、八代は何だって二つ返事で快諾したいに決まっているのだ。それができなかったのは、自分の内側に原因があるのだとよくわかっていた。

 昔から、一般に盛大に扱われるようなイベントごとに、関心を持てた試しがない。「クリスマス」のようなタイミングに、自分にとって特別な位置にある人のために何かをしたいと思ってもどう行動するのが正解かわからない――例えるならば、「クリスマス」という5文字ばかりを抱えたまま先の見えない道の途中に放り出される、そんな心地になる。

 10月が終われば次の日にはクリスマス商戦に早変わりするショップの装飾を見ても「もうそんな時期か」と感じるばかりで、心が躍ることはなかった。

 クリスマスに限ったことではないが、『一般に盛大に扱われるようなイベントごと』に、なぜかまるで関心が向かない環境で育った、唯一にして最大の弊害である。

 無難にやり過ごすだけなら苦労はないのだ。ちょっとした感謝や親愛を伝えるつもりで贈るなら、例えば菓子類を選んでおけば双方にとって間違いないと八代にだって予想はできる。けれど、その場を難なく乗り切るための紋切り型の対応を、親友と言っても過言ではない彼女にまで当てはめることに、八代自身が納得できなかった。

 とはいえ自分一人で解消できる原因でないことは、自分自身の性質であるだけに誰よりよく理解している。

 相手が由梨花でさえなければ「あたしにはちょ~っと荷が重いかも」なんて曖昧に笑って流せもしただろうが、それもできない。ならばいっそ、今正直に打ち明けてしまうほうがいい。

 そう考えて、素直に打ち明けたのである。

「――そうかなあ。だってほんと、どうしたらいいかわかんないの」

 思いのほか、切実な響きを伴って漏れた弱音に背を丸める。暖気で露の浮いたグラスに映る自分の顔は、曲面で歪んで、困り果てているように見えた。いや、実際困り果てているのだ。

「いいよ、それでも。ちゃんと悩んでくれるのだって嬉しいもん」

 カップがソーサーから持ち上がる。もうとっくに温くなっているはずのコーヒーを、それでも慎重にすする音。

「いつかはさ。あの子もサンタクロースがいないってこと、気づく日が来るでしょ。その時に、やっちゃんと一緒にサンタクロースやってたのって言えたら、嬉しいだろうなって思って」

「そう? サンタクロースには相応しくないんじゃない」

 眉を下げる。サンタクロースの実在を疑うどころか、すべて他人ごとですらあった自分が関わって、それは良い思い出になるかどうか。

「私が保証する! 私だけより絶対いい!」

「……。……それで、サンタクロースへのリクエストは?」

 根負けだ。今日も。

「! そう、聞いてよあの子ね――」

 ――ああやっぱり、無茶なものを頼まれている。どうするつもりなのそれ、なんて相槌を打ちながら、薄くなったコーヒーを飲んだ。

 何が「どうってことない」だ、情けない。

 笑いを含んだ息を吐く。わずかな自嘲と、愛おしさを込めて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

選べなくともさいわいを 虫原商会 @mushihara-co

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る